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日本を愛したフランス人、ノエル・ヌエットⅡ

 再来日

 日本へまた行ける機会を得たことはノエル・ヌエットを興奮させた。日本での生活を思い出すとき、最初に出会った二つのことがとくに強く蘇った。一つは畳の香りであり、もう一つは坊さんが木槌でたたく木魚の音だった。畳は初めて寝た日本間を思い出させ、木魚の音は神秘的に感じられた。 「この小さな音は、不意に狭い露地から、庭の垣根を越えて、あるいはまた店の陳列を越えて、どこからくるのか正確には知りえない状態で私の耳に聞こえてくるのが通例であった。そして静かにその音が消えたかと思うと、こんどは或る町角へきたとき不意に、同様にどこかわからぬ別の家から強く鳴り出すという具合だった。」(『東京のシルエット』23―24頁) だが、妻のイヴォンヌは日本へ再び行くことを承諾せず、ヌエットは一人でシベリア横断鉄道に乗った。東京へ着いたのは1930年(昭和5)春のことだった。
 勤務先の東京外国語学校は神田一ツ橋にあって、静岡高等学校のときとは違って多くの外国人教師がいた。フランス語で話ができる同僚の外にも、ラテン系のイタリア人、スペイン人、ポルトガル人の教師とも心を許す仲となった。学生たちも外国語を専門に学ぶ意志をもつ者たちで、授業時間も多く、一人一人の学生の顔もすぐに覚えた。住まいは麹町富士見町のさる日本人の家に下宿した。そこにはヨーロッパ風の一間があった。
 こうして待望の東京での生活がはじまった。神田には多くの私立大学やフランス語を教えるアテネ・フランセなどがあった。神田を特徴づけているのは、駿河台から九段下にかけて軒を並べる古本屋と大小の出版社だった。ヌエットは講義の合間をぬって古本屋街に足をむけた。時に掘出し物もあった。ある日、店先を覗いていた彼は、政治家で作家としても著名なエドゥアール・エリオが、駐仏日本大使館員に贈った献辞つきの著書をみつけた。ヌエットの友人も僥倖に恵まれた。エドモン・ド・ゴンクールの自筆献辞のついた著書をわずか五十銭で購入したという。
 当時の神田の古本屋には外国語の原書が多く売られていた。第一次大戦後のヨーロッパの経済的混乱で円の価値が高くなり、英語、ドイツ語、フランス語の本が大量に購入されたからである。ヌエットは売られているフランス語の古本に一つの特徴があるのに気づいた。原書の最初の方だけが頁を切られ、鉛筆の書き込みまであるが、終わりの方は頁が切られずに、そのままになっている本が多いことだった。フランスの本は仮綴で、購入した読者はペーパー・ナイフで頁を切り離して読み進む仕組みだった。英語やドイツ語の本は最初から製本されているから、こうした手間をかける必要がないが、フランス語の本はどこまで読んだかが一目瞭然である。フランス書は読者の努力をごまかすことが出来ないのだ。

 スケッチ

 ヌエットは二度目の来日にあたって、シベリアを横断している列車のなかで、今度の滞在中には、ぜひ東京の姿をとらえようと心に決めていた。その点で外国語学校がある一ツ橋はまことに地の利をえていた。彼は講義と講義との間に時間があると、すぐにカバンを携えて、日本橋や銀座の方へ出かけて行った。外出のとき決まって鞄を肩から下げるか、大きな紙入れをもって出かけた。そこに本や、デッサンをする紙とインク、ノートブック、予備の眼鏡、写真機、ときには弁当を入れた。そして鞄には、途中で買った本や骨董品、道で摘んだタンポポなども入れられるから、帰ってくるときには「兎を飲み込んだ蛇の腹」のようにパンパンにふくらむことになった。
 ヌエットはこうして時間を見つけては東京の街を歩いた。まず気づいたのは、銀座やその付近で見かける横文字の看板の多いことだった。レストラン、喫茶店、バー、あるいは普通の商店がフランス語の名前をかかげていた。日本に慣れたヌエットは、こうした店にフランス語を話す人がいるわけではないことを知っていた。銀座には「モナミ」という菓子屋があり、そこでは日本の古いしきたりにしたがって、背中に店の名前を染めた上衣を店員に着せていた。あるとき友人と銀座を通りかかると、藍色の地に白い文字で背中にモナミと横文字を染め抜いた上衣を着た男が通りを横切っていった。ヌエットはすかさず連れの友人に、「ほら、私の友人(モナミ)が行くよ」と叫んだ。
 一枚の写真が残っている。橋の上からスケッチしているヌエットを左側から撮ったもので、石の欄干にスケッチ帖を寄せかけ、万年筆で一心に風景を描いている。黒いソフトを被ったヌエットを取り囲んで、二人の日本人が手元をのぞき込んでいる。背景は大小のビル、東京のどこの街角であろうか。
 「奇妙なことだが、私はビルディングに興味を感じていた。私は常に全体的な眺め、『沈んでいる』眺めを見下ろすことができるように屋上へあがることを試みるのだった。三越、味の素、京橋の第一精養軒、尾張町の服部、その他ほとんどすべての大ビルの上から私はスケッチした。物見高い人がきて覗いた。しかし、ときどき海の方を向いて描いていると、あまりに御熱心な店員がきて、私に警告するのであった。『その方向を描くのには特別の許可が必要ですよ。あなたはスパイと間違えられる』と。こうして途中でデッサンをやめたことは一再にとどまらなかった。あるとき、駿河台の高台から後楽園を描いていると、一人の警官がきて水道橋の交番へ私を拘引し、尋問した。やがて彼は私の身分を確かめるために外国語学校へ電話をかけた。そのあとで結局、彼は私を釈放する決心をした。後楽園は当時は弾薬庫であったことを想い出さねばならない。」(『東京のシルエット』59-60頁)
 ヌエットはパリで内藤濯を通して知り合った遊学中の画家石井柏亭に絵を習ったが、スケッチには教えられたように、鉛筆ではなく万年筆を用いた。これには少年時代に見た広重の浮世絵の線の影響もあった。西洋絵画の伝統では、素描の線は消さるか塗りこめられる。色と形は存在しても、線は本来存在しない抽象的なものだからである。ところが浮世絵では、この存在しないはずの線がものと形を表現する決定的要素なのである。広重をはじめ、浮世絵がそのことを彼に教えてくれたのである。
広重といえば、彼は上野と浅草の間にある東岳寺に広重の墓を訪れたことがあった。寺には墓とともに版画商や愛好家が建てた碑があるが、そのかたわらにもう一基の墓があるのを見つけた。それは広重の作品を愛したアメリカ人ジョン・スチュアート・ハッパー(1863―1936)のもので、東京で教師をしていたハッパーは広重の版画を多く集め、死後は偉大な芸術家のわきに葬られることを望んだのである。

