操作者と聴衆
「講読会」には、マラルメが「招待者」、「出席者」、あるいは「聴衆」と呼ぶ一定数の人びとが招かれる。覚書110によれば、その数は主催者を含めて10名、つまり招待者は9人とされる。しかし他の多くの覚書では、主催者を含めずに24名の出席者が予定されている。たとえば覚書90にはこうある。
「基本的には、24の席。(実際の出席者がいかほどであれ、そこには朗読者、操作者・opérateurしかいないこともある、そして25番目は操作者である。・・・」
これからうかがえるように、24という席の数は「講読会」の出席者の最大数のである。しかし実際には聴衆が一人もいない場合でも、「講読会」は行われると考えられていた。マラルメは24人の出席者に送る招待状のことまで具体的に書き残している。
「8枚の紙片を3つに切って招待状とする=24の聴衆」(覚書153)
「書物」をつくるのに使うものと同じ紙を切って、招待状をつくろうというのである。
こうして招待された人びとは部屋に招じ入れられ、それぞれの席につく。部屋の照明をどうするか、シャンデリアにするか、それとも「ただ一つの電気ランプ」にするかについては、マラルメは最終的な決断を下していない。いずれにせよ講読作業・opérationは簡単な装置だけで行われる。
招待された人びとが座る椅子に向かいあって一つの机が置かれ、机のうしろの壁際に、漆を塗った一種の本箱のような家具が置かれる。覚書192に、マラルメはその設計図を書き残しているが、本箱には斜めに6つの棚があり、操作者は本箱の前を自由に動いて、左から右へ、あるいは上から下へと、どこからでも任意に書物を取り出すことができる。棚を斜めに配列したのは、操作者による書物の出し入れを円滑に行うと同時に、その操作が出席者に一目で見えるようにするための配慮と考えられる。
操作者の入場は呼び鈴でもって知らされる。ほどなく
「椅子――家具
カーテン
朗読者は右側と左側の座席の間の空けられたところから入ってきて、そのまま少々身体まげて、まっすぐ家具――漆塗りの――のところへ行く。家具は明らかに対角線〔をなし〕をなし、〔棚は〕なかば一杯である。
以下のようである。
(図は省略)
対角線をなすこれら6つの棚のそれぞれには、5つの束(「ファイル」・feuille)が置かれ(その数は一目で簡単に見ることができる。)――〔上の棚の束は上向きで、下の棚のものは下向きか? 朗読者は、最初から、〔手順を〕よく心得ていて、たった一つの電球の下に位置するが、それより前に、棚のひとつひとつあら、上の方の棚からも、下の方の棚からもそれぞれ最初の束を取り、そうやって6つの束を手にする。
そして入って来たほうへ向き直る・・・」(覚書195)
朗読者は束に挟まれている紙片を朗読し、解釈をほどこし、そして紙片を組みかえる。ときどき二枚の紙片、あるいは一つの束の紙片が同一のものであることを示すために、それぞれを両手に持ち、それをちょうどトランプの札を切るときのように混ぜる。こうした動作が45分続けられ、紙片が充分混じりあったとき、朗読者は突然、「この束を持ったまま、彼が来た方へまっすぐに進む・・・」(覚書182)
出席者には講読がこれで終ったように見えるが、じつはそれは見せかけであって、15分の幕間のあと、朗読者はふたたび紙束を持って姿をあらわす。そしてもう一度鈴が鳴ると、彼は漆塗りの棚のところへ、少し身体を傾けつつ、まっすぐに向かい、紙束を先にあったのとは別の順に置きなおす。そして、あらためて別の紙束を取り出し、ふたたび朗読、解釈、紙片の組みかえを始めるのである。
このように一回の講読会は、幕間をはさんで前後2回行われることになっている。
覚書に描かれた操作者=朗読者の特徴は、肖像画や写真などで知られる実際のマラルメの姿を髣髴とさせる。たとえば『マラルメ図版資料』には、「1890年ころのマラルメ」と記された、ローマ街のアパルトマンの食堂で、暖炉の傍らに立っている写真が掲載されている。両手の先を上着のポケットに入れたマラルメは、覚書182に素描される朗読者のように、「こころもち身体を曲げて」立っている。その姿はロダンバックが評したように、「司祭のようであり、踊子のよう」でもある。
購読会におけるマラルメの役割は、彼が謙虚にも「操作者」と名付けたテクストの読み手である。講読会で操作者が朗読し、注釈をこころみる複数の巻からなる「書物」は、もちろんマラルメ自身が制作したものである。しかし「書物」はあくまで無署名のものであって、マラルメはその著者であることを明かそうとはしない。シェレル教授も言うように、「匿名であることが聖なるテクストの本質」なのである。
1885年、ヴェルレーヌに宛てた手紙で、マラルメはこの考えをすでに明らかにしていた。
「わたしの個人的な仕事は・・・匿名のまま、テクストはそれ自身について語りながら、作者の声なしに存在するだろうと思われます。」
テクストの匿名性の問題は、マラルメにあっては、1860年代のいわゆる「精神の危機」をくぐり抜けたときから自明のことであった。著作を創造するのは確かに一人の作者だが、真の創造行われるためには、創作の過程で作者は非人称化されなくてはならないというのである。非人称化され、いわば「宇宙の一能力」と化した者を通して、テクストは自ずと生まれ出るものである。もし著作がこうした理想的な状態で生み出されるとすれば、作者がそれに名前を署名することは意味がない。
