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小牧近江のヴェトナムⅧ「小松清1」

d0238372_193943100.jpg 小松清は1900年(明治23年)6月、神戸に生まれた。小牧近江より6歳年下である。画家を志した小松は21歳だった1921年の夏に、日本郵船のクライスト号でパリをめざした。画家の坂本繁二郎、小出楢重、硲伊之助などが同じ船だった。
 パリについた小松は画塾で絵を学ぶかたわら、カルチエ・ラタンにあるフランス語学校に通い、左翼系の新聞「リュマニテ」を買っては辞書を引き引き読むことを日課とした。パリに落ち着いて1カ月ほどがたった7月、アメリカでサッコとヴァンゼッティの二人のアナキストにたいして死刑判決が下され、パリでも彼らの即時釈放を求める大々的な集会が開かれた。小松も8月23日に、集会が開かれる17区の「ワグラム会館」へ行くと、さまざまな政治組織の代表が次々と立って演説をした。
 フランス共産党中央執行委員マルセル・カシャンが演説をはじめたとき、後ろから声をかけてきた者があった。振りむくと精悍な顔つきの東洋人の青年で、グエン・アイ・コォクと名乗った。後のホー・チ・ミンで、これをきっかけに二人は互いの下宿を訪ねあう仲となった。
 小松清に転機が訪れたのは1931年2月のことである。そのころモンパルナスのグラン・ショミエール絵画研究所で学んでいた彼は、同じ教室仲間のフランソワーズ・ジレから借りたアンドレ・マルローの『征服者』を読んで感動した。
 1925年の広東動乱を背景にした小説では、中国で生まれつつあった革命の現実、行動による権力を掌握しようとする意志、死や苦悩や屈辱に抗する人間の自由などが緊迫感を持って描かれていた。それは従来のヨーロッパの小説がもつ異国趣味とはまったくちがう作品であった。
 感激した小松は出版元のグラッセ社気付けでマルローに宛てて手紙を出した。するとマルローからすぐに返事が来た。2月20日付けの手紙にはこう書かれていた。
 「拝啓、
 現在のところ、水曜日と土曜日を除いては、ほとんど毎日、5時ごろには、NRF〔ガリマール社〕にいます。近いうちにお会いできたらと思います。     敬具」
 2月末の夕方、グラン・ショミエールでのデッサンをすませた小松は、パリ7区のセバスチャン・ボタン通りにあるNRFまで歩いて行った。
 「私はその日の夕刻までモンパルナスのアカデミイでの絵画の仕事を済ませてから、歩いても十分ばかしのところにあるNRFまで散歩かたがた歩いて行った。面会の時間はたしか六時すぎだった。NRFの事務は土曜日を除くほか六時に終わるからである。入口の重い扉を押して這入ると、内部は随分思い切ったモダァンな構えで、一寸外国映画のセットを想はず感じた。
 受付の若い女が卓上電話でマルロオ〔ママ〕に私の来訪を伝えてくれた。まだ書きものをしているからもう十五分ばかり待っていてくれとの返事であったので、私はそこらの椅子に腰をかけて待っていた。それから数分たってから、私もマルロオに会うべく階段を登って行った。(中略)扉を叩くと神経質な甲高い声が響いて、這入って下さいといった。声だけきいても何か胸にぎっくり刺されるような気がした。
d0238372_19393855.jpg 扉をあけた瞬間、よく写真でみた彼の俊鋭な風貌が眼のまえに強く克明に浮かんできた。そして瞬くまに、メスのように鋭利に優美に、しかも悲痛な力で私に迫ってくるものを私は全身で感じた。」(小松清「NRFの思い出」、『創造の魔神』所収)
 これが三十年におよぶ二人の友情の出発点だった。この夜彼らは凱旋門に近いバーで夜遅くまで話し合った。話題は東西文明について、文芸復興期の巨匠や印象派以後の絵画について、さらには中国革命にもおよんだ。
 このあと二人の交渉は急速に進み、小松が紹介した近藤浩一路をまじえて深まった。近藤浩一路は東京美術学校で藤田嗣治の同級生で、この年の三月下旬に個展を開く目的でパリにやってきていた。
 近藤は油彩から水墨画に転じていて、彼の水墨画はマルローを強く惹きつけたのである。ヨーロッパの絵画とちがい、中国や日本の伝統をうけついでいるが、その感覚は主観的かつ情緒的なリズムのままに現代の空気と光を自由には反映していて、それがマルローには不思議でもあり魅力でもあった。
 出版社NRFの美術部門の責任者だったマルローは、これをきっかけに夫人のクララとともに、ペルシャ、インド、中国をまわって最後には日本へ行き、展覧会を催すために現代の日本美術の作品を探すことにした。
 二人がマルセイユを出発したのが1931年の5月中旬。日本には1カ月滞在の予定だったが途中の旅程がのび、彼らが神戸に到着したのは、10月7日のことだった。港では近藤浩一路と、一足先に帰国した小松清が出迎えた。
