フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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横浜「ゲーテ座」Ⅲ

 横浜山手に新設された「パブリック・ホール」(「ゲーテ座」)で最初に芝居が上演されたのは6月23日のことで、アマチュア劇団が演じたマッケイ作の『ヘイゼル・カーク』であった。そしてこの年の夏には、マスコット歌劇団が来日して、ギルバート/ サリバンのサボイ・オペラ3篇をはじめ、『マスコット』、『ボッカチョ』、『コルヌヴィルの鐘』などの人気作品を上演した。サボイ・オペラとは19世紀後期のヴィクトリア朝時代、イギリスで華ひらいたコミック・オペラで、台本作家のW.S.ギルバートと作曲家アーサー・サリヴァンのコンビが、サヴォイ劇場で上演したことからこの名前がついたものである。
 「パブリック・ホール」に出演した最初のプロの劇団は、明治20年(1887年)5月に来日したジョン・シェリダン一座である。シェリダンは女役が得意な喜劇役者で、メロドラマ『アンクル・トムの小屋』などを上演した。翌明治21年(1888年)5月に来日したルイーズ・クロフォードは、抜粋ではあったがシェイクスピアの『ハムレット』を演じた。
 シェイクスピアの作品を専門とする劇団としては、明治24年(1891年)5月にクリシュトン・ミルンが率いる一座が来日し、5月28日の『ハムレット』にはじまり、8夜にわたって、『ヴェニスの商人』、『ロミオとジュリエット』、『マクベス』、『オセロ』、『ジュリアス・シーザー』、『リチャード三世』をたてつづけに上演した。ロンドンに生まれたミルンは、アメリカに渡って牧師となったが、31歳のときに俳優になる道を選び、やがて女優のルイーズ・ジョーダンと結婚すると一座を組んでシェイクスピアを中心とするレパートリーをもってアメリカ国内を公演してまわった。1891年の日本公演は、イギリスでの公演に向かう途中のアジア巡業の一環であった。
d0238372_23374392.jpg 坪内逍遥はミルン一座が演じたこのシェイクスピアの舞台を観た一人だった。逍遥は明治22年(1889年)に小説『細君』を発表したあとは小説の執筆をやめ、シェイクスピアの本格的な研究をはじめていた。彼が山手の「ゲーテ座」で観たのは、5月30日夜の『ヴェニスの商人』と、翌6月1日の『ハムレット』だった。
 逍遥は「内地で初めて観た外国俳優のシェークスピヤ劇の印象」でこう書いている。
 「その一座の長は、ミルンといって、ずんぐりした小柄の男で、普通の旅役者たるに過ぎなかったが、・・・決して我流ではなく、慥かにシェークスピヤ劇の古い型に従っての演出であったことが想起される。私はわざわざ二晩東京の宅からから出張して、「ハムレット」と「ヴェニスの商人」とだけを観た。古い型に従った演出であったゞけに、私をして観た二、三によって他の十、二十を類推せしめるに足り、テキストを読む上に有利であるのみならず、後年「ヴェニスの商人」や「ハムレット」を土肥、東儀、水口などの交友を指導して実演せしめる場合にも役に立った。其際、邦人で観に往ってゐた者は、私の外には、「ハムレット」の時には、たしか、僅かに一人、それは北村透谷であった。「ヴェニスの商人」の時にも、たかゞ、一人か二人、それは見知らぬ人であった。」
d0238372_23433934.jpg 「ハムレット」の舞台を観た北村透谷は、明治26年(1893年)7月に、雑誌「文学界」の同人である戸川秋骨、平田禿木、島崎藤村と箱根芦ノ湖の宿に出かけた際、2年前に観た「ハムレット」の舞台の思い出を披露した。平田禿木は「文学界前後」でこの日のことを次のように回想している。
 「浅酌中、透谷君は横浜谷戸坂上のゲーティー座で見たハムレット劇の思い出を語った。座頭というのは、もと牧師であったのが役者になって、東洋へ放浪にてきたということであった。興に入ると、透谷君は起ってハンケチを頭へ載せ、
  いづれを君が恋人と
     わきて知るべきすべやある
の、オフェリヤ狂乱の舞を一とさし舞うのであった。」
 この箱根での出来事は、島崎藤村も自伝的小説『春』のなかで詳しく描写している。やがて優れた英文学者や小説家となる3人は、最年長の戸川秋骨が22歳、藤村21歳、一番若い平田禿木は20歳だった。
 坪内逍遥の「文芸協会」とならんで新劇運動の先駆となった「自由劇場」の主催者である小山内薫も、山手の「パブリック・ホール」(「ゲーテ座」)に足を運んだ一人だった。彼がここで最初に芝居を観たのは明治40年(1907年)5月18日で、バンドマン劇団の『あっぱれクライトン』だった。
