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ムッシュKの日々の便り

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詩集『女に』

 谷川俊太郎の詩選集が岩波文庫として刊行されて話題となっている。詩人の詩集が生前に岩波文庫に入ったのはこれが初めてではないだろうか。抒情詩人谷川俊太郎の業績の大きさを、あらためて実感させられる詩集である。
詩集『女に』_d0238372_1665646.jpg そしてほぼ時を同じくして、集英社から詩集『女に』が刊行された。これは1991年3月にマガジンハウスから出版された詩集の復刊だが、復刊にあたっては、36篇の一つ一つに添えられた佐野洋子の素敵なエッチングに、新たに詩の英語訳も加えられた。
 オリジナルの詩集が刊行されたとき、先ごろ亡くなった丸谷才一は、「特筆に価するのは、この恋愛詩集が年輩の男女の恋を歌うことである。それは、恋は青春のものといふ世界文学史の常識に平然と刃向ひ、現代日本の現実を取り上げる」と評したが、詩集『女に』は、誕生以前の未生の時代から、幼くして出会い、愛し合い、生活を共にし、そして死を迎えるまでの、一人の女性に寄せた想いをうたっている。36篇すべてを紹介したいが、そのうちの幾つかを引用してみよう。

 「未生」

 あなたがまだこの世にいなかったころ
 私はまだこの世にいなかったけれど
 私たちはいっしょに嗅いだ
 曇り空を稲妻が走ったときの空気の匂いを
 そして知ったのだ
 いつか突然私たちの出会う日がくると
 この世の何の変哲もない街角で

 「かくれんぼ」

 たった一本の立ち木が
 あなたを私からかくしていた
 「もういいよ」と叫ぼうとしてあなたはためらった
 もっと待たなければならないと知っていたから
 まだ目をつむって数えている私を

 「会う」
 
 始まりは一冊のぼやけた写真
 やがてある日ふたつの大きな目と
 そっけないこんにちは
 それからのびのびしたペン書きの文字
 私は少しずつあなたに会いにいった
 あなたの手に触れる前に
 魂に触れた

 「指先」
 
 指先はなお冒険をやめない
 ドン・キホーテのように
 おなかの平野をおへその盆地まで遠征し
 森林地帯を越えて火口へと突き進む

 「・・・・・」

 砂に血を吸うにまかせ
 死んでゆく兵士たちがいて
 ここでこうして私たちは抱きあう
 たとえ今めくるめく光に灼かれ
 一瞬にして白骨になろうとも悔いはない
 正義からこんなに遠く私たちは愛しあう

 「未来」

 たった今死んでもいいと思うのにまだ未来がある
 あなたが問いつめ私が絶句する未来
 原っぱでおむすびをぱくつく未来
 大声で笑いあったことを思い出す未来
 もう何も欲しいとは思わないのに
 まだあなたが欲しい

 「恍惚」

 あむつ代えるついでに
 あなたは私の尻をつねってくれる
 隣の寝たきりばあさんが美人だからだ
 私の脳細胞は恍惚として目覚めるだろう
 知性の遠く及ばぬものに

 「死」

 私ハ火ニナッタ
 燃エナガラ私ハアナタヲミツメル
 私ノ骨ハ白ク軽ク
 アナタノ舌ノ上デ溶ケルダロウ
 麻薬ノヨウニ

 素敵な一生ではないか。だが愛する二人の想いは死でも終わらない。

 「後生」

 きりのないふたつの旋律のようにからみあって
 私たちは虚空とたわむれる
 気まぐれにつけた日記 並んで眠った寝台
 訪れた廃墟と荒野 はきふるした揃いの靴
 地上に残した僅かなものを懐かしみながら

 “After We Die”

 Intertwined like two endless tunes,
we play around with empty space,
fondly recalling a few things we left behind on earth―
 the diary we kept at random, the bed we slept in,
ruins and wildernesses visited, two pairs of identical shoes
worn out together.

 岩波文庫版『自選 谷川俊太郎詩集』には、「未生」、「・・・・・」、「後生」の3篇が収録されている。
by monsieurk | 2013-04-30 22:30 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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