小林秀雄と「類推の魔」Ⅳ
この点で、詩人と語との関係は完全に逆転しており、詩人が語に主導権を譲り渡す事態が生じている。こうした事態は、彼が「エロディアード」や、美をめぐる思索に没頭していたときにしばしば起ったことで、語が次第に音と意味とに分離していく体験も、この散文詩が生まれるきっかけとなったとも推察される。
「類推の魔」はここで完結することもできたはずである。だがマラルメは最後にもうひとつの超自然的なエピソードを書き加えた。ただここで展開される神秘体験が、実際に彼の身に起こったことなのか、あるいはロバート・グリア・コーンが主張するように、奇怪な印象を強調するべく、エドガー・ポーの短編小説の手法に倣ったフィクションであるかどうかは、にわかには判断し難い。
「すると、なんと恐ろしいことか!―― たやすく推論しうる神経性の魔術によって ―― 一軒の店のショーウインドーに映った私の手が、何物を上から下へと愛撫する仕草をしており、私は自分がまさしくあの声(それこそ疑いもなく唯一のものであった最初の声)を有しているのだと感じたのである。
だが、超自然的なものの避けられない介入が起こり、つい先ほどまでは支配者として君臨していた私の精神の死にいたる苦悩が始まったのは、本能的にたどって来た骨董店の立ち並ぶ通りで、ふと眼を上げて見ると、自分が壁に吊るした古楽器を売っている弦楽器店の前にいて、その床には、黄ばんだ棕櫚と古の鳥たちが置かれ、その翼が闇のなかに埋もれているのを認めた時だったのである。恐らくは、あの説明のつかない「ペニュルティエーム」の喪に服する宿命を背負った人間として、奇態にも、私はその場から逃れ去った。」
気がついてみると、詩人は骨董店が並ぶ通りに差しかかつて、ある一軒の店の前で立ち止まっていた。そしてショーウインドー(これは詩篇「窓」のときのように、店内を見せるガラスであるとともに、立ち止まった姿を映す鏡でもある)の中を見ると、壁には弦を張った古楽器合が吊るされ、半ば陰になった床には黄ばんだ棕櫚と鳥の羽が置かれているのを眼にしたのである。しかも詩人はショーウインドーのガラスに映った自分が、まるで弦を撫で下ろすような仕草をしているのを眼にして愕然とした。これこそ「ペニュルティエームは死んだ」という最初の文句が予言したイメージが実現したものに他ならない。すべてはあの言葉から出発して、言葉に内包されていることが次々に実現し、詩人はそれに操られるように発話し、行動していたことになる。こうした既視感を前にしては、理性による説明はもはや不可能である。詩人は死にいたるような苦しみを抱きつつ、その場から逃げ去る以外になかった。
この最後の部分で語られている事態こそ、イヴ=アラン・ファーヴルが指摘しているように、やがてアンドレ・ブルトンたちシュルレアリストが発見する「客観的偶然(hazard objectif)」 と呼ばれるものである。
ブルトンは1934年5月29日の夜に、二番目の妻となるジャクリーヌ・ランバに出会うが、彼によればこの出会いのすべてが、11年前に刊行した詩集『地の光(Clair de Terre)』 に収録された自動筆記による詩「ひまわり(Tournesol)」に、そっくり描かれていたという。
ブルトンは「類推の魔」をマラルメの「貴重な打ち明け話」だとして、「自分だけに告げられた書くという行為の秘密だ」と語り、このように後に起こる現実を詩が先取りしている事態を、ブルトンは「客観的偶然」と名付けた。マラルメはブルトンより半世紀以上前に、この奇妙な符号を「類推の魔」で描いていたことになる。
類推とは、想像力によって二つあるいはそれ以上の対象の間に確立された類似であり、マラルメがこの能力に長けていたことは多く人々が証言している。後年のことだが、マラルメに親炙したカミーユ・モークレールは、「彼が持っていた信じがたいほどの特殊な能力は、類推のそれであった。彼は世界の無限の豊穣さを感得する大きな力を生来もっていたから、彼の精神にとっては、なにひとつとして切り離されて現前するということはなかった」と述べている。これこそが「類推の魔」であって、ここから「詩人は語に主導権を譲る」という驚くべき逆転が起こったのである。