蛍
鑑賞のための道には、所々小さな蛍光灯が置かれているだけで、蛍は川とそれを被う木々の間を低く高く飛び交い、灯りを点滅させる。そのたびに周囲で遠慮がちな歓声があがる。
たまたま一匹が近くに飛んできて、葉の先にとまった。両手でそっとつつみ込むと、上手く捕えることができた。それを2歳半の孫の掌に移すと、逃げずにそこでも点滅を繰り返す。小さな掌を組み合わせた内側が明るくなったり暗くなったりする。灯りは幼い指を透かして外側へも洩れてくる。それを見ながら、梶井基次郎の「橡の花」の一節を想った。
「しばらくして私達はAの家を出ました。快い雨あがりでした。まだ宵の口の町を私は友の一人と霊南坂を通って帰ってきました。(中略)我善坊の方へ来たとき私達は一つの面白い事件に打(ぶつ)かりました。それは蛍を捕まえた一人の男です。だしぬけに「これ蛍ですか」と云って組合わせた両の掌の隙を私達の鼻先に突出しました。蛍がそのなかに美しい光を灯していました。「あそこで捕ったんだ」と聞きもしないのに説明しています。私と友は顔を見合わせて変な笑顔になりました。やや遠離(とおざ)ってから私達はお互いに笑い合ったことです。「きっと捕まえてあがってしまったんだよ」と私は云いました。なにか云わずにはいられなかったのだと思います。」
友人への手紙の形式をとった小説で語られる逸話である。孫が掌をひろげると、蛍は闇の空間に飛び去った。
意図して蛍を見た最初は、いま孫を連れている息子がまだ幼稚園児で、夏休みに大分の湯布院へ出かけたときだった。わたしが子どものころは、吊った蚊帳のなかに蛍を放した記憶がある。焼け跡が残る東京でも、梅雨前にはあちこちで蛍が飛ぶのが見られた。採った場所の記憶がないのは、どこにでもいたからだろう。
京都の岡崎ですごした6年間は、毎年すぐ近くの哲学の道沿いの疎水へ蛍がりに出かけた。蛍が飛びはじめると、どこからか情報が伝わってくる。若王子から銀閣寺参道までの間をゆっくりと蛍を見てあるく。途中、橋の袂に大きな桜が水面近くまで枝をのばしている処があり、そこは一段と闇が深く、蛍の光も栄えた。蛍の数は年によって多少があるが、疎水には蛍が好むカワニタが多く、京都名所の一つだった。今回はそれ以来の蛍見物だった。
草を打(うつ)て蛍いつはる団(うちわ)かな
堀川の蛍や鍛冶が火かとこそ
ほたる籠破(や)れよとおもふこゝろかな
いずれも蕪村の「夜半叟句集」から。