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テレビ映画「シモーヌ・ヴェイユ」

 11月26日の夜、フランスの公共放送「フランス2」で、「シモーヌ・ウェイユ」というドキュメンタリー・ドラマの放送があった。高い視聴率を記録し、とくに女性の視聴が目立ったという。
 40年前のこの日、1974年11月26日、ジャック・シラク内閣の健康相だったシモーヌ・ヴェイユは、下院(日本の衆議院に当たる)に「妊娠中絶合法化法案」(IVG、Interruption volontaire de la grossesse)を提出して、趣旨説明を行った。カトリックの国であるフランスではこのときまで妊娠中絶は認められていず、法案は大きな議論を呼んだ。特派員として取材にあたったから、このときの世論の紛糾振りはよく覚えている。
 シモーヌ・ヴェイユは、1927年7月にニースでユダヤ系の建築家ジャコブ氏の長女として生まれた。彼女は自身のことをあまり語ったことはないが、1943年に大学入学資格試験(バカロレア)を通り、大学で法学と政治学を専攻した。そこで将来夫となるアントニー・ヴェイユと出会った。
 だがその直後の1944年3月、一家はドイツ軍によってアウシュヴィッツ=ビルケナウの強制収容所に送られ、1945年1月27日に連合軍によって解放されるまで収容された。その間に両親は殺され、生き残ったのは彼女と妹の二人だけだった。終戦1年後の1946年10月にヴェイユと結婚、判事の職に就いたあと政界に身を転じたのだった。
 ヴェイユが提出した法案は、妊娠中絶を合法化する理由を、「女性の健康を守るため」としていたが、女性問題担当の閣外相だったフランソワーズ・ジルーは、もっと踏み込んで「女性の権利」として法案を提出すべきだという考えだった。しかし下院では、議員481人のうち女性議員はわずか9名にすぎず、「女性の権利」として中絶を認めさせることは到底不可能だった。d0238372_22111390.jpg 案の定、議会はヴェイユの提案をめぐつて紛糾した。社会党など左翼は法案に賛成、政権のバックにある保守や中道の議員の多くは反対だった。議論は3日にわたって続いた。この間終始ヴェイユを支持し続けたのは大統領のジスカール・デスタンだった。
 映画は議会での議論、男性議員の無理解やあからさまな罵倒を、当時の実写フィルムをまじえて克明に再現する。それを毅然とした態度で説得するヴェイユ(写真は演説する当日のヴェイユ。彼女の役を演じたエマニュエル・ドゥボスはヴェイユによく似ていた)。こうした態度から、彼女は「毅然としたシモーヌ」、「勇敢なシモーヌ」と呼ばれた。法案は下院で辛うじて賛成多数を得た。そして1975年1月17日に行われた上院の投票でも、賛成多数で成立した。
 この法案は女性の権利拡大に大きな一歩を画した歴史的なものであり、今日では「ヴェイユ法」の名で知られている。その後ヨーロツパ議会の議長などをつとめたシモーヌ・ヴェイユは、フランスではもっとも尊敬される女性の一人である。
 なお、現在のフランスにおける中絶のあり方については、立命館大学大学院先端総合研究所、山本由美子「現代フランスにおける医学的人口妊娠中絶(IMG)と「死産」の技法」(http://www-ritsumeihuman.com)をインターネット上で読むことができる。
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by monsieurk | 2014-12-03 22:30 | フランス(社会・政治) | Trackback | Comments(1)
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Commented by ロラン at 2015-07-23 12:55 x
同論文にあらたな論考を加え、日仏の周産期医療の在り方に問題提起がなされた、山本由美子『死産児になる――フランスから読み解く「死にゆく胎児」と生命倫理』(2015年 生活書院)をご参照あれ。
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