フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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小牧近江のヴェトナムⅩⅡ「3・9事変」

 小牧近江の回想録『ある現代史』には、「水煙草」と題した章があり、そこには次のように記されている。
 「いろいろな事件があったときに、私は、その日その日のことを、はじめは日記に書きとっていましたが、どうも、いざとなって、日記につけていることがどうかと思って、フランス語で、簡単なメモをとっておくことにしました。
 詩でも散文でもない、そういう書き集めが十三篇ほど〔収録されているのは十二編〕できましたので、私を守ってくれた友人、井田鱶司さんのハノイ日南印刷から出版してもらいました。敗戦の直前に刊行された“あの日”と題するリーフレットがそれで、たどたどしい仏文です。
 そこに、どういうことを書いているかといいますと、一と口にいって、戦争中、勇ましいことを書きつらねている人が多かったようですが、私には、そういうことは書けなかった。たとえば、こんな遣瀬ないことを書いたものです。

          “水煙草”
  
  私は夜の静寂に
  水煙草を吸うのが好きである
  よく、むっくりとベッドからとびおり
  豆ランプに灯をともす
  大きな真鍮の盆にゴタゴタ並べられているあのひとつだ
  ジューッと油がもえ
  さむざむと明りをはなつ
  水煙草の白い煙りが
  むくむくと立ちこめる
  とぼけた道化役者があらわれてくる
  まるで幻覚のように
  私そっくりじゃないか
  あわれなイメージ
  私は思わず吹き出したくなる
  いいんだよ
  いいんだよ
  私は夜の静寂に
  水煙草を吸うのが好きである」
 これは“LA PIPE À EUA”と題された詩を小牧自身が訳したもので、「道化役者云々」のくだりは、原詩では、
  “Tout à l’heure
   dans les bouffons blanches apparaîtra
   comme une hallucination,
   un bouffon bien drôle.
triste image de mon espèce,”となっている。
 hallucinationはここではアヘンや薬物などの吸引で生じる幻覚をさしている。
d0238372_23452994.jpg ハノイで印刷された“une date・・・”は文字通りの稀覯本だが、小牧家に所蔵されていた一冊が、遺族の桐山香苗氏によって「あきた文学資料館」に寄託され、2008年(平成20年)9月から開催された「小牧近江資料展Ⅰ」で公開された。その折に資料館の厚意で写真に撮ることを許された。
 リーフレットは裏表の表紙が縦23センチ、横14.8センチで、その間に縦21・7センチ×横13.8センチの、詩を印刷した紙を綴じこんだ形になっている。
 収録された散文詩は、「わが兄弟を失う」、「要塞」、「傷ついた馬たち」、「海賊たち」、「学徒兵」、「寄宿生たち」、「母と子」、「こおろぎ」、「告訴人への答え」、「リヴォルバーの歌」、「水煙草」、「三人の殉教者」の十二篇である。この貴重な作品を読み解きながら、小牧近江の心情とヴェトナムの若者との交遊をたどってみることにする。

 
        “傷ついた馬たち”
 
   お前たちは苦しんだにちがいない
     機関銃のはぜる音や
     砲弾の炸裂する下で
     傷ついた馬たち、
     背中の痛々しい肉には、
     苦労の痕が刻まれている。
   お前、鎖につながれた哀れな馬よ、
     お前は不安な夜をすごしたのだ。
   お前は運命の瞬間までは
     のほほんと生きてきた
     でも、一夜のうちにお前の涙は干上がった
   私はお前の運命に思いをはせる
     哀れなわが盲目の馬よ。
   お前は苦しんだにちがいない、
     傷ついた馬たちよ。
   いまは安んじているがいい、
     お前たちは戦友のように
     絆で結ばれた新たな主人がいる
   あそこではもう、一人の兵士が
     お前の泥だらけの脚を洗っている、
     別の兵士は梳いた鬣を野の花で飾っている。
   光り輝く空のもと、
     人と馬は一瞬すべてを忘れる
     まるで何事もなかったように、
     過ぎ去った夜の数々の不幸を。
 
 戦場で働き傷ついた軍馬に注ぐ小牧の眼は優しく、馬たちが感じたであろう恐怖までを慮る。そしてその想いは馬の世話をする日本軍の兵士の上にもおよんでいる。
 小牧は日本軍のインドシナ進駐をどうに受けとめていたか。それは、「お前たちは戦友のように絆で結ばれた新たな主人がいる」以下の言葉の解釈にかかわるが、日本の政策を強く批判をしているようには受けとれない。彼は現実を現実として肯定しているようにみえる。
 もう一篇「学徒兵」を読んでみよう。

