ムッシュKの日々の便り

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「瀬山の話」の位置Ⅳ

 岡崎西福ノ川町というのは、聖護院と光明寺の間にある町で、下宿を出て東へ三百メートルも歩けば、光明寺の境内へのぼる石段に達する。そして光明寺の境内を北に抜けるとそこが真如堂。真如堂を出て坂を下り、白川通を東に渡り数百メートル行くと、鹿ケ谷の疎水に沿った「哲学の道」に行き当たる。この静寂が領する道を南に下ると若王子に行くことができる。
 雪がちらつく冬の日、梶井が主人公の「私」にたどらせようとするのは、東山山麓をめぐるこうした道筋である。筆者は岡崎西福ノ川町を出発して、この道順を実際に歩いてみて、以上の推測が間違っていないという確信を得た。
 そしてもしこの推測が正しいとすると、『瀬山の話』の執筆は、梶井が岡崎西福ノ川町の下宿へ移ったのち、すなわち大正十三年一月八日の第三学期開始より後ということになる。
 先にも述べたように、泥酔のあげくようやく下宿までたどり着いても、大声で家主を起して逃走した出来事といい、二条寺町の果物屋で偶然購った一顆のレモンが、ささくれだった心を思いがけなく鎮めてくれ、やがてそのレモンを丸善の画集の上に置くといった悪戯まで仕出かす例のレモン体験は、みな北白川の澤田宅に下宿していた時代に起った出来事である。習作『瀬山の話』をはじめ、多くの習作に素材を提供している頽廃と錯乱の日々は、大正十一年から十二年にかけてのことで、この時代を思い出す梶井の脳裏には、北白川の下宿があったことは間違いない。
 ただ実際に岡崎へ下宿を移した後でなければ、『瀬山の話』の道筋を、主人公の「私」が思い描くはずのないこともまた事実である。
 なぜ『瀬山の話』草稿の執筆時期にこだわるのか。京都での乱行の日々、宿酔いで胃の腑同様に頭が変調をきたしていた日、梶井はいつものように街を徘徊している途中、何気なく一顆のレモンを購った。このレモンの重さや色、香り、掌に伝わる冷たさが、肺尖カタルを病んでいつも熱をもつ身体の不快感を忘れさせ、心の底に澱〔おり〕のように沈んで離れない「不吉な塊」を、一瞬とはいえ氷解させる体験を味わったのであった。
 梶井は、これを直ちに『秘めやかな楽しみ』という詩に書いた。だが心の不可思議な働きを垣間見せてくれたこの体験は、一篇の詩に書いてすむような事柄ではなかった。梶井は、この体験が啓示している幻視の意味を考え続けていたのである。
 大正十三年の初めといえば、卒業試験を間近にしていた時期である。二度も落第している梶井にとって、この試験をなんとかパスすることは至上命題であったはずである。そんな追いつめられた状況のなかで、試験勉強を中断してまでも、『瀬山の話』を書かなければならないほど、レモン体験が、このとき梶井の内部で発酵していたということなのであろう。
 詩篇『秘めやかな楽しみ』を発端として、『瀬山の話』を経て、やがて『檸檬』が誕生するのだが、この発展の過程で、一顆のレモンをめぐるエピソードが、どんな変貌をとげるのか。その経緯を詳細に検討する作業こそ、梶井文学の誕生に立ち会うことにほかならない。同時にそれは、梶井基次郎という稀有の幻視家の意識構造を明らかにする作業でもある。
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by monsieurk | 2015-05-07 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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