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ムッシュKの日々の便り

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対談「青空のこと、梶井のこと」Ⅸ

  酒と病気

  
 中谷先生たちは、東京に来てからよく神楽坂へ飲みに行かれたようですが、本郷から神楽坂へは歩いて行かれたのですか。
中谷 いや、それは電車で行きました。前に申した通り、震災の直後でしてね。銀座などは復興の最中で、いたる所でカンカンやっておりました。神楽坂一帯は幸いなことに被害が少なくてそのままだったのです。東京の中でも、もっとも賑やかな場所の一つではなかったですか。
 もう京都時代のような武勇伝なかったのですか(笑)、東京では。
中谷 いや、東京でもありましたよ。・・・よく喧嘩しましてね。
 ほう。
中谷 よく酒を飲むと議論になって、やがて喧嘩になるんです。私は酒を飲まないものですから、仲裁役をつとめるわけですが、損な役回りでした。
 それは主に梶井さんと外村さんですか。
中谷 そうです。二人で酒を飲んで、やりあっているうちに、わけが分からなくなってくるのです。そうすると、お前は飲んでないのだから、どっちが正しいか判断しろと、こうくるのです。どっちが正しいかなどと言ったら、それこそまた始まりますからね。(笑)とんでもない事になる。
 中谷先生以外の人たちは、皆さんお酒が強かったそうですね。
中谷 皆一升酒を飲むのんです。二人集まれば、二本、三人集まれば三本、一升壜が空になる。・・・実際、あいつらは、皆よく飲みよったなあ・・・
 貧乏だ、貧乏だとお書きになっていても、毎日お酒を飲む金はあったんですね。
中谷 貧乏と言ったって、学生の貧乏は貧乏のうちに入りませんよ。月末になれば家から金を送ってくるのですから。一番貧乏したのは私ですよ。なにしろ、もうその頃、女房と子どもがいましたからね。家からの仕送りで親子三人が生活していたのですから。
 梶井さんもお酒の点では例外ではなかったのですね。
中谷 梶井だって、相変わらずの一升酒でしたね。大体、梶井というのは私をもうひと回りごつくしたような男で、肺病さえなかったら、永く生きる身体つきの人ですけれどね。
平林 骨も太かったですしね。がっしりとした身体でしたね。
 梶井さんが胸を悪くされたそもそもは、梶井さんのお祖母さん、父方の祖母にあたる方が開放性結核で、このお祖母さんから感染したようですね。
 中谷先生もご存知の小山榮雅氏が、梶井さんのお兄さんの謙一さんとされた対談が、「国文学、解釈と鑑賞」の昨年4月号に掲載されておりますが、そのなかの謙一さんのお話では、梶井兄弟は鳥羽に転居したとき、お祖母さんと一緒に住んでいて、お祖母さんの部屋に遊びにいっては、お祖母さんがしゃぶった飴玉を貰ったりしたということです。
 年譜を調べてみますと、梶井一家がお父さんの宗太郎さんの仕事の関係で、鳥羽へ行ったのが明治44年、梶井さんが11歳のときで、それから大正2年まで鳥羽での生活が続きます。その間、大正2年6月に祖母のスヱさんが肺結核で亡くなり、この年の10月、一家は大阪へ戻っています。そして大正6年、17歳のとき、これは北野中学の4年生になった年ですが、薬を服用しています。結核の兆候があったのかも知れません。
中谷 私たちが出会ったのは、先ほども申したように、大正8年10月ですが、とても胸を病んでいるようには見えませんでした。
 奥様から見てもそうでしたか。
平林 ええ、そんな感じはぜんぜんありませんでした。咳もそんなにしませんでしたね。か弱い咳はしませんでした。
中谷 いや、やっぱり時々は咳き込んでいたよ。
平林 多少は咳をしていましたが、私などは一度も怖い病気だなどと思ったことはありませんでした。
 私たちから見ると、これは皆さんの友情だろうと思うのですが、仲間の方々の誰一人として、梶井さんの病気を気にするようなことはなかったのですね。
中谷 それは誰もありませんでした。
平林 誰もなかったですね。
中谷 本当に、皆、同じにやっておりましたよ。
 梶井が私にこんなことを言ったことがあります。「広津〔和郎〕さんのところへ行ったら警戒された」と言うんです。「お茶をもってきた茶碗を、ほかのものと一緒にしないで、俺に出したものだけ一つ別にしてお湯で洗った」、非常に不愉快だったというのです。
 ですがこれは当たり前でしてね。ことに広津さんの奥さんが、そうされるのは当たり前なことなんですが、私たちのうちで、そんな警戒をした者はありませんでした。
 広津さんと面識ができた頃というのは、そうとう病気も進んでいたでしょうから・・・
中谷 湯ヶ島の頃ですから、相当悪くなっていましたね。
平林 でも、そういう事は随分気にはしていたようですね。私たちの間ではぜんぜんそんな事はありませんでしたが、よそへ行ったときは、店屋物をとられたりすると、ハッとしたりして、随分気にはなったようですね。そんなことをした相手が悪いようなことを言っていました。(笑)
 けいからんというわけですか。
平林 ええ。(笑)
中谷 これはやむをえないことでして・・・本心は、けしからんなどとは思っていないのでしょうが、ちょっと嫌な気がするというのでしょうね。
平林 怒るというよりも、訴えるような言い方をいたしました。自分でも、嫌だな、情けないな、という気持がしたのでしょうね。
 それなら、もう少し用心すればよいのにと思うような点がありますね。
平林 そうなんです。本当にもっと用心すればいいのに・・・自分で死んだようなものですよ。・・・めちゃくちゃですもの。
中谷 あれはね。湯ヶ島で静養しておりましたとき、広津さんや尾崎士郎や宇野千代たちが、ひと夏、あそこへ行きますね。その折、宇野千代に惚れましてね。それで気持がくしゃくしゃするというので、ビールを随分飲んだらしいのです。
 やけくそで飲んだのでしょうが、それで静養先でかえって悪くなってしまったのです。
平林 見栄もありますでしょうし・・・自分はそれほど大した病気ではないよと見せようとする。私たちには、熱があるとか、咳が出るとか申しましたけれども、ほかの人には弱味を見せたくないと、健康そうに振舞ったのではないでしょうか。
 それこそ頑健な身体つきで、色も浅黒くて、外見からはとても病気とは見えなかったと、どなたかも証言なさっています。
平林 それから、いまの大学生と比べてみると、「青空」の人たちは、皆大人でした。物の言い方でも、考え方でも、顔つきにいたしましても。そのなかでも梶井さんは大人でしたね。
 ご主人ではないのですか。(笑)
平林 いえ、梶井さんの方が大人に見えましたよ。(笑)梶井さんは私にはとってもやさしくて、兄貴みたいな人でしたけれど、よくかばってくれましたもの。
中谷 もういい、そのくらいで。(笑)(続)
by monsieurk | 2014-10-01 22:30 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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