 アルバム

 ヌエットはお気に入りの場所のスケッチがたまると、それを関係のあった白水社に持ち込んだ。白水社はフランス語・フランス文学に関する本を主に出版する書店として、1915年(大正4)に創業された。1921年(大正10)には、『模範仏和大辞典』を刊行するとともに、学生向けの雑誌「ふらんす」を創刊していた。
 ヌエットは白水社の編集長草野貞之を訪ね、自分のスケッチを見せて、これを「ふらんす」に載せてくれないかと頼んだ。ヌエットは草野とは旧知の間柄で、第一次「ふらんす」の後をうけて出された雑誌「La Semeuse(種まく女)」の1926年5月号は、「ノエル・ヌエット特集」を組んでいた。草野は彼の申し出をこころよく受け入れてくれ、幾つかの作品が雑誌「フランス」(1928年に再び「フランス」と改題)に連続して掲載された。
 スケッチは好評だった。これを見たある出版業者が、それを絵葉書にすることを提案してきた。ヌエットは喜んで同意し、雑誌のための鉛版を活用して、絵葉書集「古き東京、新しき東京――一外国人のペン画」が売り出されることになった。このポケット版の絵葉書集はよく売れたが、ヌエットはほとんど無報酬だったという。それでも自分の描いた絵葉書を友人に送ることができて満足だった。
こうして絵を描くことが、フランス語の授業とともに大きな楽しみになった。彼は感動を催す風景を求めて、東京中を歩きまわった。
 ヌエットの野心はさらに大きくなった。当時、芦田均が社長をしていた新聞「ジャパン・タイムス」に知り合いがおり、東京スケッチを新聞に載せてくれないかと頼んだところ、この申し出を快諾してくれたのである。こうして「ジャパン・タイムス」は3年間にわたって、ヌエットが描く首都東京のパノラマを毎週掲載した。
 社長の芦田均は最初の50枚たまると、これで画集をつくることを提案した。ヌエットに異論があるはずはなく、東京の歴史を解説する短い文章を書いた。「TOKYO AS SEEN BY A FOREIGNER VUE PAR UN ETRANGER」が、The Japan Times & Mail から出版されたのは1934年(昭和9年)12月20日で、手元にある本には定価2円とある。
 50点の東京風景を収めたこの画集(アルバム)には、画家の有島生馬が好意的な序文を寄せてくれた。それは英語とフランス語に翻訳されて掲載されているが、それを再度日本語にすれば――
 「詩人というのはとりわけリズムに憑かれた存在のように見える。しかし、詩人たちはどちらかといえば絵画の愛好家である。ゲーテは音楽より絵画を好んだ。ヴィクトル・ユゴー、ボードレール、ヴェルレーヌ、他の大詩人の多くが素晴らしい詩集とともに、魅力溢れるスケッチを残している。ときわけ日本には『文人画』つまり『詩人画家の流派』の例が数多く見られる。
 ノエル・ヌエット氏もまた、詩を書くための愛用のペンで、精彩に富んだスケッチをものしている。そして彼は偉大なる散歩者であるように思う。彼の絵の題材はその現場で、もっとも芸術的なアングルで選び取られている。
 私たちがこの五十点のアルバムを持ちえたことは幸せだった。・・・・」
 こうして50点の万年筆によるスケッチが、1枚目の『宮城』から、50番目の『水道橋近くのパノラマ』まで展開され、それぞれにヌエット自身の短い説明書き(キャプション)が、これもフランス語と英語で添えられている。「封建時代の城の様式で建てられた宮城の古い櫓の一つ。奥には天守閣がみえる。宮城には多くの庭園があり、たわんだ松の枝が大きな堀の水面まで垂れ下がっている。宮殿へ近づくことは一般には許されていないが、その周囲はどの方角も、首都の最も美しい場所となっている」とあって、『宮城』のスケッチが掲載されている。絵の下部には「24 Oct 32 N. Nouët」というサインがある。
