マティスの礼拝堂
フランスは今日から日曜日まで連休です。昨夜は午後8時に旅行から戻ったのですが、反対車線はプロヴァンスやコート・ダジュール、あるいは国境をこえてスペインへ出かける車で渋滞していました。私たちは日にちをずらしたおかげで大した渋滞にもあわず、片道660キロを往復することができました。
トゥールーズを朝7時に出て高速道路A8に乗り、ニームでスペイン方面へ行く道と分かれて、地中海沿いをモンペリエ、エックス・アン・プロヴァンス(マルセイユの北です)、カンヌと通り過ぎ、ニースの手前のカーニュ・シュール・メールで高速を降り、山へ向かって30分走って目指すヴァンス(Vence)に到着したのが13時半。途中で15分の休憩を2度とりましたから、丁度6時間で着いたことになります。
ホテルは旧市街のすぐそばのグラン・ジャルダン(Grand Jardin)広場にありました。地下の駐車場に車を入れ、レセプションで受け付けをすませたあと、目の前の城門から旧市街に入って食事をしました。
ヴァンスの旧市街は中世につくられた城塞で囲まれた街で、迷路のような細い石畳の道の両側に5階建ての家が軒をつらねています。一階はレストランや名産品を売る店などが多く、絵や彫刻を展示したギャラリーが並んだ一角もあります。
街のいたるところに山からの湧水が噴水や水飲み場として流れ出しています。観光客は暑いさなか喉をうるおし、顔を洗って一息ついていました。私たちは旧市街の見物もそこそこに「マティスの礼拝堂」を目指しました。
白い礼拝堂は旧市街のテラスからも山腹の緑の中に見え、旧市街からは歩いて15分ほど坂道を登ったところにありました。
マティスは、ここを訪れるのは冬の午前11時頃がいいと言っていました。冬の低い光がステンド・グラス(フランス語ではヴィトロー・vitraux)を通して白いタイルでできた壁面に鮮やかな色を映し出すからです。真夏の光はステンド・グラスの色を床に反射させ、一歩中へ入ると静謐さに圧倒されました。
マティスは晩年病に苦しみましたが、そんな彼の面倒をみた看護師の女性と後年ここヴァンスで偶然に出会いました。そのとき彼女はドミニク派の修道女になっていて、自分が住む地域には礼拝堂がないので、礼拝堂を建ててくれないかと頼みます。マティスはこの申し出を聞き入れて、建築、ステンド・グラス、内部の壁面の絵、祭壇、十字架、司祭の着る服のデザインなど、こうしたすべてを一人で構想し、制作して「ロザリオの礼拝堂(Chapelle du Rosaire)」を建てました。礼拝堂で購った小冊子には、マティスの言葉が載っています。
この礼拝堂での私の主要な目的は、光と色彩を、白と黒で描かれた壁全体と調和させることだった。
この礼拝堂は私にとってすべての仕事の到達点であり、真摯で、困難で、膨大な努力が花開いたものである。
これは私が選んだ仕事ではなく、私が探究を重ねて辿ってきた道の最後で、運命によって私が選ばれたのだ。礼拝堂は私にすべてを一つにする機会を与えてくれた。
3面の窓に嵌められたステンド・グラスは、青、黄色、緑の三色のガラスでつくられています。祭壇に向かって左手の2面は棕櫚の葉をデザインしたもの、祭壇後ろの「命の木」と名づけられた1面には、サボテンと花が描かれています。荒野で生き抜くサボテンは生命の強さを象徴しています。
圧巻は祭壇に正対するタイルの壁面に描かれた「十字架の道」です。伝統的な教会堂では、イエスがローマの総統ピラトによって有罪と宣告され、十字架を背負い幾度も倒れながらゴルゴダの丘まで歩き、そこで磔になる出来事は、伝統的な教会堂ではステンド・グラスに描かれます。マティスはそれを白いタイルの壁面に黒い線だけで14のシーンとして描きました。
それぞれの場面には1から14まで番号が振られていて、左端の一番下がピラトの前に引き出されたイエス。そこから右へ4まで、中段は5から9までが右から左へ、最上段の5つの場面はまた左から右へと、十字架に磔にされたイエスをマリアたちが下ろす場面までが描かれています。
礼拝堂には小さな資料館が併設されていて、壁画を描くためにマティスが試作を重ねたクロッキーが数多く展示されています。そこには建築家ル・コルビジエがマティスに宛てた手紙も展示されていました。ル・コルビジエは、「ここを訪ねて、勇気をもらいました」とあります。これは礼拝堂を訪れた皆の思いではないでしょうか。
今回の旅行の第一の目的は果たせました。夜の食事もじつにおいしかったのですが、うっかり写真を撮るのを忘れました。