フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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塩川徹也編訳「パンセ」の出版

 待望久しかった塩川徹也訳のパスカル『パンセ』の翻訳が岩波文庫で刊行されはじめた。全部で3巻の予定だという。塩川氏は長年ブレーズ・パスカルの研究にたずさわり、これまでもパスカルに関する数々の独創的な論考を発表して、フランスでも高い評価をうけてきた。その彼がどんな『パンセ』の翻訳を提供してくれるか興味津々である。
 塩川氏は第1巻の「解説― 『パンセとはいかなる〈書物〉か』」の、「四 本訳書について」で、「「凡例」に記したように、本訳書は「写本」に直接依拠し、既存の刊本を底本とはしていない。そのかぎりで、これは独自の新版『パンセ』である。しかし決して独創的な新版、いわんや決定版を目指したものではない。これまでの説明でお分かりのように、未完の著作の準備ノートを中核として編まれた遺稿集はそもそも決定版の観念になじまない。そのような原理論は措くとしても、メナール版『パンセ』が未刊の現状で、それに取ってかわる決定版を構想するのは無謀でもあれば非現実的でもある。本訳書が目指すのは、メナール版『パンセ』の露払いをつとめることである。」と述べている。
 この解説にあるとおり、今回の塩川版『パンセ』は、これまでにフランスで刊行された本をもとに翻訳するのではなく、パスカル自身が残した自筆原稿あるいは口述した原稿からなる原本と、このほとんど全部と、これにはない断章も若干含む2種類の「写本」(「第一写本」、「第二写本」と呼ばれる)をもとにしている。以上の3つは、いずれもパリの国立図書館に保存されている。
 パスカルが残した原稿は、大きさも形もまちまちの62の束にまとめられているが、この62の束は2種類に分類することができる。1つは、束を包んでいる紙にパスカル自身がタイトルをつけているもので、これが27束ある。そしてこれに対応する「目次」も残されている。残りの35の束には、パスカル自身によるタイトルはつけられていない。
 第一写本と第二写本は、パスカルがタイトルを残している27の束に関しては、テクストもその配列も同一だが、タイトルのない35の束については、配列の順が両写本で異なり、含まれるテクストにも若干の異同がある。
 これら国立図書館に所蔵されている3種の文献、「パスカルの自筆原稿」(口述のもの、他人が浄書したとおぼしい原稿も含んだ)、「第一写本」、「第二写本」は、その複製が電子図書館「ガリカ(Gallica Bibliothèque Numérique)」で公開されており、ネット上で読むことが出来る。塩川氏は今度の岩波文庫版『パンセ』を編纂・翻訳するにあたって、公開されているガリカの複製版を主として参照したとのことである。
 ブレーズ・パスカルは1662年8月に亡くなったが、残された遺稿集は、1670年に、「死後書類の中から見出された宗教および他の若干の主題に関するパスカル氏のパンセ(pensées)」というタイトルをつけて初めて公表された。編者たちが、パスカルが親しくしていたポール・ロワィヤル修道院の関係者だったことから、「ポール・ロワィヤル版」と言われるもので、このときのタイトルから、パスカルの遺稿集は一般に、「パンセ(随想)」と呼ばれるようになったのである。
 「ポール・ロワィヤル」版は、パスカルが抱いていたであろう護教論的志向を軸に置きながら、信者であることを自認する読者に向けて編纂されており、加えてキリスト教的な色彩を帯びた人生論ともなっている。
 この版以後、未完のまま残されたパスカルのテクストを、多くの研究者が独自の考えに基づいて編纂したものが刊行されてきた。『パンセ』編纂の歴史は、それ自体が一つの物語だが、これまで広く流布してきたものを2つあげれば、その1つは、レオン・ブランシュヴィック(Léon Brunschvicg) が1897年に初版を刊行した、いわゆる「ブランシュヴィック版」である。
 フランス哲学界の重鎮だったブランシュヴィックは、パスカルが残した遺稿を、パスカルのプラン通りに再現することを断念し、それらを種類別に分類し、配列する方法をとった。
 彼は『パンセ』につけた序論で、「パスカルが未完成のままに残した殿堂を完成する権利はわれわれにはなく、ことにそれを完成する力があるなどと考える不遜な心は持ちえない。他面、業績の素材をそのままにしておかず、近づきがたく理解しがたい混沌状態のまま残さないようにするのが、われわれの義務である。なにか一つの方法を選ばなくてはならない以上、われわれにとって残されている道は一つしかない。それは、パスカルの『パンセ』について、廃墟の遺跡博物館において行われている方法をとることである。そこでは、再建も付加もせず、各々の石についてその出所を明らかにし、秩序だった集合によって他のものと照らし合わせることである。無秩序でも、最高性でもなく、たんなる分類である。」(前田陽一訳)と述べて、パスカルが残した同じような内容の断章を、14の章に分けて収録した。
 これによって、一般読者が『パンセ』に近づき、パスカルを理解しやすくしたのである。読者はこの版によって、アフォリズムを読むようにしてパスカルの思想を受け取ることになった。だがブランシュヴィック版では、パスカルが見出しをつけ、目次まで残した27束の配列までが無視されてしまった。
 その後、1938年に刊行されたトゥルヌール(Zacharie Tourneur)の版からはじまり、戦後のラフュマ(Louis Lafuma)へと引き継がれた、第一写本の配列こそがパスカルの意図をもっとも良く反映しているという「第一写本」優位説が提唱されることになった。
 糸口は、「ポール・ロワィヤル版」の序文にある、「さまざまな束に綴じて」あった原稿を、まず「発見されたときと同じ混乱のままに写し取らせた」という言葉だった。その後、パスカルの自筆原稿の方は、「ポール・ロワィヤル版」出版のために現在の形に並べかえられたというのだが、これが事実なら、自筆原稿の綴りよりも写本の方が一層元の分類に近いことになる。そしてトゥルヌールは、「第一写本」こそ、このときに筆写されたものだと主張した。しかも重要なことは、第一写本の前半は、一応キリスト教護教論の形をなしている点である。
 その後、『パンセ』のテクストの研究が進み、第一写本こそがパスカルの死んだ直後の原稿の分類状況を忠実に伝えていることを論証したがラフュマであった。彼はこれに基づいて、1952年に、「テクスト」と「覚え書(Notes)」の2冊からなる『パンセ』を刊行した。ここに至って「第一写本」優位説はほぼ確立した。
 以上が、パスカルの『パンセ』をめぐる経緯の概略で、塩川徹也氏も今回の岩波版のテクストの配列を、写本をもとに行っている。
 なお「解説」中の、「メナール版の露払い云々」は、塩川氏が師事したパリ大学教授でパスカル研究の第一人者、ジャン・メナール(Jean Mesnard)の校訂による『パスカル全集』(Edition critique des Œuvres complètes de Pascal, 4 tomes, Desclée de Brouwer,1964-1992、邦訳、白水社刊)が刊行中だが、肝腎の『パンセ』の巻はいまだに陽の目を見ていない。今回の塩川版は、テクストの確定、その読解と注釈とともに、『パンセ』の構成を考える上で注目すべき仕事になるのは間違いない。
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by monsieurk | 2015-08-31 22:30 | | Trackback | Comments(0)