 
            “学徒兵”
 
   これは内側から閉じられた
     あるカフェでのこと。
   たまたま私は常連客たちの
     真ん中に座った。
     私だけがよそ者だった。
   私は引きつった彼らの顔を、
     血走った目を見やった。
     それはショックがあまりにも大きく
     明日のことも定かでないためだった。
   離れたテーブルに
     老人が一人、
     一夜で髪は真っ白くなり
   彼は黙って、コップを見つめていたが、
     それさえ見てはいなかった。
   私は彼が行方不明になった学生の
     父親なのを知っていた。
   他の大勢の学生とおなじく
     若さゆえの情熱が
     この悲劇の夜、彼を行方知れずにしたのだ。
   私はまた彼は引退した官吏で
     年老いた彼のたった一つの希望が
     息子である学生だったことを知っていた。
   私はたった一人の息子、学徒兵からの燃えるような手紙を
     読んでばかりだから、
     この単調な世界にあって
     私はもう自分が孤独だとは感じなかった。
   いまは私たち父親たちから
     遠く離れ、遠方にいる
     今日の青春の熱い魂を
     よりよく理解できると思った。

 この学徒兵とはヴェトナム独立のために身を挺して戦っている若者である。小牧の周囲にはそうした若者たちが多く集まっていた。そんな学生の幾人かが、「悲劇の夜」に行方不明になり、あるいは命を落としたのである。この悲劇の夜とは、日本軍が1945年3月9日に突如起こした軍事行動である。
 1944年秋から45年の春にかけて、アメリカ軍はサイパン、レイテ、ルソン、硫黄島、マニラと攻略していった。次の上陸地点はインドシナだろうというのが大方の見方だった。 
 ヨーロッパでも1944年6月にはノルマンディー上陸作戦が行われ、8月25日ついにパリが解放された。フランスではヴィシー政権が消滅し、戦争中ロンドンにあった亡命政府「自由フランス」のシャルル・ドゴールが帰国して臨時政府を樹立した。ただドゴールは戦力上の配慮から、インドシナは当分の間はヴィシー時代と同様な状態におくことにした。
 翌1945年2月4日にはヤルタ会談が開かれて、ドイツや日本の敗戦は時間の問題と考えられた。この情勢のなかで、インドシナのフランス人たちが希望を持ったのは当然である。日本軍の進駐後、その政策に順応していたフランス総督府と軍は次第に抵抗の機運をみせるようになった。アメリカ軍の上陸に呼応して立ち上がるといった話がまことしやかにささやかれた。
 3月9日の夜、日本軍が先手をうってフランス軍の武装解除のためにク・デタを断行した最大の理由はこうした情勢の変化にあった。日本軍はフランス側の要人を拘束し、その一方、拘束されていたヴェトナム人の独立運動家などを釈放した。
 親フランス派と目されていた小牧近江や小松清には、ク・デタ決行の情報は事前には知らされなかった。しかし何かことが起きそうだという雰囲気は十分に感じられた。小松には日本軍のク・デタはヴェトナム独立の前触れに思えた。彼は事件の勃発を知ると、アンナン人の青年たちやかねて関係のあった海南島を経由して物資の輸送にあたっていた日本の青年たち(彼らは俗に海賊と呼ばれていた)を指揮してフランスの刑務所を襲い、政治犯を解放させた。このように日本軍のク・デタを独立の好機ととらえて、日本軍と行動をともにしたヴェトナムの若者たちがいたのである。
 しかし日本軍がこのとき親日派のバオ・ダイ(保大)帝を擁立して、ヴェトナムの独立を宣言させたのはあくまで日本側が起こした軍事行動の副産物にすぎなかった。3.・9事変後、ヴェトナム、ラオス、カンボジアは独立の方向に向かったが、ヴェトナム、ラオス、カンボジアはフランス統治時代の形のままで、ヴェトナムはバオ・ダイ皇帝の国となり、カンボジアではシアヌーク国王が、ラオスではルアンブラバンの王室が残った。
 これは独立運動家たちが夢見たものとはまったく異なっていた。そうしたなかで、ホー・チ・ミンが指導する越南(ヴェト・ミン)が彼らの不満を吸収し、勢力を拡大していった。
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by monsieurk | 2013-08-15 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)