ムッシュKの日々の便り

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ラジオ・ドラマ「不安の夜」Ⅲ

音楽(時間経過を示す)

(N) 宿舎にもどると、部屋は暖められていた。寒い刑務所にいて、風の強いなかを歩いて来た身には暖かさがありがたかった。わたしは長靴を脱いで、本物のコーヒーを2杯つくることにした。そのとき扉をノックする音がした。

SE(ドアをノックする音)

 どうぞ。
兵士 当番兵です。牧師殿、まことに残念ですが、どうしてもこの部屋に、もう一人泊り客を入れなくてはならなくなりました。ブレンターノ大尉が、明朝、ここから東部戦線へ飛行機を乗り継がなければならないのです。今ここにおられます。
 どうぞ。
ブレンターノ大尉 ブレンターノです。(兵士に)すまないが、明朝6時半にノックしてくれたまえ。
兵士 承知しました、大尉殿。6時半にノックいたします。
ブレンターノ大尉 下の食堂では、何時からコーヒーが飲めるかな?
兵士 7時15分からであります。
ブレンターノ大尉 結構だ。それならちょうど間に合う。ありがとう。
兵士 失礼します。

SE(ドアの閉る音)

ブレンターノ大尉 お邪魔することをお詫びします。お邪魔するのは不本意なのですが。
 あなたがここにお泊りになるのは当然です。優先権などあるはずがありません。ところで、あなたはこの壁の奥まったところをお選びになられてはどうでしょう。そうして下さるなら、お休みになれるように、明かりを少し被いたしましょう。わたしはまだ2、3、どうしてもやらなくてはならない仕事があるものですから。

SE(ブレンターノ大尉が近づいてくる足音)

ブレンターノ大尉 牧師殿の手の中にあるローマ数字の3――それは決してよいことを意味するものではありませんね。
 ご推察の通りですよ。
ブレンターノ大尉 (かすれた声で)見てください。これがいわばわたしの死刑判決文です。
「ブレンターノ大尉は、ただちに空路、第6軍に赴くべし。陸軍中佐、師団副官。」ごたごた書くにはおよばない・・・これはこんな風に読めばいいんです。「ブレンターノ大尉は、永久に還らざることを期し、飛行機にてスターリングラードの第6軍に赴くべし」。決して誇張ではありません。死の確率はどのくらいでしょう? 95パーセントといったところでしょうか。

SE(窓に吹きつける風の音)

ブレンターノ大尉 申し上げなければならないことがあります。今夜ここでどんな人に出会うことになるのか、わたしには分かりませんでした。と言うより、わたし専用の部屋を見つけたいと願っていたのです。でも、それは無理でした。そこでお願いがあるのです。聖職者の方に向かって、こんなお願いをするのは、心苦しいかぎりなのですが、・・・いや、・・・どうしても申し上げなければなりません。・・・婚約者のメラニー看護婦が下にいます。彼女はビヤラ=ヴェルコフ野戦病院から駆けつけてきたのです。わたしがここに12時間だけいることを、テレタイプで彼女に知らせました。わたしは明日の朝、スターリングラードへ飛びます。この不安な夜に、わたしたちはここ以外に泊まるところがありません。それも、あなたが了承して、わたしたちをかくまってくださればです。厄介をおかけすることは、よくわかっているのですが・・・
 わたしのことは気になさる必要はありません。もちろん、あなた方は一緒にこの部屋に泊まってください。ただわたしは・・・いますぐ出て行って、二人きりにして差し上げたいが、それができないのです。
 ブレンターノさん、この書類をどうしても読まなくてはなりません。それも今からすぐに。ここに書かれている男は、明朝6時には、みすぼらしい棺のなかに横たわるのです。その前に、彼と話をしなければなりません。・・・こちらの方も、あなた方の場合と同様、本当に猶予がならないのです。
 奇妙な巡りあわせになったものです。あなた方お二人は、わたしがここにいないもののように、この部屋を使われることにすればどうでしょう。
 さあ、メラニー看護婦が嵐の中に立っていますよ。
ブレンターノ大尉 はい、すぐ行きます。ただ一言だけ。わたしは生活の苦しい家庭に――、言いかえれば、楽には暮らしてはいけない家庭に育ちました。しかし、父はわたしを戦争へ送り出すにあたって、詩人のクラウディウスの言葉を与えてくれました。「娘に危害を加えるな。そしてお前の母もかつては娘であったことを想え」。わたしはこの言葉をいつも思い起こしました。ただ、いまは・・・
 ブレンターノさん、いまは看護婦さんを連れてきてあげなくてはなりません。彼女に、こわがらなくてもいい、と言ってあげてください。
ブレンターノ大尉 感謝します。牧師さん。

