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[太宰治と旅する津軽」

 太宰治については大方の読者と同じで、高等学校時代の一時期夢中で読んだ。とくに魅かれたのは『斜陽』だった。その後ながらく手にとることはなかったが、唯一、『津軽』は幾度も読み返し、愛読してきた。
 前回紹介した鎌田紳爾氏の朗読会で面識をえた新潮社出版企画部の編集委員、金川功さんから、ご自身が企画・取材された「とんぼの本」の一冊、『太宰治と旅する津軽』(2009年、新潮社)をお送りいただいた。
 冒頭に置かれた「『津軽』名場面十選」は、太宰の文章の抜粋と、写真家小松健一氏の写真、それに金川さんの取材記で構成されていて、『津軽』を視覚化した素敵な一冊である。金川さんが鎌田氏と出会ったのは、この取材旅行の際で、太宰にまつわるさまざまな場所を案内してもらったのだという。
 『津軽』は太宰治が敗戦の前年の昭和19年(1944)5月、小山書店の依頼で、津軽風土記を書くために故郷へ帰ったときになった。このとき太宰は35歳だった。
 亀井勝一郎は、新潮文庫のあとがきでこう書いている。
 「津軽風土記をかくために久しぶりで帰郷したが、彼の生涯の中でのおそらく最も思い出多い旅であったろう。昭和14年東京都三鷹に居を定めてから、心身ともに健康となり、多くの代表作を発表した。20年の終戦まで、この7年間は太宰文学を確定した大切な時期で、彼が生前にかいた八つの長編小説の中の六篇までは、この時期に出来あがっている。『斜陽』、『人間失格』が最も有名だが、彼の本質を一番よくあらわしているのは『津軽』である。私は全作品の中から何か一篇を選べと云われるなら、この作品をあげたい。
 太宰文学の裡に、旧家に生まれたものの宿命を見ることが大切である。旧家は魔性の古沼のようなもので、代々の恨みを宿した奇怪に捩れた生命が生まれる可能性をもつ。そこには格式の高い、潔癖な倫理性と、同時にそれに反撥するような淫蕩の血と、この矛盾した二つのものが摩擦しあいながら流れている。異形のものが形成されるこれが根源となる。太宰は津軽の古い豪家に生まれたが、あの暗い憂鬱の翳は旧家の翳だと云ってもよかろう。そこに生得的ともいえる自己否定が生まれた。換言すれば、自分の「家」から、いかにして逃亡するか。更に自分自身から、いかにして逃亡するか。つまり自分の背負わされた運命への抵抗とそのための傷痕が、彼の文学に一筋の道として通っている。」
 亀井勝一郎の解説は、新潮文庫版『津軽』の初版が刊行された昭和26年(1951)に書かれたもので、太宰文学の特徴を言い当てたものとして、よく引用されてきた。
 『津軽』の冒頭はこんな風に書き出される。

 
 「ね、なぜ旅に出るの?」
 「苦しいからさ」
 「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」
 「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、齋藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十 七、芥川龍之介三十六、嘉村磯多三十七」
 「それは、何の事なの?」
 「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとって、これくらいの年齢の時が、一ばん大事で」
 「そうして苦しい時なの?」
 「何を言ってやがる。ふざけちゃいけない。お前にだって、少しは、わかっている筈だがね。も、これ以上は言わん。言うと気障になる。おい、おれは旅にでるよ」

 「『津軽』名場面十選、その二」では、この冒頭の文章を引用し、小松健一氏の撮影になる、草原を走る一両だけ津軽鉄道のモノクロ写真が添えられている。さらに編集者の次のようなコメントが記されている。
 「〈本編〉冒頭の一節。書き出しの二行がよく知られているが、続く数行も、後の太宰の生き様を鑑みると、なにやら暗示的である。ノンフィクションでありながら、随所に太宰的小説世界を盛り込んだ傑作『津軽』を象徴する見事な書き出しだ。(中略)初夏の津軽路を約3週間かけてあるいた太宰は、同年の7月に脱稿、11月に本を刊行している。これは相当なスピードだ。まさに一気に書き上げたのだろう。写真は、金木郊外を走る津軽鉄道。」
 東京を発った太宰は青森を経由して、蟹田、三厩、竜飛、生家のある金木、五所川原、木造、深浦、鰺ヶ沢とまわって、懐かしい人たちと再会する。その後小泊を訪ねて、かつて自分の子守をしてくれた越野タケを探し当てる。
 「『津軽』名場面十選、その十「再会の日」」――
 「物語のクライマックス、タケ(小説では「たけ」)との再会の場面。タケは2歳から7歳までの太宰の子守りを務めた女性で、太宰は30年ぶりに彼女に会うために、そしてその再会の場面を書くために、この『津軽』執筆の仕事を受けたのかも知れない。
 小泊には、〈小説「津軽」の像記念館〉があって、その庭に、この場面を再現したふたりの像がある。仲良く並んだふたりは、今もすぐ下の運動場を眺めている。写真は雨の日、台座に映った太宰とタケの像。」
 『太宰と旅する津軽』には、「津軽」の他に、「富嶽百景と甲府時代」、「滅びの風景」の項があって、太宰の人生の軌跡を文章と多くの写真でたどっている。
 写真といえば、生前の太宰治を撮ったものとして、バー「ルパン」の止まり木に胡坐をかいて坐る写真が有名だが、これは林忠彦がたった一度出会った太宰を撮ったもので、林の代表作となった。
 もう一人太宰を撮った写真家に田村茂がいるが、小松健一氏は田村と生前交遊があり、本のなかで、「「無頼」に生きたふたり――小説家・太宰治と写真家・田村茂をめぐって」を載せている。それによると田村が太宰を撮影したのは『人間失脚』を執筆する直前の1948年2月のことで、27カットが残されているという。
 本では、黒のインバネスを着た太宰が跨線橋の上で遠くを見ている姿、跨線橋の階段を下りてくるところ、飲み屋の「千草」で女将に酒を注いでもらっているシーン、玉川上水の土手の草の中に立ち、カメラを真っ直ぐ見つめている少しはにかんだような表情の太宰、街角でたたずむ太宰、古本屋で本に見入るところ、このころ仕事部屋としていた山崎富栄の部屋で、座机に肘を乗せた左手で頬杖をつくポーズの写真が掲載されている。この最後の写真は特に有名だが、小松健一氏によれば、27枚の写真をつなげてみると、太宰と田村は一日でこれらの写真を撮ったことがわかり、しかも撮影場所はいずれも仕事部屋の近くであった。なお田村茂はベタ焼きのうち、自信作の4枚に丸印をつけているという。
 「とんぼの本」のモットーは、「見る愉しみと読む歓び」というそうだが、『太宰治と旅する津軽』もそうした一冊に仕上がっている。
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by monsieurk | 2013-09-02 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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