マラルメはヴィリエ・ド・リラダンやアンリ・カザリスに宛てた手紙のなかで、繰り返し「著作の非人称化」について語ったが、「書物」を」めぐる覚書のなかでも、当然この思想は繰り返し語られている。
「書物」は一個の物であって、「その意味についてはわたしには責任はない――しかじかと署名はしない・・・」(覚書201)
マラルメはあくまで一人の「朗読者」にすぎない。「このわたしは局外にいる。単なる朗読者なのだ・・・」(覚書117)、せいぜい彼は「最初の読者」(覚書42)、あるいは「最初の受任者」(覚書113)というわけである。
それにしても、マラルメだけが講読の規則を熟知しており、束(「ファイル」)の配列を心得ている。その意味ではシェレル教授の説のとおり、彼は宗教的儀式の主宰者のような存在であり、あらためて「操作者の仕事をとおして、ファイルの所有権を獲得する」のである。
シェレル教授は、この問題についてさらにこうも述べている。
「講読会における操作者の機能は、根本において、マラルメが理解している意味での作家の機能と異なるものではない。真の作家とは、マラルメにとって、個性とともに記述的なものを捨象した存在である。抒情的でもなく、現実主義者でもなく、彼は「語り手としての詩人の消滅」を実現する。そして彼が目指すのは、「対象を名付けるのではなく」、それを「暗示すること」、つまり事物をこえる超現実的な何ものかを導入し、それを理解させ、あるいは感じ取らせるように努めることなのである。・・・マラルメの目には、ヴィリエ・ド・リラダンが理想に近いものを実現していた。・・・ヴィリエの文学がくわだてたのは、「この世界を数字化されたさまざまの公理や法則や鉄則と、彼が執着する観念とが等しくなるよう世世界に要請すること」であった。すなわち、作家はこの世界の法則を発見したいという願望に憑かれて、複雑な計算のすえに諸々の公理を定式化する。そして自分の理論をこの世界と対照させてみて、そこに等式が成り立つかどうか、つまり自分の理論が正しいか否かを見きわめようとするのである。「書物」もまさにこうしたものにほかならない。それは文学の創造における、ロマン派の神秘主義とはおよそ対極をなす態度であり、あくまで科学的で技術本位のものである。そしてこれこそまさしく「操作者」の態度そのものである。
こうして「書物」の操作者は、「書物」の単なる朗読者でも、注釈者でもなく、目指すのは論証であって、彼は「書物」に秘められている客観的な真理を理解させようと努める。そのために彼は繰り返し「書物」を構成する束を組み換え、」そうして得られた千変万化するテクストから、宇宙の隠された真理を導きだそうと努める。
マラルメは講読会に出席する人びとについてはどのように考えていたのだろか。
マラルメにとって、公衆は二種類の異なる人びとからなる。少数の選良がおり、他の大多数は大衆と呼ばれる人たちである。そして「講読会」の招待状を受け取るのは、当然マラルメの周囲にいる知的選良であった。
マラルメは『芸術の異端、萬人の芸術』では、「芸術は選良だけに神秘をあらわす」と書いたことがあった。詩作を唯一の生き甲斐とし、詩を神聖なものにしようとする若いマラルメは、読者としての大衆は無用な存在であり、詩が意味を持つのは少数の選ばれた人びとに対してだけでよいと主張したのである。
しかし晩年のマラルメは、大衆について違った考えを持つようになっていた。そしてそこには画家マネを通じて、絵画の世界を知ったことが大きく作用していたのである。
絵画は詩と違った、観客である大衆の存在を抜きにしては考えられない。これに加えて、オペラ、バレエといった舞台芸術、あるいはミサなどが成立するには大衆の参加が不可欠だが、こうしたジャンルについて思索を重ねた結果、晩年のマラルメは大衆がはたす役割について、若いときとは違う結論に達していたのである。
その結論とは、大衆と選良との間に本質的な相違はないというものである。違いがあるとすれば、それは新聞と「書物」の関係のようなもので、決して本質的なものではない。労働者は日々の仕事で疲れていて、文化活動に参加することはできない。だからといって、彼らが文化生活から完全に締め出されてしまうことはない。言ってみれば、大衆は知的水準に関する限りまだ少年期にあり、その能力は潜在的で未開拓である。しかし大衆は間違いなく美しいものを味わう能力を備えている。マラルメの女婿ボニオ博士は、『イジチュール』の序文で、「シューマンのピアノ・リサイタルに紛れ込んだ女中が、それを美しいと思うようなものである。彼女は和音の調和と相いれない存在ではなく、行きずりの通行人がそこからある意味を汲み取り、それに満足するのと同じこと」だと、マラルメが語ったことを紹介しているが、こうした箇所に晩年のマラルメの大衆観を見いだすことができるように思われる。
事情は「書物」についてもまったく同様である。「書物」は世間一般の人びとにとって、意味を欠いたものでは決してなく、そこには彼らをも満足させる何かがある。それだからこそ、マラルメは一般大衆を講読会に招くことは考えないまでも、莫大な冊数ん「書物」を印刷し、それを売る計画を真剣に考えたのであった。
それにしても、まずは講読会に招かれるのは知的エリートたちである。(続)