SE(部屋の中を遠ざかる足音、扉が開閉する音)

(N) 彼は出て行った。わたしはパラノフスキーの書類を開いた。だが、精神を集中することができなかった。・・・恋人たちを助けてやらなくてはならない。宿舎は静まり返っているが、彼らが階段や廊下で、誰かに出くわさないとも限らない。急いで部屋を出ると、階段を降りて、戸外に出た。そのとき闇の向こうから大尉が姿をあらわした。彼の後ろには雨合羽にくるまれた大柄な人影が、しっかりした足取りでついてきていた。

SE(階段を静かにのぼる三人の足音)

(N) わたしたちは下手に急いだりせずに階段を上った。廊下を歩いているとき、かすかな足音を聞いたような気がしたが、無事に部屋にたどりついた。わたしは扉に鍵をかけ、かんぬきを下した。彼女はくるまっていた雨合羽を脱いで、わたしに挨拶するためにこちらを向いた。彼女は輝いていた。その存在自体が輝きだった。

 まるでモーツァルトのフィガロの一場面のようですね。これほど深刻でなければね。

SE(ブレンターノ大尉とメラニー看護婦の笑い声)

 コーヒーがもう1杯分あるのですが、コップがない・・・
メラニー わたし、紅茶の入った水筒をもっていますわ。
ブレンターノ大尉 わたしはブドー酒をもっています。
メラニー じゃあ、ほんものの宴会ができますわ。
 明かりをどんな具合にしようか、ブレンターノ?・・・これからアパートをつくらなければならない。
 メラニーさん、いささかお粗末な住まいだが、アドロン・ホテルなら、もっと快適な部屋に泊まってもらえるのですが・・・

音楽(甘美な)

(N) 本当に難しい場面では、軽やかな物の云い方だけが、局面を打開するというのは、おそらく本当だ。恋人たちの計画では、まさかこんな風になろうとは想像しなかったにちがいない。赤の他人からわずか3歩離れただけ、しかもドアで仕切られてもいないところで、別れを惜しまなくてはならないとは。しかもその別れたるや、婚礼であり、同時にほとんど死を意味しているのだ。

音楽(音楽つづく)

SE(音楽にかぶって戸外の烈風の音)