 2枚目は『日本橋』。「日本橋、日本の橋。最初は1903年に建造された。最初は木製で、以後12回つくり変えられた。近代的な橋は1911年の日付である。江戸時代、日本橋は非常ににぎやかな場所で、多くの浮世絵がそこを往来する画趣ある人たちとともに描いている。帝国の街道の距離を測る基点がこの橋である。」このスケッチは1934年2月21日に描かれたことが日付から分かる。このようにして、国会議事堂、ニコライ堂、東京帝国大学、東京駅、市谷の土手の松、丸の内大通り、上野駅、浅草観音、東郷元帥の旧邸、霊南坂などなどが描かれる。
 最後の50枚目は『水道橋近くのパノラマ』である。「神田の駿河台の高台からのパノラマ。鉄道の線路が運河の堀にそって走り、水道橋駅を過ぎる。江戸のこの場所は多摩川の水路だったことからこう呼ばれた。この川は17世紀に掘削された。工場のような建物は兵器廠で、かつて水戸徳川の屋敷があった場所に建てられた。1625年の日付をもつ庭園は保存され、多くの目利きをひきつけている。その名前は後楽園といい、天気が良い日には山並が地平線をくぎり、富士山の頂が夕映えの西の空に紫色のシルエットを見せる。」このスケッチは1933年3月7日に描かれた。
 ヌエットの画集では、裏表紙に1934年に建設されたばかりの日比谷劇場を背景に、着物姿の女性がこちらを振り返っている姿を描き、そこに赤字で右から左へ「東京」、「一外人の見た印象」、「ジャパン・タイムス社」と日本語で書かれているが、日本語の記述はこれだけである。それにもかかわらず画集は好評をもって迎えられ、よく売れた。そこでジャパン・タイムス社は、翌1935年(昭和10)、別の50点のスケッチを収めた第2集を発行した。こちらには有島生馬の序文に代えて、西条八十の詩を序文として載せた。
 ヌエットのスケッチ集はこれだけでは終らなかった。1936年(昭和11年)には、日仏会館から「Tokyo, ville ancienne, capitale moderne, cinquante croquis(東京 古い都・現代都市)」と題して、同じく50点のスケッチを収録した作品集が同じ型式で刊行された。ヌエットのキャプションはフランス語と英語のほかに日本語訳も添えられた。日仏協会理事長で貴族院議員の子爵曽我祐邦が序文を寄せて、こう述べている。
 「東京は日本の顔である。尊い伝統が残っている古い顔であると同時に、近代文化を反映している若々しい姿でもある。過去の集団であると共に未来にも通じている。
 これらの東京の姿は、ノエル・ヌエット氏の豊かな画集が我々に思い出させて呉れる。氏の筆になった素描は、実に丹念に描かれ、真情の籠ったクロッキーである。この画家は、如何にも東京をよく眺め、その姿を示す良心を持っている。描く風景もよく選れた。古いというも新しいと言うも、二つが別々に分れているのではない。新しい東京は、古き都の中に生まれつゝある。散策者は、古い町から突如として、モダンな姿をした町に入ることがある。それ故、往々外国人は、真の東京を見ずに過ぎることがある。ノエル・ヌエット氏は斯様な点を考えて、この画集の各頁に注意を呼び越している。見るからに、いとも優れた感情の画家と愉快な散歩をしているかの感が深い。」(同書5頁)
 たとえば22枚目の『谷中五重塔』では、手前に両側を板塀に囲まれた石畳のゆるい坂道が描かれ、その先には平屋の屋根々々。さらにその遥か遠くに遠く五重塔が望める。そして坂を下りきったところを左から右へ横切る道を、いましも天秤棒の前後に桶を下げた物売りが通り過ぎようとしている。豆腐屋だろうか、魚売りだろうか。いまにも呼び声が聞こえてきそうである。この絵のヌエット自身のキャプション――
 「庭園に挟まれた本郷のとある横町。遥かに谷中の五重塔が見える。現在東京には五重塔は之を入れて6、7基しか残っていない。」ノエル・ヌエットはスナップ写真のように昭和十年台の東京のたたずまい、この街が示す情緒をすくい取って定着させたのだった。(続)
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by monsieurk | 2015-05-13 22:30 | 美術 | Trackback | Comments(0)
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