トゥルノンのマラルメⅦ
ところでカザリス宛ての手紙に同封されたもう一つの作品の散文詩は、「未来の現象」と推定されるが、ここにも「エロディアード」は影を落としている。
散文詩の内容は、まさに地球が滅びようとする時代のものである。落魄した未来の世界にあって、「過去の事物の見世物師の布張りの小屋だけが建っている。あまたの街灯は黄昏を待って、不滅の病魔と幾世紀にもわたる罪業に征服された、不幸な群衆の顔を浮きあがらせる。男たちは、みじめな果実を懐妊し、その果実とともに地球が滅びゆく、みすぼらしい共犯の女たちのかたわらに立ちつくしている。一つの絶望の叫びとともに、水の下に沈み込む太陽を、はるかに哀願しているすべての眼の不安気な沈黙のなかで、見世物師の長広舌が聞こえるばかりである。「・・・私は、ここに生きたまま(しかも至高の科学によって、幾歳月を通して保存してきた)古の女を一人もたらした。」
見世物師が自慢げに披露するこの古の女性こそ、マラルメが夢想のうちに想い描いていたエロディアードにほかならない。
「なにやら知らぬ物狂おしさ、生来にして素朴、黄金の恍惚とでもいおうか、髪と名づけたものが、その唇の血の滴るばかりの裸形に光輝いた顔の周囲を、織物の優雅さそのままに、うねっている。虚しい衣服のかわりに、彼女は肉体をもっている。類まれな宝玉にも似たどのような眼といえども、この好ましい肉体からでる眼差しには及びもつかない。乳房は張り切って、あたかも永遠の母乳が充満したように、乳首は天に向かっている。滑らかな脚は原始の海の塩を保っている。」
詩篇「エロディアード」の女主人公こそ、こうした豊かな肉体と輝くばかりの金髪をもった美女として生まれてくるはずであった。そして見世物師の口上のような美女が、本当に古から甦ったとすれば、そのときこそ世紀末とはいえ、少数の心ある者、困難な時代を生きる詩人たちは、「炎の消えたその眼にふたたび火がともるのを感じながら、彼らのランプの方へ歩いていくだろう。脳髄はしばし混乱した栄光に酔いしれて、韻律につきまとわれ、美に先立たれて生きながら得た時代に生存していることも忘れて。」
マラルメは自分が生きている時代を世紀末と意識していた。一方で、もし自分のうちに育んでいる美の化身エロディアードを、詩句として造形することができたならば、創作意欲を喪失している同世代の詩人たちのなかに、その情熱をふたたび燃え上がらせることができると信じていた。だがエロディアードは、見世物師の口上とは違って、なかなか姿をみせなかった。
マラルメのようなタイプの詩人の場合、詩作には精神の極度な緊張が必要だった。しかし、ジュヌヴィエーヴが生まれてからは、そうした状態は望むべくもなかった。
「親愛なるアンリ、・・・ペン軸の上には、埃が溜まったまま、もう幾日にもなる。ここは非常に寒い。悲しいほどの寒さなので、私はマリーの部屋の暖炉の隅にしじこまっている。この部屋には子どもがいるので、火が必要なのだ。火はまるで火事みたいだ。私はそこへ教室での授業に疲れ果てて戻ってくる。今年は授業が私からほとんどすべての時間を奪ってしまった。その上、ジュヌヴィエーヴが泣き声で私の頭をがんがんさせる。そんな具合で、休息する時間はほんと一刻しかない。それも夜なので、凍った毛布に身を埋めるのだ。その前に、一瞬でも机に向かって、ものを書こうという気を起させるようなよい友もいなければ、ハッとするような考えも浮かびはしない。したがって、私は手紙も書かず、詩作もしない。といって家庭的な幸福が、こうした仕事の穴を埋めてくれるとはとても思えない。どんな楽しみであれ、それを楽しむために仕事をしていない自分に気がつくと、私はひどく苦しむことになる。」
これはマラルメが親友カザリスに宛てた12月26日付の手紙の一節で、この時期には同じような嘆きは他の友人に対しても続けざまに発せられた。