フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

内藤濯の留学日記Ⅰ

 最近は専ら評伝や自伝に興味をもって読んでいる。先日の新宿駅西口の広場で開かれた古本市で、内藤初穂著『星の王子の影とかたちと』(筑摩書房、2006)を見つけた。『星の王子さま』の訳者として有名な内藤濯(ないとう・あろう)の長男初穂が書いた父の評伝である。d0238372_21345933.jpg
 内藤濯はフランス17世紀のラシーヌやコルネイユをはじめ、フランス演劇を日本に紹介した人で、明治16年(1883)熊本に生まれた。初穂も指摘しているように、これは明治政府誕生の後ろ盾だったイギリス公使パークスが離日し、近代化をめざして官営社交場「鹿鳴館」が開場した年である。
 日本の近代化とともに生まれ育った青年は、第一高等学校を卒業後、明治40年(1907)9月、東京帝国大学の仏蘭西文学科に入学した。当時は欧米と同じく夏休み明けの9月が新学期だった。
 東京帝大の前身である文科大学に、仏蘭西文学科が創設されたのは明治22年12月だが、最初は入学希望者がなく、最初の学生が来たのは7年後の明治29年のことである。それから内藤濯が入学する明治40年までの12年間、ずっと定員割れの状態が続き、入学した学生は総計でも11名にすぎず、この年はじめて入学者3名を数えた。主任教授はフランス人のエミール・エックで、在日16年のベテラン教師だった。
 同期生は秋田出身での一高で同級の福岡易之助、それに広島出身で英語もよくできた和田仙太郎である。和田は蚕の研究を志していて、そのためにはフランス語の修得が必要ということで、卒業すると信州上田の蚕糸専門学校へ赴任した。一方、福岡は大学を卒業すると一時帰京したが、1年半後にふたたび上京して、フランス語やフランス文学の普及に力をいれる出版社「白水社」を創設した。
 内藤は在学中に同人誌「帝国文学」に入会して、フランス近代詩の翻訳を発表した。フランスの詩の翻訳としては、上田敏の『海潮音』が明治38年(1905 )に本郷書院から出版されていて、内藤もその強い影響のもとで、気に入った詩人30数名の詩を訳しては「帝国文学」に発表した。d0238372_21374921.jpg
 そして卒業後は、陸軍幼年学校のフランス語教師として赴任。次いで第一高等学校に移ってフランス語とフランス文学を講じた。その間、大正9年(1920 )3月に澤村優子と結婚した。澤村家は熱心なカトリック教徒で、優子は大阪の梅花女学校に学び、在学中に少女雑誌に作品を投稿するなどの才媛だった。
 内藤一家に長男初穂が誕生したのが大正10年(1921)年。翌大正11年には、文部省在外研究員としてフランス留学を命じられ、8月1日に留学期間を2年半とした公用旅券が発給された。留学手当は毎月360円で、2カ月半を要した準備のあと、10月14日、東京駅を夜行列車で発って神戸に向かい、翌日正午には神戸で日本郵船の諏訪丸1万トンに乗船し、皆に送られつつ留学の途についた。(続)
[PR]
トラックバックURL : http://monsieurk.exblog.jp/tb/20930949
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by monsieurk | 2014-08-07 22:30 | | Trackback | Comments(0)