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ロバート・キャパ(5)

 沢木耕太郎氏が着目したのが、キャパの写真集『THIS IS WAR』(Richard Whelan, ICP/STEIDL、2007)に発表された32枚の写真と、この本には収録されていないが、並行して開催された写真展で公表された9点、合計41点の写真で、これらはいずれも1936年夏にコルドバ戦線で撮影されたとされるものである。沢木氏はそのなかの一枚、「突撃する兵士」に注目した。
d0238372_11371562.jpg これは画面の中心に銃を水平に構えつつ、緩やかな斜面を駆けている帽子を被って兵士をほぼ真横から写してものである。沢木氏はこの兵士の背後に、もう一人の兵士が重なるようにして写っていることに気づいた。さらに画面の左端に、後から来る兵士の銃の先端も写っている。
 つまりこの写真は丘を駆け下りる兵士の一団を撮ったものだが、拡大してみると、前面の兵士の陰になっているもう一人の兵士は白いシャツを着ていることが分かる。しかも彼の姿勢は、なんらかの理由で腰を落とした形になっている。これらの事実から、沢木氏は以下のように推理する。
 《「手前の兵士」は斜面を駆け降りて突撃しようとしているのに対し、「奥の兵士」は深く腰を落としている。
 そして、「奥の兵士」の持っている銃は上を向いている。それは「手前の兵士」の銃の持ち方からもわかるとおり、銃に添えられている左手が離れたということを物語っている。さらに、銃のストラップが浮いているのは、その瞬間に、銃を持つ唯一の手になってしまった右手が大きく動いたということを意味している。その動きの勢いによって、銃は上下が逆さになっているにもかかわらず、ストラップが宙に浮くことになった。
 「奥の兵士」は、突撃の途中であるにもかかわらず、腰が落ち、銃から左手が離れ、右手が大きく動いている。「奥の兵士」に何らかの異変が起こったのだ。》(沢木、224-225頁)
 この場面で撮られた兵士で、白っぽい服を着ているのは「崩れ落ちる兵士」しかいないことから、「奥の兵士」はまさに彼だと推測できる。さらに「奥の兵士」の姿勢から、彼は何かの理由で腰を落とす姿勢になったが、その次の瞬間を左斜め前から撮ったのが「崩れ落ちる兵士」であるというのが、沢木氏の下した結論だった。
 この推論が成立するとすれば、兵士の集団の一連の動きを撮影したカメラは2台なくてはならない。なぜなら「奥の兵士」は横のカメラで撮影された瞬間には、もう腰を落として倒れかかっており、それを「崩れ落ちる兵士」のように斜め前から同じカメラで撮ることは時間的に不可能だからである。
 沢木氏はさらに推論を進めて、真横の低い位置から兵士たちを撮ったのがライカであり、「崩れ落ちる兵士」を撮ったのがローライフレックスではなかったかと考える。真横のカメラで撮られた「突撃する兵士」の写真はほぼ正方形に近く、縦横比からすればローライフレックスの可能性もあるが、それよりも「崩れ落ちる兵士」の画面構成の方がローライフレックスに特有のものなのではないか。
 ローライフレックスを使ったことのある者にはすぐに分かることだが、撮影者はファインダーを上から覗いて撮る。そのためにライカのように片目でファインダーを覗きつつ、もう一方の眼で、現実を見るといったことは難しい。さらにファインダーの動きはカメラの構造上左右が逆になる。だからローライフレックスは静止したものの撮影に向いているのだが、この場面で起きたことを想定してみると、カメラを構えている瞬間に、画面左奥から駆け降りてきた兵士の一人が、一瞬腰を落として倒れそうになった。それをファインダーのなかで見た撮影者は、兵士の動きを追いかけようとして、とっさにカメラを左に少しふった。その結果ファインダー上では右側、つまり兵士の前方の空間があくことになり、結果として、あたかも弾丸が飛んできた方向を暗示するような写真が撮れたのではないか。ローライフレックスの特徴を瞬間的に判断できなかったために、返って絶妙の構図が生まれたわけで、もしかするとこの写真を撮ったのは、カメラを扱いはじめて日の浅いゲルダだったかもしれない。
 沢木氏の推理のもう一つは、「崩れ落ちる兵士」が後ろに倒れていることをめぐるものである。彼が下した結論はこうである。当時スペインの前線で用いられていたのがモーゼル銃だったことを考えると、前方から弾を受けたとして、兵士に後ろに倒れるだけの物理的力をあたえることはできない。丘を駆け降りてきた兵士が銃弾を受けたとしても、その慣性によって必ず前に倒れるはずである。そうだとすると、彼が後ろに倒れたのは足を滑らせるなどして、自らの力で倒れたことを意味する。ススペレギ教授はヤラセ説を主張したが、兵士は足を滑らすなどして、偶然カメラの前で崩れ落ちた――これが沢木氏の推理である。
 1937年7月中旬、撮影したフィルムを持って一端パリに戻ったキャパと別れて、ゲルダ・タローは激しい戦闘が繰り広げられているマドリッド郊外のブルネテへ向かった。ブルネテの共和国軍の司令部に到着すると、すぐに反乱軍の攻撃がはじまったが、彼女は果敢に撮影を続けた。だが反乱軍の攻撃は激しく後退を余儀なくされた。彼女が隣村へ続く道を歩いていると、将校用のオープンカーが通りかかり、ゲルダはそのステップに飛び乗った。次の瞬間、近くを走行していた共和国軍の戦車が統御不能となり、暴走してオープンカーに突っ込んできて、ステップに足をかけた姿勢のゲルダの身体を引き裂いた。彼女はすぐに病院に運ばれ緊急の手術をうけが、翌朝息を引き取った。1937年7月26日、奇しくも「崩れ落ちる兵士」の写真が「ライフ」に掲載された二週間後のことだった。
 先に触れた写真集『生み出される死(Death in the Making)』(New York、Covici-Friede、1938年)は、ゲルダ・タローへのオマージュとして出版された一冊である。これは沢木氏も指摘していることだが、不思議なことに、「崩れ落ちる兵士」の写真は表紙のカバーに用いられているだけで本文には収録されていない。本文に収録されている他の写真にはすべてキャプションがつけられていることを考えると、これを避けるためにあえて収録しなかったのかも知れない。
 一枚の写真によって22歳の若さで伝説となったキャパは、名声にふさわしい本物の戦争カメラマンになるべく、ひたすら戦場を求めて仕事を続けることになる。(続)
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by monsieurk | 2013-02-25 20:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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