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by monsieurk
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[美祭」、日本画の世界

 東京京橋にある美術店「加島美術」の二代目とは、彼が京都の老舗美術商「鉄斎堂」で修行をしていたときに知り合った。それ以来「加島美術」が発行する豪華なカタログ「美祭」を送ってもらっている。
 この秋に出た「美祭」16号は、店が所蔵する多くの名品を掲載しているが、巻頭には石川大波(いしかわ・たいろう)が描いた《プレンク像》(絹本、水墨、128×56cm)の軸装の写真版で載っている。d0238372_1504967.jpg
 石川大波は江戸時代後期の幕臣で、江戸城のほかに、大阪城、京都二条城の警備の任にあたった。大波はこうした任務のかたわら、大槻玄沢や木村兼葭堂、谷文晁などと交流し、当時の知識人の常として画を学び、やがて洋風画も手がけるようになった。そしてその研究のために蘭学者とも友誼を結び、オランダ語の書物の挿絵である銅版画を参考にして、その技法を習得した。その打ち込みようは、Tarfelberg というオランダ名を画号の一つにしたほどである。
 大波の作品としては、重要文化財に指定されている《杉田玄白肖像》や《ヒポクラテス像》などが知られている。《プレンク像》は同じ系統のもので、描かれているヨセフ・ヤコブ・プレンクはウィーン陸軍軍医学校の教官で、杉田玄白の次男である杉田立卿が翻訳した『眼科新書』の著者として当時知られていた。この作品は、こうした類の書物に挿入されていた肖像画を模写したものと思われる。ひょっとすると杉田立卿の依頼によって描かれたものかも知れない。
 「美祭」16号には伊東深水の小特集もあり、深水の肖像画や素描を楽しむことができる。
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 写真の《夏日》(絹本、着色、45×50cm)は昭和30年頃の作品で、深水が現代的な人物画のを完成させた時期のものの一つである。深水は、「少しもの足りないくらいの絵」を描くのがいいとして、線も構図も冗漫なものを極力省き、それによって格調高い作品を生み出した。
 真っ赤な背の椅子に座り、黄色の着物の衿をととのえる洋髪の女性。もともと浮世絵美人画の伝統につらなる伊東深水の新たな境地を伝える一品である。
 東京深川の商人の家に生まれた彼は、小学校3年生のときに父親が事業に失敗し、家計を助けるために小学校を中退して東京印刷株式会社の活版職工となった。10歳のときであった。仕事の必要上、絵の手ほどきをうけた彼は、間もなく図案部に移り、会社の顧問をしていた結城素明に画才を認められて、その紹介で13歳のときに日本画家鏑木清方に入門した。
 こうして画業の道に進んだ深水が初めて入選をはたしたのは、14歳のときの第12回巽画会である。出品作は《のどか》と題したもので、木陰で憩う砂利馬車と眠り込む御者、2人の遊ぶ子どもたちを描いた風俗画であった。そして大正8年21歳のときに結婚。翌9年には初めての個展を催し、そこに出品した《指》は、妻の好子が夏の夕方、床几に腰かけて薬指にはめた指輪を満足そうに見つめる姿を描いていて、美人画の技法を確立したと評価された。このときから昭和47年に74歳で亡くなるまで多くの傑作を残した。
 深水は終生スケッチをおろそかにしなかった。下の《裸婦図》(紙本、素描、22×34cm)は、彼の引く線の確かさを示す好例で、素描ながら女体の美しさを表現した愛すべき小品である。
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by monsieurk | 2014-10-07 21:30 | 美術 | Trackback | Comments(0)