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ムッシュKの日々の便り

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マルローのインドシナⅩ「新総督ヴァレンヌ」

 1925年7月29日、空席だったインドシナ総督に、社会党のアレクサンドル・ヴァレンヌが任命されたことが発表された。
 ヴァレンヌは弁護士兼ジャーナリスト出身の社会党員で、国民議会の副議長をつとめ、自由主義者として名声が高かった。そういう人物ならばインドシナの植民地政策を一新してくれるかもしれないと、マルローとモナンは喜び、その一方で総督府の役人たちは不安を隠さなかった。
 ヴァレンヌがインドシナへ着任したのは、「鎖につながれたランドシーヌ」の刊行直後の11月18日である。当日のサイゴン港にはコニャック以下の顕官がいならび、恒例では新総督は金モールのついて礼服を着て姿をあらわすはずであった。ところがヴァレンヌは黒い背広姿でタラップを降りてきた。「金モールの代金を払うのはアンナン人だからね」と新総督は言った。
 「鎖につながれたランドシーヌ」は、編集長の名前で、「新総督アレクサンドル・ヴァレンヌ氏への公開状」を掲げ、政庁のこれまでの罪業を洗いざらい書きたてた。
 植民地評議会は副総督の意のままであり、商工会議所も同様である(評議会議長はシャヴィニー、商工会議所の方はド・ラ・ポムレー)。もう一つの重要な機関である農業会議所にいたっては、副総督はメンバーの選挙に干渉して、自分に都合のよい人間を強引に当選させたと、公開状は書いていた。
 新たに着任した総督のもとで開かれた最初の植民地評議会では、アンナン人の議員やモナン(彼も議員)が次々に立って、政府に提出した報告書の偽造問題を追及した。背広の新総督が、過去の腐敗に手術を施してくれるだろうと期待したのである。しかしヴァレンウは、「改革よりは法の執行の方が先である」と言明し、サイゴンに10日滞在しただけで、任地のハノイへ去った。
 この前夜、アンナン人の植民地評議会の議員、グエン・ファン・ロンは600人の現地人を集めて新総督との意見交換会を開いた。ヴァレンヌはこの会で、言論の自由にたいする著しい圧迫があるなら調査すると約束したが、同時に「もしアンナン人が言論の自由を濫用ないし悪用するなら、結果はもっと悪くなる」と警告した。
 新総督の姿勢は、マルローやモナン、そして現地の人びとが期待したものとは違っていた。かつての社会主義者も、総督として赴任してきた以上は、フランス本国に楯ついて植民地を解放する政策をとるはずもなかった。
 落胆したマルローは、紙面でヴァレンヌのことを「昨日の社会主義者」と呼んで罵倒した。のちに本国でヴァレンヌに会ったクララは、この当時の彼の態度を理解できなくもないと語っている。しかしこのとき24歳のマルローにそんな余裕はなかった。新総督の着任だけが最後の切り札だったが、それが裏切られたのである。マルローが本国へ帰国する旨の記事が載ったのは、それから間もなくのことである。
by monsieurk | 2013-10-02 22:30 | フランス(文化)
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