フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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ジュール・シュペルヴィエルⅠ

 若いころ、フランスの詩人ジュール・シュペルヴィエル(Jules Supervielle、1818-1960)を集中的に読んだことがある。d0238372_927371.jpgきっかけは高等学校時代に、堀口大學訳の短編集『ノアの方舟』(昭和14 年、第一書房)を神田神保町の古本屋で見つけ、すっかり魅了されたことだった。
 その後、ガリマール書店から出ているこのコント集と幾つかの詩集の原書を入手して読んだ。やがて卒業論文のテーマを決める際、スタンダール学者の小林正助教授に、「マラルメにするかシュペルヴィエルのコントにするか悩んでいる」と相談すると、「まだシュペルヴィエルのコントで論文を書いた者はいないから、ぜひシュペルヴィエルを選んだらいい」と助言された。だがこのときは東大を定年退職されて、中央大学でマラルメの後期ソネを講じておられた鈴木信太郎先生の講義の聴講を許されており、結局マラルメをテーマに選んだ。ただシュペルヴィエルはその後も事あるごとに手にしてきたし、3・11の大震災直後は、宮沢賢治とともに読み返しては心を癒されたものだった。
 最初に読んだシュペルヴィエルの短編集『沖のこども(L’Enfant de la haute mer)』は、1930年12月23日に、当時はNRF・新フランス評論社と称していた「ガリマール書店」から刊行された。ここには表題の「沖のこども」(「沖の小娘」、「沖の少女」、「海に住む少女」などとも訳されている)以下10篇のコントが収められている。まずは「沖のこども」の冒頭を、懐かしい堀口大學訳で引用してみる。
 「この、水に浮かんだ道路が、どうして出来たものか? どんな水夫たちが、どんな建築師の手を借りて、大西洋の遥か沖合の海面、六千メートルもある深海の上に、これを造ったものか? 今ではすっかり褪せてしまって、仏蘭西鼠に近い色に見えている赤煉瓦のこれらの家々も、瓦葺きの、スレート葺きのこれらの屋根も、いつ見ても変りない貧しげなこれらの店々も? また透し彫りのどっさりしてあるお寺のあの鐘楼も? それから、見たところでは、ただ海の水が満たしてあるだけだが、どうやらそれでも、壁をめぐらしたり、壜の底を置き並べて飾りにしたりした庭のつもりらしく、そこでときどき魚がはねているこの庭も?
 波にも揺れずに、いったいどうしてこれが立っているのだろう?
 それから、固い地べたを歩くと同じように、確かな歩調で、木靴の歩みを運んで通る、ひとりぼっちの十二になるあの小娘にしても? いったいこれは、どうしたことなのであろうか?
 それらのことがおいおい目の前に見えて来るにしたがって、また、それらが分かってくるにしたって説明するとしよう。それでもまだ分からないことがあるかも知れないけれど、それは仕方のないことだ。」
 堀口大學のあとにも幾人かが翻訳をこころみているが、みなが上記の一節、un jardin clos de murs, garnis de tessons de bouteilles を、「壜の破片で飾った壁」の意味に解しているが、ここでは壜の破片は飾りではなく、よそ者の侵入を防ぐために壁の上に埋め込まれているのである。追々判るのだが、少女が住む大西洋の沖にある街は、彼女以外だれも住人はおらず、そんな用心は不要なのにもかかわらず、家をめぐる壁には侵入を防ぐ策がほどこされていて、それが一層彼女の孤独ぶりを際立たせるのである。
 だがこれは例外であって、堀口大學とシュペルヴィエルとの相性は抜群で、両者の夢の波長が重なっているために読んでいて快い。堀口大學は外交官だった父九萬一がブラジルに赴任していたとき、父のもとで青年時代をすごした経験があり、シュペルヴィエルの描く世界は馴染みのものであったのである。
 ところで詩人のシュペルヴィエルにとって、コント(短篇)を書くことはどのような意味をもっていたのか。彼は1951年に刊行した詩集『誕生(Naissances)』に付属の形で、自らの詩論ともいうべき「詩法について考えながら」を発表した。そこで次のように述べている。
 「私は大部分の作家につきまとっている低俗さへの恐怖をほとんど持っていない。むしろ理解されないこと、異常なものとされることを恐れてきた。私は神秘の専門家のために書いてきたのではなく、感受性のある人が私の詩篇の一つでも理解してくれなかったときは、いつも苦しんできた。・・・
 説明ということに関しては、人はそれを反詩的なものだという。そしてそれが論理学者が理解しているような意味での説明ならば、それは本当だ。しかし夢のなかに沈潜している説明のなかには、ポエジーの領域をはみ出すことなく姿をあらわすような説明もあるのだ。
 だから詩人は、表面が透明になる一方、神秘がますます底の方へ深められていくような詩篇のもつ緊密さ、整合性を切望することもありうる。私は自分の詩がイマージュを秩序づけて、それらを正しくうたわせるものであることを期待する。詩篇は私のなかでは、内部の夢にひたっているものだから、私は時にはそれに物語(récit)の形式をとらせることも恐れない。コント作者の論理が、詩人のさまよう夢想を監視するのだ。詩篇全体の緊密さは、それによってその魔法の力を打ち壊すどころか、逆にその土台を固めるのだ。コント作者が私のなかの詩人を見張るというとき、もちろん私は、さまざまな文学のジャンルの相違を見落としているわけではない。コントは一つの点から他の点へまっすぐ進むが、詩篇は、私が一般に理解している限りでは、同心円を重ねて進行する。」
 シュペルヴィエルは、当時一世を風靡していたシュルレアリストのように過度に神秘的であることを嫌い、何よりも読者がテクストを理解してくれることを望んだ。その彼が選んだ表現形式が詩句でありコントなのだが、「コント作者の論理が、詩人のさまよう夢想を監視し」、「一つの点から他の点へまっすぐ進む」分だけ、コントは読者に理解されやすいという。
 シュペルヴィエルにとって、詩句もコントもともに重要なものだが、彼の詩的世界への参入するには、私がたまたまそうであったように、まずはコントを読むのがいいかも知れない。そこでは生と死、現実と夢想、地上と天上、人間、動物、植物を隔てる垣根が取りはらわれていて、私たちはシュペルヴィエルの宇宙を自由に行き来することになる。
 「詩法について考えつつ」は、シュペルヴィエルの詩業を理解する上で一つの鍵となる文章であり、これからも引用することになるが、そもそもジュール・シュペルヴィエルとはいかなる詩人なのか、フランス現代詩に何をもたらしたのだろうか。(続)
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by monsieurk | 2014-02-01 22:23 | | Trackback | Comments(0)