ムッシュKの日々の便り

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詩を訳すとはⅥ

 堀口大學の『対訳 フランス現代詩研究』から次に取り上げる一篇も、ポール・ヴァレリーのよく知られる詩で、詩集『魅惑(Charmes)』所収の「失われた酒(Le vin perdu)である。d0238372_6441173.jpg

J’ai, quelque jour, dans l’Océan,
(Mais je ne sais plus sous quells cieux),
Jeté, comme offrande au néant,
Tout un peu de vin précieux・・・

Qui voulut ta perte, ô liqueur ?
J’obéis peut-être au devin ?
Peut-être au souci de mon cœur,
Songeant au sang, versant le vin ?

Sa(1) transparence accoutumée
Après une rose fumée(2)
Reprit aussi pure la mer・・・

Perdu ce vin,(3) ivres les ondes !(4)・・・
J’ai vu bondir dans l’air amer(5)
Les figures les plus profondes(6)・・・

これに堀口大學は次のような注釈をほどこしている。

(1)第三連の sa はla mer《海》のajectif possessif.
(2)après une rose fumée《桃色の煙をたてた後で》――碧い水に一度きり桃色を発して消えてきまうた。
(3)Perdu ce vin=ce vin est-il perdu ? 《一体、この酒は失われたのか?》《この酒は無駄だったのか?》さにあらず、何故なら、
(4)ivres les ondes !=les ondes sont ivres ! 《波は酔ひたり!》
(5)l’air amer ――《海の風、潮風》の意。《海の波》のことをles ondes amèresと云ふ。
(6)les figures les plus profondes――《広大無辺のものの姿》

そして日本語訳――

 失われた美酒

一と日われ海を旅して
(いづこの空の下なりけん、今は覚えず)
美酒少し海へ流しぬ
「虚無」に捧ぐる供物にと。

おお酒よ、誰か汝が消失を欲したる?
あるはわれ易占に従ひたるか?
あるはまた酒流しつつ血を思ふ
わが胸の秘密の為にせしなるか?

つかのまは薔薇いろの煙たちしが
たちまちに常の如〔ごと〕すきとほり
清げにも海はのこりぬ・・・

この酒を空〔むな〕しと云ふや?・・・波は酔ひたり!
われは見き潮風のうちにさかまく
いと深きものの姿を!

 これを岩波文庫『フランス名詩選』(1998年)所収の安藤元雄氏の訳と比べてみよう。

消えうせた葡萄酒

いつだったか、私は、大海原に、
(どこの空の下だったかは忘れたが)
そそいでやった、虚無への捧げ物として、
ほんの少しの 貴重な葡萄酒を・・・

誰がおまえを捨てたりしようか、おお、酒よ?
あるいは私は占い師に従ったのか?
それとも 心の不安にかられながら、
血を流す思いで葡萄酒を流したか?

いつもながらの透明さを
一陣の薔薇色の煙のあとで
あんなにも純水に 海はふたたび取り戻し・・・

この葡萄酒の消えたとき、酔ったのだ 波が!・・・
私は見た 潮風の中へ躍り出る
底知れぬものの形の数々を・・・

 この岩波文庫の『フランス名詩選』では、フランス語の原テクストと翻訳が対置されていて、フランス語を解する人への配慮がなされている(ちなみに岩波文庫に収められた英、米、独の『名詩選』、ポー、バイロン、ブレイクなどの個人詩集でも同様の編集方針が貫かれている)。
安藤元雄氏の訳は、この詩をいま読むフランス人が汲み取るであろう意味を、日本語に正確に反映した優れた翻訳といえる。ただ一つ如何ともしがたいのは、ヴァレリーが苦心して原詩にほどこした脚韻の効果である。
原テクストを一読すれば明らかなように、この詩は4、4、3、3行の4節からなるソネット形式をとり、脚韻も第1節は順に、ocean, cieux, néant, précieux と、a / b / a / b、第2節は、liqueur, devin, cœur, vinと、c / d / c / d、第3節と4節は、accoutumée, fumée, mer, ondes, amer, profondes、e / e / f / g / f / gと見事な韻を踏んでいる。しかも韻を整えるヴァレリーの工夫に少しの無理もなく、音読する者はそこからえもいわれぬ心地よさを感じることができる。堀口訳、安藤訳はともに音調を整えるための苦心が払われているが、残念ながら、原詩の押韻の妙までは写し取ることは出来ない。
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by monsieurk | 2015-02-26 22:30 | | Trackback | Comments(0)
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