 小山内薫はパブリック・ホールの様子が分からず、外国へ来たのだとあきらめて左端の椅子に腰をかけて舞台をみた。第二幕がおわったとき、時間はすでに夜11時になっていた。「時計を見るともう十一だ。まだ後二幕あるのだがこれを見て居た日には、一時にもなるだろう。泊るに宿もない田舎者の事だから、思い切って公会堂を出る」とある。
 ハブリック・ホール(「ゲーテ座」)の公演は、西洋の劇場の例にもれず午後9時開演だった。観客の多くが周辺の居住者だったから、それでも困らなかったのである。ただ東京からわざわざ横浜まで出かけていった逍遥、透谷、小山内薫たちは泊りがけの観劇だった。そんな不便にもかかわらず、西洋の芝居に関心をいだく彼らは足繁く横浜へ通ったのである。
 若い日の和辻哲郎や谷崎潤一郎、一高生の芥川龍之介もそうした仲間だった。明治43年(1910年)10月10日から18日まで、来日中のウオリック・メイジャー一座がイギリス喜劇を連日上演した。和辻はこのうち4つの舞台を泊りがけで観た。
 第二次「新思潮」第3号(明治43年11月号)に、和辻哲郎(写真)が書いた「Real Conversation」が掲載されている。
 「人物。和辻哲郎、木村荘大、谷崎潤一郎
時。十月十八日夜。
場所。芝浦、新思潮編輯の用に宛つる木村の書斎。
d0238372_234425.jpg 一面に青い月光を浴びている庭に臨む縁側の障子を明け放して、木村と谷崎と、その上に洋書、雑誌、原稿等を雑然と積み重ねて、室の中央に据えてある机を隔てゝ相対している。隻方稍次墜落な態度で、木村は谷崎の角帽を冠っている。
 和辻哲郎登場。借り物だが素的によく似合う制服姿。

谷崎 昨夜も君は横浜へ泊ったのかい。大分どうも御熱心だね。
和辻 ああ。
谷崎 どうだった、面白かつたかい。
和辻 面白かったね。(ポケットからプログラムを出して机の上に投げる)これが立女形の写真なんだ。
木村 (手に取って見る、谷崎も覗き込む)メエジヨアス、コメデイ、コムパニイのミス、ジヨオジイ、コルラスか。昨夜は何を演ったんだ。
和辻 オオルド、ハイデルベルヒ。
木村 どうだったい。
和辻 うむ。よかったよ。(得意そうににやにやする。シヨオの芝居を観たのは俺だけだという自慢が顔から隠し切れない)とにかくあれっ位いな脚本が、あの連中には丁度手頃な処だね。
木村 だが無論こないだ当てられた新社会劇団の口直しにはなったろう。
和辻 (この間に縁先へ来て窓に腰かける)なったどころか、ミス、ジヨオジイの顔が今でも眼の先にチラついている。此案配じゃあ立て続けに三晩位い夢にみるこったろう。(後略)」
 ここに出てくる木村荘太は、木村荘平の四男で明治22年(1889年)生まれ。画家木村荘八にとっては母親を同じくする兄にあたる。明治41年(1908年)に亰華中学を卒業して、東京外語学校でフランス語を学ぶことを希望したが、父荘平の方針で牛鍋屋「いろは」を継いだ長兄荘藏(父荘平の死後は二代目荘平となる)の手助けをしながら、文学書に読みふけった。やがて生田葵山の文学会に参加し、処女作が第一次「新思潮」に掲載された。明治43年(1910年)には中学の同級生だった後藤末雄たちと第二次「新思潮」を結成して、彼の家が編集所となっていたのである。弟の荘八はこの兄から文学や芸術の面で大きな影響をうけた。
 このとき木村と和辻はともに21歳、谷崎は三つ上の24歳で、彼らが洋書を読んで想像する世界が、「ゲーテ座」の舞台では俳優たちの肉体を通して再現されていた。加えて芝居を見に来ている西欧人の男女の姿が彼らの想像を一層刺激した。
 横浜馬車道の大店に育った北林透馬は、16歳のときにはじめて「ゲーテ座」の扉をくぐったが、そこのいる女性たちの香水の香りにむせる思いをしたことをいつまでも忘れなかった。和辻哲郎が「三晩くらいは夢にみるだろう」というのも同じ気持に違いなかった。和辻にしても筋は分かっても台詞は十分には理解できなかった。それでも魅了されたのは、そこに出現している西洋の空気であり、女優や観客の女性たちの美しさだった。
 ゲーテ座で観劇するには、東京から横浜(現在の桜木町駅)まで汽車に乗り、そこから歩いて山手まで行く必要があった。しかも開演は夜9時と決まっていたから、宿が取れない場合には駅などで夜をすごす覚悟で、毛布持参のものも少なくなかったという。
 だがこのころから山手のゲーテ座を訪れる日本人は次第に少なくなっていった。明治41年(1908年)11月には、本格的な西洋式劇場である「有楽座」が、3年後の明治44年(1911年)3月には「帝国劇場」が建設されて、来朝する劇団は必ず東京でも上演するようになったからである。(続)
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by monsieurk | 2013-06-16 22:28 | 芸術 | Trackback | Comments(0)