ムッシュKの日々の便り

monsieurk.exblog.jp ブログトップ

携帯写真

 リビアでは42年の長きにわたって独裁政治をおこなってきたカダフィ大佐が殺害された。その最後の瞬間は携帯電話のカメラで撮影され、世界中に流布された。昨年暮れから北アフリカや中東を舞台に続いた独裁政権打倒の運動には一つの特徴がある。人びとは携帯やiPhoneなどの端末をインターネットにつなぎ、ツイッターやフェイスブックで仲間と連絡をとりあった。そして写真や動画を撮って、インターネット動画サイトで公開した。
 世界中の殆どの人が持っている携帯やiPhoneのカメラは、露出など細かい設定が不要で、いつでもどこでもシャッターを押して、現実を映像として切り取ることができる。街でなにか事が起れば、人びとが一斉に携帯のカメラを向ける光景は日常茶飯で、ネット上には無数の「携帯写真」のホームページが開かれている。そうした携帯写真は1839年にフランスで発明されて以後の写真史にあって、どのような意味を持つのだろうか。
 
 かつてNHKのETVカルチャースペシャル『写真と生きた20世紀――アンリ・カルティエ=ブレッソン91歳の証言』(1999年10月9日放送)を制作したとき、パリ・リヴォリ通の仕事場で、この伝説の写真家と対談する機会があった。
 カルティエ=ブレッソンの代名詞となった「決定的瞬間」は、1952年に出版された写真集の英語版のタイトルとして用いられたのが最初で、オリジナルのフランス版は”IMAGES À LA SAUVETTE” であった。このフランス語は「逃げ去る映像」というほどの意味で、それを英語版で、THE DECISIVE MOMENT(決定的瞬間)と訳したのは、けだし名訳であった。このときからカルティエ=ブレッソンの名は不朽のものとなり、写真を撮る人たちは「決定的瞬間」を求めて、カメラのシャッターを切るようになった。
 写真集『決定的瞬間』は、アンリ・マティスが表紙をデザインし、126枚の写真とコメント、それに「ルポルタージュ」、「主題」、「構図」などについて自説を述べた文章が収められている。
 カルティエ=ブレッソンは「主題」に関して、「重要なのは、さまざまな事実の中から、隠れた現実を示している真の事実を選び取る仕方であり、自分自身が認識したものに対して自分の立場を定めることである」と述べ、また「構図」については、「構図は必然性がなければならず、内容から切り離すことはできない」と言い、「(構図に)黄金比を適応するには、撮影者がその目ですばやく目測する以外にない」と語っている。つまり「構図」は撮影と同時に決定されるというのである。
 彼は対談でも、「絵画(素描)が瞑想なのに対して、写真は射撃だ」と言い、また「モータードライブによる連続撮影やズームレンズなどを使うのは邪道だ」とも語った。事実、カルティエ=ブレッソンにとっては、カメラの小さなファインダーの中に、黄金分割の構造が見て取れたときがシャッター・チャンスであり、その瞬間を逃さずにシャッターを切る。彼はそうした瞬間を予期して、場所と時間を選び、獲物が射程に入るのをハンターがじっと待つように、その瞬間が訪れるのを待つのである。
 だがこうした写真術は、類まれな感性と訓練によって、カメラが目の延長、身体の一部にまでなった特別の人が撮る写真にこそ当てはまることなのではないのか。
 繊維会社を営む裕福な家に生まれたカルティエ=ブレッソンは、小さいときに「ブロウニー・ボックス」型のカメラを買い与えられ、それで夏休みの写真を取ってアルバムをつくったという。ただ彼の興味はすぐには写真に向かわず、当時の芸術を席捲していたシュルレアリズム運動の洗礼を受けたあと、アンドレ・ロートのもとで本格的に絵を学んだ。
 詩人のランボーに憧れていた彼は、その後22歳のときアフリカへ渡って仕事に従事したが、病を得てフランスに帰国。マルセイユで療養生活を送っていたとき、小型カメラ「ライカ」と出会った。1931年のことである。このときから彼は写真を表現手段とする決心をした。機動性と速写性に富んだ「ライカ」は、絵画を描くうちに培われた構図への鋭い感覚と、シャッター・チャンスへの嗅覚を発揮するのに最適だった。ライカが持つ機能があって初めて、自らの現実認識を写真として定着することを可能にしたのである。それは文字通り「決定的瞬間」の出現であった。だがはたしてこの「決定的瞬間」は、本当に一瞬の勝負の成果なのだろうか。
