ムッシュKの日々の便り

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木村忠太

 正月を迎えて、玄関正面の壁に木村忠太の絵をかけた。
 木村の絵に最初に触れたのは、1982年にパリ6区のコンテ河岸にあった画廊「アート・よみうり」で1982年に開かれた個展で、その豊かな色彩構成に圧倒された。このときは画廊にきていた木村自身とも話すことができた。d0238372_15485911.jpg
 1917年(大正6年)に香川県高松市に生まれた木村は、このとき65歳。36歳でパリに移住してから、すでに30年の画業を重ねており、その作品は日本よりもフランスで高い評価を得ていた。このころ木村はこんなことを述べている。
 「世界の美術はアブストラクトまで来て混迷して居る
  東洋の対する不勉強の現われである
  ヨーロッパ人はアブストラクトかレアリズムか どっちかしかやれない
  ニコラ ド スタールはフォルムの自由さを得られないで自殺した
  フォルムの自由 アウトラインを越える所に 東洋の哲学が横たわって居るのである
  これを乗り越えた所に 個と全の一体がある
  レアリズムとアブストラクトの綜合があるのである
  これこそが アブストラクトの次の時代である
  世界美術の混迷を切り開くものは 東洋の哲学である
  私の絵は 東洋の伝統と西洋の伝統の綜合である」
 パリで奮闘していた木村の心意気をうかがうことができる。こうした彼の作品をいち早く認めたのは、アルベール・カミュの高校時代の恩師で、『孤島』の著者ジャン・グルニエだった。批評家のジャン=ドミニック・レイは、その画業を次のように評している。d0238372_15505334.jpg
 「それは歴史の流れが加速していることの結果なのだろうか? 一世紀ないしは、それ以上前から、種々の芸術運動がその勃興と衰退のリズムを次第に早めつつあるのを私たちは見てきた。こうした運動は、己の潜在的な力をすべてを汲みつくす時間をもたないまま、遠ざかってしまう。それゆえ、ある一つの断絶のあとに、一人もしくは一群の画家たちが、様式が置き去りにされたかつての場所に戻って、そこからいまだにインスピレーションを得ることができるものを引き出して、それを実現するとき、必然的に起こる回帰とは、そうした断絶のあとに出現する論理的発展にほかならない。(中略)
 これら個々の周期の内部には、さらに注意深く眺めると、何がなんでも革新的であろうとはしないで、ある種の継続に熱心で、先人によって企てられたものの継承に力を注ぐ人たちがいることが分かる。彼らは往々にして欄外の位置をあたえられるが、実際のところ、一歩退いてみなければ見えてこない一つの総体のつながりの輪の役割を果たしている。
 こうしてボナールは印象主義の数々の試みのうちの幾つかを、ある種の抽象を通して延長する可能性を持っ画家であり、その探求を印象主義へと結ぶ存在である。
 キムラにとってピエール・ボナールの仕事の重要性はよく知られている。1953年に彼は日本からやって来たが、それは何よりもボナールの作品を培った風土に自ら身を浸し、その源泉を汲むためであった。その結果、キムラは日本の版画が印象主義の画家たちにあたえた一つの変化を受けとめ、その成果を自分の作品のなかで具体化していった。
 その変化とは、たとえば印象主義作家が主題の焦点をぼかしたり、対象をクローズアップして画面を構成するといった、浮世絵から学んだ幾つかの手法を作品に取り込むことだった。・・・
 キムラは印象主義の単なる後継者としてではなく、印象主義の遺産を発展させているもっとも有望な画家と見なされている。彼は表象よりも色彩を優先させる。この意味で、彼はマッス――それらは何より巨大な正方形あるいは幅広い光の矩形である――においては抽象派であると言うことができるし、木々や車、人物あるいは家々をかたどる抽線に関しては、彼は具象派であるといえよう。だがそれらは決して閉ざされることはなく、人はそれらを通して、その向こうで起こっていることを透かし見る。」
 適評だと思う。木村忠太は1987年、ニューヨークでの2回目の個展の最中に亡くなった。70歳だった。彼の墓はモンパルナス墓地のボードレールの墓の近くにある。
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by monsieurk | 2015-01-02 22:30 | 美術 | Trackback | Comments(2)
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Commented by sumus2013 at 2015-01-03 21:59
以前申し上げたかもしれませんが、木村忠太は高松工芸高校の大先輩にあたります。小生在学中に高松で回顧展があり、母校でもお話をされたと記憶しております。そろそろ日本でも再評価されるべき時期かと思います。
Commented by monsieurk at 2015-01-04 10:11
木村忠太は大好きで油彩や版画を持っています。彼の作品はいつ観ても新鮮です。お説の通り、日本での評価は明らかに不当ですね。
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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