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ムッシュKの日々の便り

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マリリン・モンローとユリシーズ

 本のカヴァー・デザインに意匠をこらすようになったのはいつ頃からだろうか。フランスなどでは、出版社によって表紙のデザインが決まっていて、タイトルと著者名を活字で示すだけの素っ気ないものが少なくない。その点、日本では一冊一冊のデザインに意を尽くし、それ自体が創作の観を呈している。
 出版されたのは1年ほど前だが、「この手があったか」と思わず膝を叩いたのが、デクラン・カーバイト『「ユリシーズ」と我ら――日常生活の芸術』(坂内太訳、水声社、2011年)の表紙だった。白地に縦にタイトルを印刷し、そのわきに水着姿でジェイムズ・ジョイスの分厚い《Ulysses》を読むマリリン・モンローの写真を載せた表紙である。
 デクラン・カイバード(Declan Kiberd)はアイルランド生まれの著名なジョイス研究家で、ペンギン・ブックス版《Ulysses》に、序文とともに250頁におよぶ詳細な注釈をつけたことで知られる。1992年に出版されたこの本は、カイバードの注によって、ジョイス研究者や学習者に大きな恩恵をあたえてきた。
 『「ユリシーズ」と我ら――日常生活の芸術』は、この注釈の仕事を基にして、『ユリシーズ』全18章を詳細に読み解いたものである。翻訳者の坂内太氏は気鋭のアイルランド文学の研究者で、出版社はこの本を世に出すにあたって、マリリン・モンローの有名な写真を用いたのである。これこそアイディアの勝利といえる。
 写真を撮影したのはイヴ・アーノルド(Eve Arnold)という女性の写真家で、今年1月に99歳で亡くなった。アーノルドは1912年にペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれ、ニューヨークで働いていたとき写真に興味を持ち、有名な雑誌「ハーパース・バザー」誌のデイレクターから写真の技術を学んだ。その後女性カメラマンの草分けとして活躍した。そんな彼女を一躍有名にしたのが、1961年の映画『荒馬と女』のセットでのマリリン・モンローを撮った写真であった。アーノルドはこの10年ほど前からモンローを撮影し続け、モンローも彼女を信頼していたという。木蔭のベンチに両膝を立てて座り、横縞の水着を着て『ユリシーズ』に読みふけるマリリン・モンローの一枚は、そんな信頼の中から生まれた。
 この写真の存在に最初に言及したのは、先ごろ亡くなった小説家で、ジョイスの翻訳者でもある丸谷才一氏で、「水着の女と『ユリシーズ』」(『蝶々は誰からの手紙』収録)というエッセーで紹介した。あるとき友人の英文学者高橋康也氏と酒を飲んだ折り、この写真が話題となり、高橋氏はモンローの読んでいる本の残りのページが少ないとことから見て、彼女が開いている箇所は最後の第18章「ペネロペイア」であろうと推理したという。この章は主人公レオポルド・ブルームの妻モリーが、深夜の寝室で、夫にこの日の午後に行った自分の不貞行為を告白するくだりである。
 丸谷才一氏の紹介で写真の存在を知った画家の和田誠さんは(彼は丸谷の本の表紙や挿画を数多く手がけている)、本に読みふけるモンローを絵にした。これは昨年夏世田谷文学館で開催された和田氏の展覧会「書物と映画」のポスターに使われたから、目にした人が多いかもしれない。こちらのモンローは足を組んでいる。
 イヴ・アーノルドの写真については、モンローにポーズを取らせたのではないかという説があり、高橋説によれば、こんなポーズを取らすのを思いつけるのは、このころ結婚していた劇作家アーサー・ミラーの他にいないというのだが、一方で彼女はよく本を読んだという説もある。どちらが正しいかを判断する材料を持ち合わせていないが、《Ulysses》を読むマリリン・モンローを表紙に用いたセンスには脱帽するほかはない。

マリリン・モンローとユリシーズ_d0238372_21181289.jpgマリリン・モンローとユリシーズ_d0238372_2118837.jpg
by monsieurk | 2012-11-05 17:00 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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