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by monsieurk
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「牧神の午後」

 3月1日(2013年)の夜10時から、NHK・Eテレで放送された「日本舞踊×オーケストラ――伝統の競演』を観た。去年12月に東京文化会館での舞台を中継録画したものだが、放送された3つの演目のうち、ドビュッシーの「牧神の午後前奏曲」を、花柳寿輔と井上八千代が素舞で演じた舞台は抜群の出来栄えだった。舞台装置は千住博、音楽は大井剛史の指揮で、東京フィルハーモニー交響楽団が演奏した。
 この「牧神の午後前奏曲」は、ステファヌ・マラルメが1874年に発表した詩「牧神の午後(L’Après-midi d’un Faune)」に触発されたクロード・ドビュッシーが作曲し、初演は1894年12月22日である。演奏を聴きに来たマラルメも満足したといわれている。
 その後この作品はさらなる発展をとげる。今世紀初めパリなどで活躍した「バレエ・リュス(ロシア・バレエ)」の花形ダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーが、曲にきわめて斬新な振付をほどこし、1912年5月から6月にかけてパリ・シャトレ劇場で上演されたのである。
 ニジンスキーのコリオグラフ(振付)では、主人公の牧神やニンフは、顔を横向きにして、手足を直角に折り曲げる形で動くことが多いが、彼はこの動作を、たまたま訪れたルーヴル美術館に展示されていた古代ギリシアの壺の絵から思いついたとされる。
 牧神(立方、振付)花柳寿輔、ニンフ(立方、振付)井上八千代の動きには、ニジンスキーのコリオグラフが二重写しになる場面もあったが、二人の素舞はきっちりと所作がきまり、ドビュッシーの音楽に乗って清新な「牧神の午後」を出現させた。

 ところでそもそもの元となった、ステファヌ・マラルメの詩篇「牧神の午後(半獣神の午後)」は、どんな内容をうたっているのか。翻訳をお目にかけることにする。なお、これは4点の版画をつけて、2010年に左右社から130部限定で出版したものだが、いまは手元に数部しか残っていない。

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             牧 神 の 午 後
                
               田園詩

            ステファヌ・マラルメ


               牧 神

あのニンフたちを、永遠のものとしたい。
 
                         あんなに明るい、
彼女たちの肌の薄紅色が、
群がりくる眠気で気だるい大気の中でちらちらする。

                         私は夢を愛していたのか?

私の懐疑は、古くからの夜の堆積で、いまや無数の細かな
小枝となり、真実の森のままとどまって、
ああ、私が独りよがりにも観念の薔薇を思いあやまって
勝利として自らに捧げたことを証し立てる――

とくと思い返してみよう・・・

                  お前が述べたてる女たちは
 
お前の官能の望みが激しいあまり、それを象ったのではないのか!
牧神よ! 幻影はいとも純潔なニンフの、涙の泉のような、青く
冷たい眼からは消え失せる。
だが、もう一人の吐息ばかり漏らすニンフの方は違って、
お前の肌毛にこもる真昼の熱い微風のようだと、お前は言うのか?
そうではない! いかに競うとも、さわやかな朝は熱気に息がつまり
身動きもならず、ぐったりと失神するなか、水音は囁かず
私の葦笛だけが調べを茂みに注ぐ。そして唯一の風は
葦笛の対の管から洩れ出でて
乾いた雨の中へ音を撒き散らすより前に立ち昇り、
なびくもの一つない地平線のあたりで、
眼に見える、晴れやかな
霊感の人工の息吹となって、空へとまた還っていく。
 
おお、静まりかえったシチリアの沼の岸辺よ、
日々の太陽と競って、私の自惚れが掻き乱そうと
火花のような光のもとで静まりかえる岸辺よ、語ってくれ
「私はここで、力量にあった空ろな葦の茎を
手折っていた。そのとき、金緑色の木が葡萄の房を
泉に捧げるように垂らしているはるか遠くで、
真っ白な生きものが憩いながら揺らいでいた。
葦笛がゆるやかな序曲を奏ではじめるや、
白鳥たちが飛び立つ、いや! ニンフが逃げたのだ、
それは水に潜り・・・」


