フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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男と女――金子と森の場合(Ⅰ)

 フランスのJ・P・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールの、互いを拘束せず、それでいて終生固い絆で結ばれた男女関係が、一つの生き方として耳目を集めた時期があった。同時に金子光晴と森三千代が、互いの自主性を重んじようとした関係は、大正末から昭和のはじめという、姦通罪が存在した時代だったことを考えるとさら興味深い。ブログではこの稀有な場合を、彼らの作品を読みながらたどってみたい。d0238372_13572590.jpg
 取りあげるのは、森三千代の自伝小説3部作、「青春の放浪」(1951年10月、新潮)、「新宿に雨降る」(1953年1月、「小説新潮」)、「去年の雪」(1959年5月、「群像」)と、金子光晴全集(中央公論社版、1977年)の月報に15回にわたって連載された、松本亮との対談「金子光晴の周辺」。一方金子のものは、『詩人 金子光晴自伝』(1957年8月、平凡社)と、森の3部作に相応する自伝的作品、『どくろ杯』(1971年5月、中央公論社)、『ねむれ巴里』(1973年10月、同社)、『西ひがし』(1974年11月、同社)である。
 これらを用いて金子と森の遍歴を書いたものに、牧羊子(詩人・小説家、開高健夫人)の『金子光晴と森三千代――おしどりの歌に萌える』(マガジンハウス、1992年。のち中央公論文庫)がある。これは詩人と作家という芸術家同士の波乱の生活を描いて注目を集めた。ただ中公文庫版の「あとがき」で、佐伯彰一は、「この「途轍もないペア」が、晩年に至るまで演じつづけた途方もなくいりくんだドラマの跡づけ、解明は、とくに森三千代の側に則して、今後新しい作業がなされそうな気配があり、牧さんによる本書は、その最初の火つけ役を果たしてくれるに違いない」と述べている。
 戦後間もない1973年、金子は若い詩人志望の大川内令子と新たな恋愛関係に陥り、翌年には森が急性関節リューマチに罹って、やがて生涯ベッドで暮らすようになるのだが、この間金子は、森と大川内の間で結婚と離婚を繰り返した。佐伯がいう「新しい作業」とは、錯雑とした関係が森三千代にあたえた心理的ダメージを指している。しかしそれだけでなく、金子が上海旅行で留守の間に、アナキストの学生土方定一と起こした恋愛事件で、金子がどんな心理状態にあったのかもさらに考察してみる必要がある。時代に先駆けた男女の対等を信じようとする金子に、若い恋人へ走る妻への嫉妬は果たしてなかったのか、あったとすればそれをどう抑えたのか、この点ももう一度俎上にのせて考えてみる価値がある。(続)
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by monsieurk | 2015-11-26 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)