ムッシュKの日々の便り

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ラジオ・ドラマ「不安の夜」Ⅵ

(N) 道路の反対側から細い道が丘に向かって通じていた。やっと一人になれたことが嬉しかった。昨夜からの一連の体験から解き放たれたわけではなかったが、さわやかに息づく田園のなかを、一歩一歩足を踏みしめるように歩いていった。
 丘の上には、兵士たちの墓場が見えた。パラノフスキーもここに自分の場所を見出すのだ。他の兵士たちの並びではなく、墓地のはずれだろうが、そこにも安らぎはあるだろう。・・・

SE(近づく飛行機の爆音)

(N) 突然、飛行機の爆音がした。そう、ここには飛行場があるのだ。丘の上を超低空で飛び去る飛行機からパイロットが顔を出し、わたしに合図を送ってよこした。そうだ、飛行場に行ってみよう。・・・

SE(飛行場の騒音)

(N) あの恋人たちは、もう部屋にいないのは確かだが、国防軍宿舎へ帰るのはよそう。メラニー看護婦はきっと朝早く部屋を出たにちがいない。ブレンターノは彼女を送って行き、それから部屋にもどっただろう。そしていま頃は飛行場にいるかもしれない。いますぐ滑走路に行けば、彼に会えるかもしれない。

SE(飛行場の騒音、さらに強く)

(N) 飛行場は立ち入り禁止だったが、軍隊手帳をみせて、なかへ入ることができた。多くの小型機が飛び立つ準備をととのえ、整備員が右往左往していた。

空軍中佐 Good morning, chaplain.

(N) ヴィニツァ空軍基地司令官の中佐だった。彼とは職務上、ときどき顔を合わせ、親しくなっていた。彼は高潔な異教徒とでもいうべき人物で、わたしたちは音楽への愛と、ヒトラーとその一味への憎しみを共有していた。

空軍中佐 牧師さん、こんなところで何をしているんです?
私 ここで職務上の仕事があったのです、中佐殿。
空軍中佐 誰かが往生したんですか?
 往生させられたのです。
空軍中佐 ああ、そうですか。あの悪党どもめ。何もかも年貢を納めるときが来ますよ。
私 もちろんです。ただ、あそこに眠っている人たちは、残念ながら、もう生き返ることはありません。
空軍中佐 そう・・・奴らが冥府へ行くときは、亡霊たちが音楽を奏でますよ。もちろん、グルックだ・・・。われわれはきっとそれを体験しますよ。
 ところで、これからどこへ行かれるのです?
 ヴィニツァへ帰ります。
空軍中佐 自動車の手配はすんでいますか?
 いいえ、後ほど問い合わせてみます。
空軍中佐 それなら一緒に飛行機で帰りましょう。1時間後に飛びますから。
 それは有り難い。ただ、荷物を国防軍宿舎に残してあるのですが。
空軍中佐 よろしい、すぐに取っていらっしゃい。車をつかまえて街へ行きましょう。

SE(自動車がスタートする音、走行音)

(N) 中佐は司令部に用事があった。カルトッシュケのことを彼に話そうかと思ったが、言うのをやめた。ブレンターノの握手、メラニーの笑い声、そしてあの囚人の接吻。いま思い出すのはそれだけだった。

SE(自動車の停まる音)

(N)国防軍宿舎のそばで中佐はわたしを下ろしてくれた。

空軍中佐 30分後に、司令部で落ち合いましょう。それでいいですね?
 結構です。

音楽(少し明るい)

(N) わたしは裏門から中へ入った。誰にも出会わずに階段を上がって廊下を歩いて行った。部屋のドアの前で、一瞬耳をすませたが、物音一つしなかった。部屋はからっぽで、昨夜の営みの気配は何も残っていなかった。ここがあの恋人たちが愛しあい、わたしがまんじりともせずに書類を読んだところだろうか? 昨夜のあの不安と至福とを暗示するものは何もなかった。だが胸の奥にはある感覚が残っており、それを忘れることは決してないだろう。
 わたしはドアを閉めて、鍵を返しに行った。食堂では数人の将校がコーヒーを飲んでいた。ブレンターノ大尉の姿はそこにはなかった。
 司令部の建物の方へ歩いていくと、ちょうど中佐が戸口から出てきた。

空軍中佐 Evviva il pastore、牧師さん、ようこそ!

