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マラルメの「賽の一振り」Ⅱ

「賽の一振り」が最初に発表されたのは、雑誌「コスモポリス」であった。「コスモポリス」は1896年1月に創刊され、タイトルが示すように、記事や作品は英語、フランス語、ドイツ語の原文のまま掲載された。世界の主要な都市に特約書店があり、サンクトペテルスブルクではロシア語版も印刷されていた。
 マラルメが「コスモポリス」のパリ支局から執筆の誘いを受けたのは、1896年10月のことである。これが「賽の一振り」制作のきっかけとなった。ロンドンで雑誌に協力していたエドマンド・ゴスの勧めもあり、また「宇宙(コスモス)」を連想させる雑誌の名前も一役買っていたかもしれない。
 このときパリ近郊のヴァルヴァンに一人いたマラルメは、パリにいるマリーとジュヌヴィエーヴに宛てた11月25日付けの手紙の一節で、「私は12月には世間を締め出すつもりだ。親切な銀行家〔父の出費が多いと嘆く手紙を寄越したジュヌヴィエーヴのこと〕に対する負債を払うためにも、「白色評論」と「コスモポリス」の仕事をしなければならないから」と書き送っている。この年の冬は「賽の一振り」の創作に全力を投入し、その甲斐あって原稿は翌年2月には完成し、3月上旬には校正刷がつくられた。こうして詩篇は「コスモポリス」の1897年5月号に発表されたのだった。
 代赭色の表紙をした同誌の頁を開いた読者は、目に飛び込んできた活字に度肝を抜かれた。読者は頁から頁へと読み進むうちに、これが筋ともいえない筋をもつ一篇の詩(あるいは「批評詩」)であることを悟った。じつはこの奇怪な形態を有する詩を解く鍵といえる作者自身による解説が、本文に先立って付記されていて、「ステファヌ・マラルメによる詩篇「賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう」に関する指摘」と題された序文は、以下のような内容のものであった。マラルメの「賽の一振り」Ⅱ_d0238372_1548717.jpg
 「「空白」は、事実、重要な役割を引き受けており、まずは〔読者を〕驚かせる。詩法がそれを要求したのであって、抒情的なものであれ、無脚韻のものであれ、詩句の断片は通常は、紙面の中ほどの凡そ3分の1を占め、そのまわりを沈黙が取り囲んでいる。私はこの〔1面の詩句の分量という〕尺度を冒すことなく、ただそれを分散させるのだ。〔頁がめくられる毎に〕、ひとつのイメージが他のイメージの継起を受け入れつつ、それ自体は消えたり、また現れたりするように紙面が介入する。そして、そこでは通常なら、規則的な音韻の特徴や詩句が問題とされるのだが、―― この場合はそれよりも、何らかの適切な知的演出において、「思念」のプリズムを通した再区分と、それらが現れる瞬間、そしてそれらが競い合う時間の持続の方が問題なのであり、テクストが要求する潜在的な導きの糸の、遠くあるいは近くに、相応しいと思われる、さまざまな場所に〔詩句ないし語が〕置かれるのである。あえて言えば、語群や語群の間の語一つ一つを分離することの、文学的利点は、「ページ」の上の一度に目に入るヴィジョンにしたがって、読むことの動きをときに早め、ときに遅らせ、その動きに拍子を響かせることのように思える。つまりそれは他では、詩句あるいは完璧な一行がそれである単位として捉えられるのだ。・・・つけ加えるなら、撤退、延長、逃走をともなった、思想あるいはそのデッサンそれ自体の、このあからさまな使用から、声を出して読もうとする人のためには、結果として楽譜が出来上がることになる。支配的なモチーフと二次的モチーフ、さらに近接したモチーフとの間の印刷活字の相異は、声の発出の上での重要度を示唆しており、また〔そのモチーフが〕頁の中ほど、上、下にあるかどうかは、抑揚の上昇あるいは下降をしるすことになる。・・・この試みが、自由詩や散文詩という、予想外のものをともなう、特殊ではあるが、現代ではすでにお馴染みになった探求に関与するものであることは容易に認識されるであろう。」

 「賽の一振り」で扱われるテーマの最初の萌芽は、散文詩の「イジチュール」にさかのぼり、以来30年の長きにわたって準備されてきたものであった。マラルメはさらにこの詩で、最近になって展開した詩論(たとえば「詩の危機」)、書物論(「書物、精神の楽器」)、あるいは余白についての議論(「神秘、文芸における」)や、刊行した「パージュ」での実践の成果を十全に活用した。「序文」の最後では、「これらの結集は、私の認識では、〔文学とは〕異なる影響、コンサートなどで耳にする「音楽」の影響のもとでなし遂げられるのである。音楽からは「文芸」に属するように見える多くの方法が再発見されるが、私はそれらを取り戻すのだ。このジャンルはそれによって、徐々に、シンフォニーのようなものになることが望ましい」とも述べている。
 雑誌が刊行されると、5月5日、イタリアを旅行中のアンドレ・ジッドから熱烈な讃辞と感想が寄せられた。フランソワーズ・モレルも引用しているように、マラルメはそれへの返信のなかで解説を試みた。「「コスモポリス」誌は勇断があり、素晴らしかった。ただ、私は「「コスモポリス」には重要事の半分しか提示できなかったが、すでにそれだけで、雑誌にとっては、ずいぶん冒険を冒すことだったのだ! 詩篇はいま印刷されている。私が考えた具合に。パージ付けについて言うと、そこにこそすべての効果があるのだ。ある一語、大きな活字のある一語は、ただそれだけで、〔他に何もない〕空白の1頁全体を支配しているが、私はその効果は確かにあると思っている。しかるべき最初の校正刷を、貴君宛てでフィレンツェへ送ることにしよう、・・・星座〔のイメージ〕は、そこで、厳密な法則にしたがって、そして印刷されたテクストに可能な範囲で、必然的に、星座の動きの形を取ることになるだろう。船は、そこではあるページの上部から別のページの下部へと、〔船体を〕傾けているなどである。なぜなら、それこそが〔この詩の〕視点のすべてであって(ある「定期刊行雑誌」では私はそれを省かざるを得なかった)、ある行為や事柄についての一つの文章のリズムは、それらを模すものでなくては意味がないし、さらに紙の上に象られ、〈文字〉により元の版画から奪いとってこられたリズムが、それらの何かを表わさなければならないからだ」。(続)
by monsieurk | 2015-05-22 22:30 | マラルメ
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