              なにも動かず、すべてが鹿毛色の時の中で燃え
蘆笛で調音のLaを探るお前の強引な合体の願いが
どんな仕業で一斉に消え失せたのか分からない。
だがこの時こそ、私は初めての意欲に目覚めるはずではないのか、
太古の光の波の下で、ひとり、すっくと立ち、
百合よ! 私も穢れなく、お前たちの一つとなって。
二人の唇がもらす甘い虚しさではなく
不実なものさえそっと安心させる口づけは、
私の胸には何のしるしもないのに
おごそかな歯の神秘な噛み痕をたしかに実感させる。
だが、それよりも、秘法が心を許す友として選ぶのは
青空のもとで奏でる一対の太い葦笛。
それは、頬に感じる悩みを引き受け、
長い独奏のうちに、まわりの美しさと
私たちのつまらぬ歌の美を混同して
楽しむことを夢見る。
そして、愛がその模様を指で描くのと同じあたりを
私は閉じた眼で追い、背中や
あるいは純白の脇腹の月並な夢から、
よく響くが、むなしい単調な線を消し去ってしまうのだ。

だから、遁走の楽器よ、おお、意地悪なシュリンクス、パンの笛よ、
お前が私を待っていてくれる沼辺で、また葦に生え変われ!
この私は、自分の噂を自慢にしながら、ニンフたち女神のことを
いつまでも語るとしよう。そして偶像のように描いた
彼女たちの影から腰帯をまた抜き取ろう。
そうして、葡萄から透明な光の汁をすすったとき、
私は見せかけの陽気さで悔しさを追い払うために
笑いながら空っぽの房を夏空に差し上げて
輝く皮の中へ息を吹き込み、酔いを
渇望しつつ、夕暮れまでそれを透かし眺める。

おお、ニンフたち、さまざまな思い出をまた膨らませよう。
「私の眼が葦の間をつらぬいて、不死の二人のうなじを突き刺せば、
怒りの声を森の空に響かせて、ニンフたちは熱い傷口を波にひたす。
そしてまばゆい髪の沐浴は
煌きと慄きの中に消えうせる、おお、宝石よ!
かけ寄ってみれば、私の足元に、抱き合って(二人で
いる邪な喜びがもたらす気だるさに死んだようにぐったりとして)
大胆に絡んだ腕の中で眠っている二人。
私は彼女たちを引き離しもせずに抱えあげ、飛び込んだのは
わずかな木陰も嫌う、あの薔薇の茂み、
薔薇は太陽に芳香をことごとく涸らし、
そこでの私たちの戯れは真昼日が燃えつきるのにも似ていたか。」

私は処女たちの怒りを讃える、おお、野生の快楽よ
裸の聖なる重荷は私の燃える唇をさけようと
するりと滑り抜ける、稲妻のように!
肉の秘密の恐れを飲み下して。
非情な女の足許から、内気な女の心へと伝っていけば
両方ともに無垢な気持を捨て去り、
狂おしい涙か、悲しみの少ない湿り気に濡れる。
「私の過ちは、この隠しきれない恐怖を征服した喜びで
神々がたくみに絡ませた乱れた髪の房を
接吻しつつ掻き分けたことだった。
つまり、一人の方の好ましい身体のうねりの下に
私が熱い笑みを押し隠そうとしたそのとき(幼くて、初心な、
顔を赤らめさえしない妹の方は、燃える姉の興奮につれて、
羽のような純白さが色に染まるように、
一本の指だけで押さえていた。)
両腕の力がわずかに抜けて、
まったく恩知らずのこの獲物たちは、身をひるがえした、
私がまだすすり泣く陶酔のなかにあることなど意にも介さず。」


残念だが仕方がない! 別のニンフたちが私の額の角に
結びつけた編髪で、私を幸福へと連れて行ってくれるだろう。
私の情念よ、分かっているだろう、赤紫色に熟れた
石榴は弾け、蜜蜂は唸り、
そして私たちの血は、それを吸い取ろうとするものに夢中となり、
次々に生じる欲望の塊に向かって流れて行く。
森が黄金色とそして灰色に染まる時刻
暗くかげった葉陰では祭りが高潮に達する。
エトナ! 悲しき眠りが突如轟き、炎が燃え尽きようとするその時
ヴィーナスが訪れて、その清純な踵を降ろしたのは、
お前の山中の溶岩の上だ。
私は女王を抱く!

            おお 罰は必至だ・・・

                         いや、少なくとも
 
魂は言葉を失って空っぽとなり、身体はぐったりと重くなって、
やがて真昼の勝ち誇った沈黙に屈伏する。
いっそこのまま、冒涜の言葉も忘れ、乾いた砂に打ち伏して
ただ眠ることだ、葡萄酒を芳醇にするお天道さまに向けて
口を開けているのは、なんと快いことか!

さらば、二人のニンフよ、幻となったお前たちを夢見るとしよう。

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by monsieurk | 2013-03-07 20:13 | 芸術 | Trackback | Comments(0)