ムッシュKの日々の便り

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男と女――金子と森の場合(Ⅲ)

 金子光晴と森三千代の出会いの次第は、次のようなものであった。金子の『どくろ杯』によれば――
 「突然、牧野を通じて森三千代が、ある悩みごとで私に会いたいと申し込んできた。実際は、牧野〔勝彦〕が彼女にすすめて会いにくるように、取りはからったものにちがいない。そんなことになると彼は、すばしこく目はしの利くところがあった。彼女が訪ねてくる日取りは、大正十三年〔1924年〕三月十八日と決まった。勝彦、〔宮島〕貞丈、実弟の大鹿卓があつまってきて、その当日の手筈を決める相談をした。めずらしい女客を迎えるというのでみんな興奮していた。三畳の部屋はむさ苦しく、その上奥の一畳の上が夜具戸棚になって下だけしか使えず「自働車部屋」とあだ名がついていたので、始めての女客を顰蹙させることにちがいないということになり、そこから三四丁の道のりの、私の義母のいる新小川町の小家の二階を借りることにした。当日は、弟の卓が三畳部屋に待っていて、訪ねてきた彼女を案内して新小川町につれてくるという打合わせになっていたが、時間がおそいので、勝彦が二軒の家のあいだを二度も様子をみるために走って往復した。陽のいろはうららかで春めいていたが、ふく風は肌寒いうえに、ほこりっぽかった。私は一間しかない二階の八畳部屋に、箪笥を背に、置炬燵をして、坊主頭で陣取っていたが、心は駆けあるいている勝彦とおなじおもいでいた。」
 では森三千代のこの日の記憶はどうか。金子光晴全集(中央公論社版)月報連載の「金子光晴の周辺8」によると、――
 「松本 金子さんに会われた印象というのはどんなでしたか。d0238372_17212036.jpg
  それが、ちょっと詳しくお話することになりますが。牧野さんといっしょに出かける約束ができましてね。私が女高師の三年生の三月で、春休みになったばかりでした。約束の時間に牧野さんが、私の寄宿舎の門の外まで迎えにきて、そこからいっしょに赤城元町の金子の家まで行ったわけです。電車をおりてから神楽坂(当時の写真)をのぼって、郵便局の横町を入ると右側に板塀があり、そこに木戸がありました。牧野さんが木戸を開けまして、またなかに入って、細い路地の玄関部屋の前まで私をつれて行きました。そこに大鹿卓さんが立っていたんです。金子の弟の。そして卓さんがいうんです。今日はこちらではなく、森さんがおいでになったら、新小川町のほうに案内してくれ、とういうことで、自分がここで待っていたと。それで卓さんにつれられて、新小川町の家へ、またトコトコと、三人で神楽坂の裏の道を歩いて行きました。
 松本 牧野さんと三人づれですね。
  そうです。どうしてそういうことになったのかあとで聞きますと、その新小川町の家というのは、金子の義母の家で、そこに金子が待っていたんです。若い女のお客がくるときに限って、サトウ・ハチロー〔佐藤紅緑の息子、後の詩人〕が赤城元町の部屋へやってくるんですって。その頃、金子のところへは『楽園』の若い連中や詩を書くような人たちがよく集ってたんです。ハチローさんはちょっと悪童ですから、わざと若い女性が困るような猥談なんかをやって、困らせるんですって。だからそれを避けようと、新小川町のほうへ行って待ってるということになったわけなんです。
 新小川町のほうへ行きましたら、格子戸のところで、金子の義母という人が出迎えてくれました。その人はとっても若々しい粋な女の人でした。挨拶したりして、二階へ案内されました。二階には、もう牧野さんと卓さんがあがってまして、もう一人、宮島貞丈という人が取りまきみたいにして坐ってました。金子はといいますと、部屋の真ん中の大きな置炬燵に入ってました。三月のポカポカとあったかい日だったんですけれども、炬燵にあたって、むっくり顔をもたげてこちらを見るんです。明るい、南向きらしい窓がありまして、障子にいっぱい陽がさして、とても日当りのいい部屋なんですよ。それなのに炬燵にあたっているんで、びっくりしました(笑)。
 そこではじめて金子に挨拶をしましてね。だけど、印象は、と聞かれましても、もうはじめから何か引きずりまわされたみたいになっちゃって。舞台回しのほうがすごいのでびっくりしちゃって、本人の印象のほうなんかよくおぼえていない・・・。でも、やさしい感じの人だと思いました。
 松本 その、舞台回しというのはそういうふうな・・・
  あっちに行ったりこっちに行ったり・・・
 松本 その日はあまりそこにいなかったわけですか。
  しばらく話をして・・・。私は、やっぱり詩のことを質問したんでしょうね。なんか答えてくれたんですけど、要領得ないような、ボソボソ何かいっただけ。欄間に掛っている小さな油絵をさして、話の途中で突然、「あれは牧野が描いた絵ですよ」なんて、余計なことをわざといったりして。私は、うっかり「山ですか」といったんです。真っ赤な岩みたいな絵なんですよ。そうしたら、「いや、あれは大島の海です、海岸です」といわれて(笑)。それで余計どぎまぎして、赤くなっちゃったりして・・・。なんか突飛なことをいう人だなと思ったんですよ。
 松本 なるほど。そういう突然変異的なやり方は生涯そうだったんですね(笑)。そのときは、午後からいかれたわけですね。
  そうです。
 松本 それで夕飯まで・・・
  いえ、長居しないで、遠慮して早く帰ってきました。帰りぎわに金子がいいました。「明後日またきませんか」と。それで私、一日おいてまた行ったんです。というのは、学校が始まると、そんなにちょいちょいはながい外出できないから、行くなら春休みのいまのうちだと思ったんです。」
 これが森の側から見た当日の成り行きだが、ここには金子の記述と矛盾することがある。それは牧野勝彦の役回りで、金子の記憶では牧野は金子とともに森がくるのを待っていて、彼女の来るのが遅いので、二つの家の間を行ったり来たりしたことになっている。だが森によれば、牧野は学校の寄宿舎まで森を迎えに来たという。森の金子訪問を牧野が橋渡ししたことを考えれば、当日牧野が道案内のために寄宿舎から同道したというのが真相であろう。ただ森の到着を待つ間に二つの家を往復した者がいたという金子の記憶も、状況が状況だけに強く記憶に残ったはずである。だとするとそれは誰だったのか。考えられるのは、この日同席したというもう一人の人物、宮島貞丈だったかもしれない。彼は元刑事の息子でひょうきんなタイプの金子の取り巻きだった。
 炬燵に入って森の到着を待った金子がもった森三千代の第一印象は――
 「下の格子戸が開く音がして、下駄で駆け上がりそうな見幕で、注進の勝彦が、「来た、来た、来た。来た」と言いながら、安普請の階段を乱暴に、どたどたとあがってきた。つづいて、鼻ばかりが並外れて高いので「たかさん」と呼ばれている弟の卓のうしろから、束髪に結った和服姿の、オリーブいろの袴の紐を胸高に結んで、女高師の桜のバッチをした三千代があらわれた。私をまんなかに、三人の若者が居ながれて、行儀よく坐った。私は、大詩人の貫禄をしめさねばならない羽目なので、つとめて融然と応対した。彼女はこたつには入らず、土産にもってきた小さい洋菓子の箱を置いて私の正面に坐り、顔をあげた。それが彼女とのはじめての対面であったが、中高の目のぱっちりした丸顔の勝誇ったような顔立ちの娘だった。」(続)
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by monsieurk | 2015-12-10 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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