(N) わたしは書類を読みはじめると、周囲のことはまったく気にならなくなった。書類にはフョードル・パラノフスキーの犯罪を構成する事実が淡々と記されていた。
 1920年11月19日、ある女事務員の私生児として生まれている。父はドイツ国籍の、ポーランド語を話す職人。母親は彼を産んで間もなく、ホフマンという織物商人と結婚した。成人したフョードルはさまざまな職業を転々とし、戦争が勃発すると同時に軍に入隊した。添付されたある証言によれば、「パラノフスキーはどこといって特徴のない、おとなしい、まじめな兵士で、生活態度は控え目、女のもとへは決していかなかった」と書かれている。戦場では2度負傷し、2度目は膝の骨に貫通銃創を受けたために、後方の占領地区の建設部隊に移され、そこで炊事場勤務を命じられた。
 そして仕事柄、村へ卵や野菜を買い出しに行くうちに、ウクライナ女性のリューバと知り合った。リューバは若い未亡人で、幼い息子が1人いて、夫は戦闘で戦死していた。パラノフスキーが最初に魅かれたのは、子どもの方だった。
 建設部隊の駐屯地は工事とともに転々とし、その都度、駐屯地をリューバに知らせた。その手紙がナチス親衛隊・SSの臨検で発見されてしまったのだ。手紙の内容は無害なものだったが、結果として、国防軍の部隊の駐屯地をウクライナ人に知らせてしまったのだ。パルチザンの活動は、この地帯では絶えざる脅威だった。
 パラノフスキーは「軍機漏洩」の罪で逮捕され、ドゥブノーの刑務所へ送られた。判決の結果は目に見えていたから、彼は護送される途中の列車から飛び降りて、奇跡的に脱走に成功した。土地の言葉が話せる彼は、住民のなかに紛れ込み、その行方は杳〔よう〕として知れなかった。
 書類によると、3週間後、次のようなことが起こった。パルチザンの一隊がひそんでいるとされた森林地帯がしらみつぶしに捜索され、そこに住む多くの男女や子どもと一緒にパラノフスキーも捕えられた。彼らは尋問のために1カ所に集められたが、たまたまその村に、以前パラノフスキーが配属されていた部隊が駐屯していた。両手を挙げて尋問を待つパルチザンの中に、以前、部隊にいた炊事係長を見つけて、びっくりした曹長が、「おい、パラノフスキー、貴様、こんなところで何をしているんだ?」と叫んだ。
 以上が事の顛末〔てんまつ〕だった。この日狩り集められた者たちのなかに、リューバと子はいなかったが、彼らがその後どうなったかは分からない。パラノフスキーはその場で逮捕され、プロスクロールへ送られた。裁判は至極簡単なものだったらしい。彼は脱走罪で死刑を宣告された。(少しの間)
 わたしは書類を閉じた。ここに書かれているのは、愛されたことがない一つの人生の外面的な歴史だ。しかし、その内面の歴史はどのようなものなのだろう。・・・わたしは宙を見つめた。この若者がリューバとその子どもとともに、森のなかで過ごした8月の数週間の生活を、わたしは想像した。・・・・(しばらくの間を置いて)

ブレンターノ大尉(低い声で) 牧師さん、いま何時ですか?
 1時ですよ。
ブレンターノ大尉 (メラニーに向かって、ささやくように)あと6時間だね。
メラニー (ささやき声で)もう6時間だけ。
ブレンターノ大尉 6秒だ。
メラニー あと6年だわ。

SE(一段と激しく窓に吹きつける風音。窓がガタガタ揺れる音)

(N) 目をあげると、メラニー看護婦が外套をはおって立っていた。たがその様子はさっきとはちがい、黒い髪をほどいたまま、たらしていた。彼女はもはや看護婦ではなく、一人の娘、一人の女性だった。

メラニー 窓のよろい戸がやかましくって。あれをしっかりとめることはできませんかしら。
 難しいでしょうね、なにしろこの嵐だから。でも、やってみましょう。このぼろ布を押し込んでみましょう。

SE(窓を開ける。激しい風が吹き込む。窓の隙間に布を差し込み、閉める音。窓のガタガタいう音は少し小さくなる)

メラニー あの人、眠っていますわ。

 あなたも、もうしばらくお休みなさい。メラニーさん。
メラニー でも、眠る暇でしたら、これから冬じゅうありますわ。
 いまから1時間ほど、明かりを消しますよ。

(N) 彼女は別れを告げるように、黙って手を差し出し、顔をそむけた。きっと、いまにもこぼれ落ちそうな涙を見せたくなかったのだろう。
 わたしは、兄弟たち、友人たち、最愛の人たち、この夜にじっと耳をすましているすべての人びとのことを想った。疲労が目蓋におおいかぶさって来ても、眠ることを許されない人たち・・・別れを告げる人も、時には眠さに耐えきれなくなって、やがて彼らも眠る。深く、安らかに。パラノフスキーも眠っているだろう。
 嵐よ、夜の激しい嵐よ、吼え猛けり、窓をゆさぶる嵐よ、だが死に捧げられている人たちだけは、揺り起こさないでくれ。

音楽(間奏風の)

(N) いま、3時半だ。わたしは眠気を追い払うために、濡らしたタオルを目と額におしつけた。書類をかかえると、そっと部屋を出て、階段を降りた。外では嵐が吹きつのっていた。

                                                (続) 
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by monsieurk | 2014-07-08 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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