 マルローは神戸港で小松の通訳で記者会見をすますと、一同は舞子の浜までドライブし、料亭萬亀楼で昼食、夜は京都の都ホテルで宿泊した。関西滞在中は太秦の撮影所、伏見稲荷、醍醐寺、桂離宮などを見学し、近藤浩一路のアトリエ墨心舎を訪問して会話を楽しんだ。このときも小松が通訳したが、近藤の風貌と彼との間で交わされた話は、このとき構想されていた『人間の条件』のなかの蒲(カマ)画伯、クラビック男爵、ジゾール教授の会話として活かされることになる。小説の主人公は日本人の母とジゾール教授との間に日本で生まれたという設定で、名前のキヨは小松清からとられたものである。
 マルローと小松の一行はその後大阪で開催中の南画展を訪れて、水越松南の《化粧》に感激して、やがてマルローは水越に関するの批評文を書いた。
 10月13日には東京に移り、銀座の楽器店で雅楽などのレコードを探し、神田の洋書店ではマルクスの仏訳版『資本論』を買った。これからの船旅の道連れのつもりだったが、『資本論』は日本滞在で得た印象とともに、『人間の条件』の全体のトーンに色濃く反映されることになる。
 マルローは10月15日午後3時、横浜港から氷川丸でバンクーバーに向けて出航した。船中から小松宛に手紙には、「君のおかげで日本で味わうことのできた数々の気配りや親切について、僕が自分の名声のせいだなどと思ってなんかいないことは理解してください。この国についてどう考えるかは、自分でもまだはっきりとは分からない。しかし君とフランスで再会するころまでには、分かっているだろう。・・・。
 さようなら。つぎは女給の迎えも、人もいないレストランで一緒に夕食をとろう。だがレストランから出たときに歩道に立っている娼婦たちは、京都のほど見栄えがしないと思うが。
 妻から君と妹さんへよろしくとのことだ。僕も同じく。                                 
                    アンドレ・マルロー」と書かれていた。
 マルローの日本滞在はわずか9日間だったが、収穫は大きかった。それはこの旅行の間中構想を練り、草稿を書きついでいた次作『人間の条件』に活かされることになる。小松清は1932年にマルローから受け取った手紙を紹介している。
 「日本を旅行しながら君に『征服者』の続編のことを話したことがあるだろう。僕はいまその制作の最中だ。詳しいことは手紙では書けぬ。けれども技巧の問題は愈々発展しつつある。この点だけでも、今度の作品はからり変わったものになるだろうと思う。十人あまりの人物が作中に活動する。それがみな重要人物だ。が、登場人物は全体で約四十人位になる。自分の希は、悲劇的(トラヂック)なるものをずっと深く進めて行きたいことだ。悲劇的事実の描写だけに作品を局限したくないのだ。自分は思う静寂(セレニテ)は悲劇よりも悲痛となり得る。(小松清「アンドレ・マルロオの行動と文学」)
 マルローとの交流は小松の進む道に影響をあたえた。彼はやがて絵筆をペンに持ち替えて、積極的にマルローの存在と作品を日本に紹介することをはじめ、『征服者』やNRF系の文学を紹介する一方、「行動主義」を標榜してヨーロッパや日本で進むファシズム体制に対抗してヒューマニズムの立場を鮮明にして、思想統制に反対し、文化の擁護のために積極的に活動するようになった。
 その典型的な例が、小松清が編集にあたり、1935年(昭和10年)11月に第一書房から刊行した『文化の擁護』である。これには「国際作家会議報告」という副題がついている通り、この年の6月21日から25日の5日間。パリのミュチュアリテ会館を会場に、「文化擁護のための国際作家会議」が開催された会議の報告である。
 会議には世界38カ国を代表する250名の作家たち、イギリスのオルダス・ハクスレー、ドイツのローベルト・ムジール、ベルトルト・ブレヒト、ハインリッヒ・マンなどが参加し、フランスからはロジェ・マルタン・デュ・ガール、アンドレ・マルロー、アンドレ・ジッド、アランたちが彼らを迎えた。もちろんアンリ・バルビュスやロマン・ロランの顔もあった。
 大会では、文学者、芸術家、知識人の立場と役割、個人と社会、知的労働と肉体労働、作者と読者の関係といった問題にはじまって、民族と文化、階級と文化、思想の尊厳と言論の自由などを中心に、芸術と政治の関係が多角的に議論された。小松はいち早く会議のテクストを入手して、これを翻訳して日本に紹介したのである。だが日本の政治社会情勢は、こうした活動の余地を奪いつつあった。
 小松が報知新聞特派員の肩書きをえて、ふたたびフランスへ向ったのは1937年8月のことである。実質は国外脱出であり、6年ぶりのパリであった。
 
 (なおインドシナ時代以後のアンドレ・マルローについては、拙著『若き日のアンドレ・マルロー 盗掘、革命、そして作家へ』(行路社、2008年)に詳しく書いた。)
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by monsieurk | 2013-08-03 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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