マラルメの肖像ⅩⅣ「記念プレートとメダル」
「マラルメ協会」は詩人の思い出をもつ人々や、マラルメの詩を愛好する人たちによって結成された。会長は置かず、マラルメの女婿(ジュヌヴィエーヴの夫)のボニオ博士が会員の筆頭に名を連ねた。「マラルメ協会」は設立の記念に、ヴァルヴァンの別荘に記念プレートを掲げることを決め、その制作を彫刻家に依頼した。マラルメが亡くなったのは9月9日であり、制作期間は3カ月しかなかった。
記念式典は25周年から1カ月遅れて、1923年10月14日にヴァルヴァンで行われた。会員以外にも多くの参列者があり、アンドレ・ブルトン、アンリ・ド・レニエ、マルグリット・モレロ、ジュール・シュペルヴィエルなどの顔もあったが、ヴァレリーやポール・フォールは出席しなかった。
一同はサモロの墓地を訪れたあと、マラルメの家の隣に店を開いたレストラン「ヴァルヴァン橋」で昼食をとり、その後、マラルメが愛した別荘の正面の壁に記念プレートをはめ込んだ。記念プレートには、「ステファヌ・マラルメは / 1874年から1898年まで / 彼が愛したこの家に住み / ここで亡くなった」と彫り込まれていた。
同年、同じ彫刻家の手でマラルメの横顔を彫刻したメダルが200個つくられた。鋳造を担当したのは、パリオルロージュ河岸37番地の「A.ゴダール」で、裏面には、「ステファヌ・マラルメ / 1842年ー1898年 / マラルメの死後25周年を期に / マラルメ協会の支援のもとで鋳造された」と刻まれている。