旧鈴木信太郎家Ⅱ
鈴木信太郎博士が、L’Après Midi d'un Faune を初めて翻訳し、『フォオヌの午後』と題して、雑誌「明星」に掲載したのは大正11年11月のことである。このときの翻訳は断片であったが、全篇は大正13年に春陽堂から出版された『近代佛蘭西象徴詩抄』に発表され、さらに昭和5年新潮社刊の『世界文学全集第37巻、近代詩人集』から、表題は「半獣神の午後」と改められた。
その上で昭和14年度の東京帝国大学の演習で『半獣神の午後』を取り上げ、一行一行について厳密な解釈をほどこした。これは『半獣神の午後研究』として、昭和16年に一度印刷されたが、刊行されずに破棄されてしまった。その後昭和21年になってようやく雑誌「饗宴」に3回にわたって掲載され、翌22年に単行本(要書房)に収録されたのだった。
そして、その後しばらくして、『半獣神の午後』の豪華本を作る計画が持ち上がったのである。この辺の事情について、昭森社の社主で、豪華本を数多く出版した故森山均が次のように語っている。
「・・・もう一つ自分の限定版書肆としての別号蘭台山房本について少し書いておこうと思う。この房号は黄眠先生〔日夏耿之介〕から贈られたもので、終戦後もこの名によって鈴木信太郎氏訳川口軌外挿絵によるマラルメの『半獣神の午後』その他を造りつつある。」(「限定版手帖」吾八刊、第2号、昭和24年10月)
私の手許にある原稿は、この豪華限定本のためのものである。鈴木先生はわざわざ縦25字、横10行、上部に S. Suzukiと筆記体で印刷した原稿用紙を特注し、緑色のインクで一字一字清書された。
原稿には茶色の色鉛筆で、「徐扉」、「奥附」といった指定やページ数が書き込まれていて、印刷寸前まで行っていたことを示している。しかしこの豪華本出版の計画は実現せずに終わった。豊島区郷土資料館の古賀暁子さんによると、鈴木家にはかねてこの出版のために描かれたと推測される川口軌外画伯の数点の絵が保存されていて、現在は豊島区資料館に寄贈されているという。
資料館の特別のはからいで、絵のなかから3点を紹介するが、下の写真のようにいずれも未完の状態と思われる。挿画は何らかの理由で完成されず、豪華本の出版も頓挫したのではなかろうか。
自筆原稿とこれらの挿画が、記念館完成の際には並べて展示されて、出版されずに終わった豪華本の夢を見ることができるとすれば、かつて鈴木信太郎先生の講義を聴講し、薫陶を受けた者としては大きな喜びである。