 カルティエ=ブレッソンが創立者の1人であった写真通信社「マグナム」には、彼をはじめ多くのカメラマンが撮影した膨大な写真のコンタクト・プリント(「べた焼き」)が保存されている。上記のテレビ番組を制作する過程で、カルティエ=ブレッソンのコンタクトの一部を見せてもらうことができたが、写真集に掲載された作品の前後にも、ほぼ同じポジションで撮られた写真がある。発表された写真はコンタクトの中から1点だけ選ばれたものなのだが、ではコンタクトの意味をどう考えればいいのだろうか。
 フランスの映画監督アレクサンドル・アストリュックは、1948年に「カメラ万年筆論」を唱えた。小説家が万年筆を使って自分の思想を作品として具現化するように、映画の監督や脚本家は、カメラを使って自分の思想を表現するのだと主張したのである。
 この考えは、アンドレ・バザンによる作家論という形で具現化され、1950年代末に「ヌーヴェル・ヴァーグ」が誕生する要因の1つとなった。バザンは、映画とは「その裏張りが映像をとどめておくようにつくられた特異な鏡だ」とも述べている。ヌーヴェル・ヴァーグの作家たちにとって、自分が世界を見る眼差しがフィルムそのものであり、その視線をいかにフィルムのなかに「保存」するかが問題であった。これが「カメラ万年筆」論の本質であった。
 そしてヌーヴェル・ヴァーグ運動の旗手の1人だったエリック・ロメールは、「もし歴史が弁証法的なものだというのが本当ならば、保存することの価値が、進歩の価値よりも現代的である瞬間がやってくる」と語ったことがある。ここでロメールが保存しようとするのは、対峙する現実と自分とに流れる「時間」であり、保存されるものは、カルティエ=ブレッソンのいう「消え去る映像」なのである。
 じつはその点で、デジタル技術の登場が大きな意味をもつ。これは映像撮影と保存の上で大きな展開をもたらした。デジタル技術を装着した「万年筆としてのカメラ」は、ムービーであれ、スチルであれ(その最先端が携帯電話に付属したカメラである)、小型化によっていわば身体と一体化され、究極の速写性と保存性を与えられたのである。これを手にした私たちは、現実に向けた自らの眼差しを、いつでも記録することが可能になった。こうして写し撮られた映像は、現実の上を一瞬に流れた時間であり、そこに成立していた私たちと対象との関係である。
 さらにデジタル・カメラの簡便性と記録容量の大きさが事態を一変させた。人びとは1点きりの「作品」をつくるという意識をもつことなく現実を無造作に切り取る。こうしてデータ・フォルダーに小さな映像として保存された1コマ1コマの総体が、ある時間の経過の中で成り立っていた対象と撮影者の関係を表している。フィルムの時代には、1コマを選び出すための素材であったコンタクト・プリントそのものが、前面にせり出してきて意味を帯びてくる。そのとき「決定的瞬間」に要求された「構図」へのこだわりは減じられ(これには携帯電話の画面が概ね縦長で、しかも1対1.618 の黄金比をなしていないことが微妙に影響している)、無造作にシャッターが切られ、多くの映像が記録されていく。
 携帯カメラを手に入れたことで、誰もが現実に注意深く目を向けるようになった。同時にそれは自分を見つめることにつながっている。データ・フォルダーの中に連なる小さな映像――それはまことに「特異な鏡」なのだ。
[PR]
by monsieurk | 2011-10-25 13:28 | 芸術 | Trackback | Comments(1)
トラックバックURL : http://monsieurk.exblog.jp/tb/14821097
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented at 2011-10-28 03:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
line

フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31