(N) 中佐はイタリア語を好んでいた。いや、すべての言語を愛していた。もとは技術者の彼は、世界を旅行してまわった経験の持ち主だった。現在の職務で彼を楽しませるものといえば、技術の進歩がもたらす魅力だけだった。とくに飛行機に関しては目がなかった。そして彼は夜になるとピアノに向かって、ヴィヴァルディーを弾いた。「私はどうも一貫性を欠いているんです、シニョール。どうもムッソリーニには反感を持てないんです。というのも、奴さんはダンテの言葉を話すんですからね」というのが、彼の十八番〔おはこ〕だった。
 Avanti、出発! と彼が叫んで、私たちの車は来たときと同じように、猛スピードで飛行場へ引き返した。

SE(飛行場の騒音)

(N)中佐は自動車を返しに行った。滑走路にはJU〔ユンカー〕52が一機とまっていた。それがスターリングラードへ向けて飛ぶ飛行機だとすぐに分かった。ブレンターノ大尉はこれに乗って、死のなかへ飛んでいくのだ。ブレンターノ中尉の姿を探したが見つからなかった。
 プロペラが回転しはじめた。その瞬間、ブレンターノ大尉の姿を見つけた。彼はしばらく前から機体の向こう側に立っていたにちがいない。このプロスクロールの土を、少しでも長く踏みしめていたかったのだろう。この街には無量の感慨があったのだから。彼は歩いてきてタラップへ向かったが、ふとこちらを見た。
その視線ははじめは、あやふやだったが、やがてわたしをはっきりと認めた。一瞬、彼はわたしの方へ駆けだそうとしたように見えた。だが搭乗員か誰かが、大声で、もうそんな時間はないと言ったのだろう。彼はやむなく立ち止まって、タラップから敬礼を送った。この敬礼は、わたしがブレンターノ大尉のなかに見受けたもの、つまり落ち着いた態度、軽やかさ、忍び寄る死のなかの朝の光、それらすべてを総括したようなものだった。すべての戦争とすべての混乱からほとんど解脱しているように見えた。・・・・
 ヒトラー式の敬礼のとげとげしい身振りは、いつもなら敵意を含んだものに思えるのだが、この時ばかりは、その身振りにこめられた厳しさがよく分かった。メラニーへの愛、恋人との一夜、そして死・・・口では表せないそうした思いを表現するのにふさわしい唯一の方法だった。わたしは敬礼を返した。やがてドアが閉じられた。そして飛行機は舞い上がった。

SE(飛行機の離陸音、次第に遠ざかる)

空軍中佐 牧師さん、お待たせしました。向こうにわたしの飛行機があります。行きましょう。出発します。

(N)それは急降下爆撃機型の複座機で、中佐は万一のために救命装置を着せてくれ、パラシュートやバンドや開き綱を説明してから、自分の座席に乗り込んだ。わたしは偵察員用の座席に乗り込んだ。
   
SE(始動するプロペラ音)

(N)プロスクロールの街はたちまち視界から飛び去った。司令部、砂利の道、最後に墓地。
 わたしたちは上空にあった。飛行機は速度をあげ、広々とした濃い褐色の大地は光りを浴びて下にあった。下界では、いつ果てるともしれない苦しい戦いが、これからどのくらい続くのだろうか? カルトゥシュケのような輩が、どのくらいの間、支配するのだろう? 罪を背負った無辜〔むこ〕の人びとが死んでいく・・・。だが、心があり、憂慮する人びとは目覚めており、最後の審判の日まで、おのれを責め続けるのだ。
 空に浮かぶ白い雲が、一瞬子どもの顔に見えた。それはリューバの息子だろうか? 私はかならず二人を探しだすだろう。やがて雲は横にのび広がった。それは眠っている人間の姿だった。棺に入っているパラノフスキーかもしれない。それとも、いまはまだ隠されているが、やがて明らかになる未来を意味しているのだろうか? メラニーは昨夜身ごもっただろうか? 
 かなりの間、低くたれこめた雲の下を、同じ高度をたもって飛び続けた。しかし、やがて密雲をやぶって、完全に澄みきった大気圏に突入した。わたしはガラスの覆いをはねのけて、大気を深く吸い込みながら身をのり出した。それは一種の歓びだった。しばらくすると中佐は機首を下げて、雲の中へ突っ込んでいった。驟雨がまるで鞭で打つように、いや針で刺すように真っ向からたたきつけてきた。覆いのガラスの天蓋を閉じることも考えず、わたしは一切のものと、荒れすさぶ嵐とも和解していた。

音楽(エンディングの音楽)

ナレーション  クレジット
                            (完)
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by monsieurk | 2014-07-14 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 上野滋男 at 2014-07-15 17:50 x
文字を読みながら本当にラジオドラマを聞いているような臨場感があり、大変面白く拝聴しました。
Commented by YK at 2014-07-15 18:48 x
上野滋男さま、感想をお寄せいただき本当にありがとうございます。実際にラジオで放送する際は、もう少し登場人物を刈り込む必要があるかも知れません。この時代だからこそ、一人でも多くの方に読んでほしい、聴いてほしいという気持です。
Commented by 大串稔 at 2014-07-16 14:14 x
ラジオドラマを久しく聞きませんが、テレビより想像力を刺激されます。興味深いテーマでした。実際に聴いてみたいです。
Commented by MK at 2014-07-16 21:18 x
ラジオドラマに脚色した後で知ったのですが、ゲースの「不安の夜」はドイツで映画化され、DVDも出ているようです。取り寄せて、観てみようと思います。どんな映像になっておりますか、興味津々です。
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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