ムッシュKの日々の便り

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天野忠

 前回に続いてもう一人、ライト・ヴァースの達人である天野忠の詩を紹介したい。京都の詩人天野氏は長い詩歴をもつが、氏の詩が大きく変化したのは1961年10月に自費出版した詩集『クラスト氏のいんきな唄』からである。かつて京都洛北の自宅を訪った折、氏は「クラスト氏」誕生のいきさつをこんな風に打ち明けてくれた。
 「私は辞書を引くのが好きで、無聊のときいろんな辞書を見るわけです。ある日英語の辞書を繰っていて、crustという文字が目に入った。クラスト、『パンの耳、人に嫌われる、あまり歓迎されない食べ物』という解説を読んで、これを人の名前にしてやったら何かが生まれる・・・Mr. Crust、クラスト氏という考えがパッと浮かんだんです。不思議なもので、なにか一つの糸口が見つかると、これまでいろいろ考えていた事柄がみな引き寄せられて、あらましの形ができあがる・・・命名した途端、詩集の骨格ができあがったのです。」
 詩集はのちに増補されて、『動物園の珍しい動物』とタイトルを変えて、1966年に編集工房ノアから刊行された。巻頭に置かれた「クラスト氏のこと」という文章で、天野氏は詩人クラストに、「ポエット タイヘンムツカシイポエット(だいぶ考えて)・・・クルシイ クルシイ」と語らせているが、天野氏自身この時期一種の行きづまりを感じていたのである。一言でいえば、それは現代にあって抒情を吐露することの難しさである。誰よりも年齢というものに敏感だった天野氏は、五十歳にしておのれの感慨を一途にうたうことに気恥さを感じていた。この苦境を打開するにはなんらかの仕掛けが必要であった。
 この仕掛けがたまたま辞書の中で探し当てた、異国の詩人「クラスト氏」であった。風采のあがらぬ、船乗りにして詩人という仮面は、詩をうたい続けるために有効だったのである。それにしても仮面はいかにもぴったりと嵌った。天野氏は仮面の裏から自在に語りだす。
 そのなかの一つ、「問い」では翻訳調の文体を用いる凝りようである。

  サクラメント市の
  インディアンアベニューの
  A・ジャドソン氏の家の
  地下にある物置場の
  水道の蛇口の
  ま下で
  一日中
  とつおいつ
  なめくじが考えごとをしていた

  どうして

  わしは
  生まれてきたか?

 天野忠氏には三冊の詩画集があるが、その一冊『酸素その他』に収められた詩はみな京ことばで綴られている。主題はいずれも身近に迫った死、ぼけた亭主をかかえる老婆、老残の身を嘆く男、内職の苦労を語るおばあさん、・・・彼ら、彼女らが語る独特のイントネーションを帯びた一語一語が、彼らの生を浮かび上がらせる。
  
 「ししばば」

  おみねはんのことどすか へえ
  あのおひとはもうかれこれ十年
  ししばばとってもろうて臥たきり
  つい去年の春ごろまでは
  口だけはようまわってはったんやけど
  ことしのお彼岸さんの日にお見舞いに行ったら
  それがもうさっぱりろれつがまわらへん
  手え握ったげたら
  眼やにの上にポロポロ涙こぼさはって
  モニュラモニャラばっかり云わはって
  わたしも何やわけわからんとげっそりしてしもて
  おみねはん としとって患うのは
  ほんまにかなんこっちゃなあ云うて
  いっしょに泣いてばっかりしてきました・・・
  息子はんの嫁はんホレ知っといでっしゃろ
  東京弁きつう使はるあのハイカラさん
  ししばばの世話してはるのはみよ子さん
  そうどす お孫さんの会社勤めのみよ子さん
  そらそうやろ
  あのきついいっかりもんのハイカラさんは
  なんちゅうても他人さんや
  血のかよってへん息子の嫁はんに
  あの気性のかったおみねはんやもん
  ようししばばとって貰えますかいな
  ・・・・・

 京都にいたとき聞きなれていた独特の抑揚が耳の底によみがえってくる。至芸と感嘆するほかはない。
 天野忠氏は1993年に亡くなったが、存命中に詩人自身に読んでいただけなかったのが残念でしかたがない。純粋の京ことばがすたれないうちに、どなたかこれらの詩を朗読してくださる方はいないだろうか。
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by monsieurk | 2011-09-26 22:04 | | Trackback | Comments(0)
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