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ムッシュKの日々の便り

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堀口九萬一と大學Ⅴ

 大學は随筆集『詩と詩人』のなかの「『月下の一群』の頃」のなかで、こんな逸話を披露しています。
 「1913年、父がメキシコの任地を去つて、スペインに新しいポストをもつことになつた。僕も一緒に欧州に移り、勉学の都合上、ひとりベルギー・ブリュッセルに滞ることになつた。この頃から僕のサンボリズムに対する傾倒が始つた。その最初がまずグウルモンであつた。グウルモンによつて與へられた智的有頂天は、僕の一生を通じての精神上の最大の事件として残るだらうと僕は信じてゐる。最初に譯したのが『シモオヌ』に呼びかける一聯の詩であつた。『月下の一群』中これらの譯篇は、いはば僕の最初の譯詩の試みだ。
 丁度、その頃、グウルモンの詩集《Divertissements》(「消閑」)が出版された折だつたので、別に一冊初版本を求め、これに試譯の稿を添へて、今度はこちらが得意然として、この新発見の詩人をマドリッドの父に報じてやつたりしたものだつた。知性と感性の二つとも卓抜なこの詩人は父にも氣に入つて、「消閑」一巻の贈りものは大いによろこばれたことであつた。」
 メキシコ時代、大學は父の手引きでフランス近代詩を読んで、たちまちその魅力のとりこになりました。九萬一はフランス高踏派の詩人たち、シュリ・プリュドム、ルコント・ド・リール、アルフレッド・ミュッセなどの詩篇を愛好しており、それらを息子に読ませて、難解な箇所の解釈や説明をしてやったのですが、外国にあった大學は、これらの詩篇を1篇ずつ日本語に訳していきました。
 そんな彼が父より早く、象徴派の理論的支柱と目されていたレミ・ド・グールモンの新刊詩集を手に入れて、幾篇かを日本語に移したものを添えて送ったのです。息子の得意にもまして、父の満足は大きかったにちがいありません。
 大學が入手した詩集「Divertissements(気晴らし)」は、1914年に「メルキュール・ド・フランス」から出された版で、初版は1912年に出版社「クラ」から刊行され、当時のフランスで多くの愛読者を得た詩集でした。九萬一は息子から贈られた詩集から2篇を選んで、得意の漢詩に翻訳しました。その一篇は〈La Dame de l’ Autonne〉と題した詩です。この漢文訳は、昭和5年(1930)に、第一書房から刊行された九萬一の『随筆集 游心録』に収録されています。

  秋妃

 秋妃渉西園     秋の夫人
 繊腰依短垣     思い出の小道を渉り
 珊珊踏墜葉     落葉を踏む
 恍疑胡蝶魂     あの日 ここは花ざかり
 惜春感深花空散   またあの日 緑の陰が深かった
 緑陰情話烟籠岸   今 それなのに
 秋風起兮木葉飛   風に木の葉が散るばかり
 與吾情思一般亂   おお 秋風よ
 噫秋風       吹きやまぬ秋風よ
 颯颯吹不窮     お願いだ 吹き散らしてはくれまいか
 安得掃却深愁千萬斛 枯葉と一緒に 重いこの胸のほむらも
 直與墜葉飛成空   
 
 秋妃緩緩歩     秋の夫人
 手浥菊花露     菊を摘む
 花容易一何衰    うらぶれた残菊一枝
 園荒斜陽暮     荒れ果てた園の夕に
 此苑昔曾賞薔薇   あの日 ここで ふたりで薔薇を楽しんだ
 薔薇花心赤於緋   花心の真赤な薔薇でした
 我今来兮花凋落   今日来て見れば薔薇はなく
 苔蘚満地覆痕稀   地は一面の苔じとね
 噫斜日       おお 夕陽よ いつになったら
 菊遶環堵室     菊にまがきを
 嗚呼何日春光度薔薇 薔薇に春光を
 使吾情思甘於蜜   妾〔わらわ〕の心に蜜の甘さを返しておくれか

 秋妃立黄昏     秋の夫人
 低囘暗銷魂     黄昏の思いに沈む
 金風吹衣袂     秋風衣袂に入り
 暮禽啼不喧     ここに遊んだあの時の楽しさは
 此地清遊今尚記   今も思い出にさやかだが
 仰數流星舞態媚   過ぎてははかない夢の中
 一夢追懐跡如烟   一々語るも鳥滸〔おこ〕の沙汰
 殷勤怯語意中事   
 噫碧空       おお 青空よ きかせておくれ
 誰栖水晶宮     かの水晶宮に栖むのは誰か
 何時伴得牽牛訪織女 牽中が織女を訪ねるのはいつか
 零露溥溥満天風   こぼれる露が冷たくて空吹く風が荒れ狂う

 秋妃立荒園     秋の夫人 廃園に佇〔た〕つ
 落葉埋履痕     落葉が足跡を埋めつくす
 満目荒涼處     忽ちすさぶ秋風が肌身にささる
 黄草招幽魂     ひと思い あの世の道を辿ろうか
 疇昔新盟膠漆固   おお 秋風よ
 情緒宛如合歓樹   吹きやまぬ秋風よ
 秋風起兮粟我肌   お願いだ 吹き散らしては呉れまいか
 魂欲飛越清郊路   枯葉もろとも 重いこの胸のほむらも
 噫秋風       目に余るここな荒れよう
 颯颯吹不窮     枯れすすき 幽霊が出て来そう
 寄語掃却深愁千萬斛 なれそめのあの頃は幸せだった
 直與墜葉飛成空   合歓樹の胸一ぱいのうれしさだった

 和訓は大學で、この漢詩を『長城詩抄』(この九萬一の漢詩集は息子大學の手で、1975年、昭和50年に、私家版として100部が株式会社大門出版から刊行されました)に収めるにあたってつけられたものです。ちなみに原詩は次の通りです。

La dame de l’automne écrase les feuilles mortes
Dans l’allée des souvenirs:
C’était ici ou là... le vent passe et emporte
Les feuilles et nos désires.

O vent, emporte aussi mon cœur: il est si lourd!

La dame de l’automne cueille des chrysanthèmes
Dans le jardin sans soleil.
C’est là que fleurissent les roses pâlies que j’aime,
Les roses pâles au cœur vermeil.

O soleil , feras-tu fleurir encore mes roses?

La dame de l’automne tremble comme un oiseau
Dans l’air incertain du soir:
C’ était ici et là, et le ciel était beau
Et nos yeux remplis d’espoir.

O ciel, as-tu encore des étoiles et des songes?

La dame de l’automne a laissé son jardin
Tout dépeuplé par l’automne
C’ était là… Nos cœurs eurent des moments divins...
Le vent passé et je frissonne...

O vent qui passé, emporte mon cœur il est lourd!

 グールモンの詩句については、大學がフランス語の原文から直接翻訳したものが『グウルモン詩集』(新潮文庫、昭和26年)に載っています。これと比べてみても、九萬一の漢訳はグールモンの詩想をじつに上手く汲んで翻訳されています。九萬一は息子大學から贈られたレミ・ド・グールモンの詩集がよほど気に入ったのでしょう。
 グールモンの原詩、九萬一の漢訳、そして大學によるその和訳、さらにはフランス語からの直接訳の四つを並べて鑑賞すると、それぞれの言語のもつ感性の違いが分かって大変興味深いものです。(続)
by monsieurk | 2015-03-24 22:30 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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