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安井曽太郎の肖像画Ⅲ

 《金蓉》とともに、1934年秋の第21会の二科展に出品された《玉蟲先生像》は、最初のタイトルが《T先生の像》であった。安井曽太郎は仙台の第二高等学校から、同校の校長をつとめた玉蟲一郎一の肖像画の制作を依頼された。仲介したのは旧知の小宮豊隆である。
 玉蟲は1868年(明治元)4月に仙台で生れ、1892年(明治25)に第二高等中学校本科を出て、東京帝国大学英文科の入学。1895年(明治28)同校を卒業後は松山中学などに勤務した。その後は、第二高等学校の教授を経て、1928年(昭和3)9月から1932年(昭和7)3月まで、第18代目の校長をつとめた。
 二高では歴代の校長の栄誉をたたえるために、退任後に肖像画を学校に残すのが慣例であり、それを安井に依頼することにした。当時の二高には、小宮のほかに、安井をよく知る児島喜久雄や太田正雄(木下杢太郎)がいて、彼らも進んで推薦した。
 安井は仙台まで出かけ、ホテルに泊まりながら玉蟲先生の自宅でスケッチをすることになった。朝10時に行き正午までポーズ。昼食は近くの東三番町のカフェで食べ、そのあと夕方遅くまで描く毎日だった。玉蟲先生は仙台藩の家老の血筋をひく人で、古武士のような性格と風貌の持ち主で、長いポーズの間も身じろぎひとつしなかった。ポーズは9日間ほどで終わったが、その間、先生は一度も絵を見ようとしなかったという。
 安井は《金蓉》や《玉蟲先生像》を描く前年、1933年1月に「美術新論」に載せた「私のレアリズム」でこう語っている。
「自分はあるものを、あるが儘に現したい。迫真的なものを描きたい。本当の自然そのものをカンバスにはりつけたい。樹を描くとしたら、風が吹けば木の葉の音がする木を描きたいし、歩くことが出来る道路を描きたい。自動車が通っている道をかくのだったら、自動車の通る道を描きたい。人の住むことの出来る家、触れば冷たい川、湖水の深さまで現したい。人ならば、話し、動き、生活する人を描きたい。その人の性格、場合によっては職業まで充分現したい。」
 こうした考えのもとで、《玉蟲先生像》は完成した。まさに玉蟲先生の古武士然とした性格や、教師という職業に長年いそしんだ経歴がにじみ出るような作品だった。ところがこの絵に関しては面白いエピソードが残されている。俳人水原秋桜子が、評伝『安井曽太郎』(石原求龍堂、1944年)の中で、小宮豊隆の聞き書きとして伝えているものである。
d0238372_15375948.jpg 「安井君の玉蟲先生像は先生が二高の校長をやめられた時、記念として学校から依頼したもので、これは二高の教授と学生とが集まる割合小さな部屋に今も掲げてありますが、あれとは別に小さな肖像画を先生自身にさし上げることになってゐました。それが二高に着いたときにね、荷を解いてこの画を見た事務員が思はずぷつと噴き出してしまったといふのです。つまり事務員の眼には戯画のやうに見えたのでせうね。これは大変とだといふので、すぐに校長のところへ持ってゆくと、校長の阿刀令造氏も一眼見ておどろいて、そのまゝ画をしまひ込んで人に見せなかったといふのです。」――
 これからが面白い。校長さんはその後毎日食堂に出る毎に、集まる諸教授をとらへて、安井曽太郎の偉さを説明しはじめた。まづ二科会が日本の洋画界で最も清新溌剌たる団体であること、その二科の中でも特に安井曽太郎の傑出した作者であること、又、かつて滞欧作がいかに大いなる刺激を画壇に与へたかといふこと、その他数々の例をあげて、教授諸氏に予備知識を与へたのである。一般に何処の学校でも、教授たちはあまり油画に関心を持たぬから、当時二科の画風を知ってゐる先生などおそらく一人も居なかったであらうと想像される。そこに校長の苦心もあったわけであるが、そのうちに東京朝日紙上に児島喜久雄氏の執筆した二科展評が出て、「玉蟲先生の肖像」は非常に好評であったから、校長も時到れりとばかりに、はじめてかの画を公開したのださうである。
 しかし、この苦心の予備説法がどれ程役に立ったか? それはたいてい想像できることで、おそらくは不思議な表情をしつゝ、兎見角見(とみこうみ)した人が多かったことゝ思はれる。そこに描かれた玉蟲先生自身も、あまり会心の笑みを洩らされなかったさうである。」
 だが安井曽太郎に肖像を描いてもらうことは願ってもない名誉なことであった。その証拠に、安井が依頼されて描いた記念肖像画は、《玉蟲先生像》の他は次の5点を数えるだけである。
《本田光太郎肖像画》 1934年、東北帝国大学在職25周年記念
《深井英五氏像》   1937年、日本銀行総裁退官記念
《徳川圀順氏肖像画》 1948年、貴族院議員退任記念
《大内兵衛像》    1950年、還暦記念
《安倍能成君像》   1953-55年、古稀記念
 いずれも安井芸術の高い完成度を示す傑作である。
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by monsieurk | 2015-04-13 22:30 | 美術 | Trackback | Comments(0)
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