フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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男と女――金子と森の場合(Ⅴ)

 森三千代は弟を連れて大島への旅行に出かけた。考えてもいなかった金子との関係が生じたために、旅は吉田一穂とのことや、今後の行く末を考える機会となった。しかし吉田への未練はなかなか断ち切れず、大島では雨に降りこめられて気晴らしもままならなかった。大島から帰ってからも、新学期が始まるまでは、大森の蒲生千代の家でやっかいになり、金子には手紙はそこへくれるように伝えていた。あらめきれない金子は、一日に二、三通の手紙を書いた。なかには新聞の端をちぎって一言書き、封筒に入れたものもあった。金子は四月になって関西へ旅行に出かけた。その間も手紙を書き続け、帰京したのは五月の初めだった。
 「五月のはじめまでは、〔森が〕寄宿舎へは帰らず、大森にいるとわかっていたので、夜行列車で朝早く着いた大森駅で下車すると、朝霧にけぶって、藁塚などのあるいなか路を踏んで、彼女の寝込みをおそった。不意打ちのことで、家のなかはしばらくざわめいていたが、やがて彼女が現れた。ふたりは馬込村の青麦の畑のなかを一時間ほどつれ立ってあるいた。「冷却期間を置いてくるつもりの旅だったが、結果は、振出しにかえっただけだった」と、私は正直にその通りに言ったが、彼女は、しっかりした返事をしなかった。しかし、ふたりのあいだの感情には、こなれたものが感じられ、問答も、掛けあいめいていた。二日後に牛込を彼女が訪ねると約束をつがえて、その日は別れた。」(『どくろ杯』)
 手ごたえを感じた金子は、さっそく新たな下宿を探すことにした。いままでの下宿は三畳と狭い上に、取り巻き連がしょっちゅう出入りするので、逢引には不都合だったからである。こうして肴町にある島村抱月主催の劇団「芸術クラブ」のすぐ前に下宿屋を見つけた。階段の下に畳五畳半を敷いた三角形の部屋で、森がそこを訪ねてくるようになった。
 「彼女を抱いてから、周囲の表情は一変した。私の身辺のすべてが生色を取りもどした。彼女の前の恋人がすでに郷里から上京して、彼の別の恋人の家におさまっていることをたしかめたので、彼女をつれて、了解をつけに出かけていった。あいてをひどく迷惑がらせたらせたうえに、こちらの意向が届いたかどうかも疑わしかったが、おもい立つとすぐにやらなければすまない私の、我儘な性質がさせたことであった。婉曲にできるかもしれないことを、ずばずばとやってのけることで、新しい生活に弾みをつけようとする危い跳躍であった。恋愛をつづけるための必要経費の捻出にも、張合いが出た。」(同)
 金子はさらにこう続けている。「この恋愛の特徴と言えば、「明日をも知らず」というところにあった。会っているときだけしか保証のない、燃えている瞬間にしか値打をもたない、それだけに激しく燃える、そのときどきに賭けるような、まるで夫や妻の目をしのぶような危機感にみちた出あいであった。それは、彼女が言い出して、私が納得したのだとおもうが、どちらかが熱のさめたとき、あいてがさめきらないうちでも自由に離れていっても、あと追いしないことを誓約した。それは、十年前の私が考えていたこととも符合した。人間のこころの底をついたこともなし、酸い甘いを味いくらべてみたこともない若いあいだの、あいてにも、じぶんにも負わせる残忍なおもいつきと言う他はない。門限に帰るのも忘れて、二匹の蛇〔ながむし〕のようにまつわりついていることもあった。(中略)それから七月になったある朝、私がまだ寝ているうちに彼女は、ガラス戸を開けてあがってきて、私の頭のうえからかぶさりかかり、私の耳に唇をあてて、子供ができたらしいと告げ、その子を産んでみたいと言った。ありうる結果ではあったが、子供が生まれてくるには、どう考えてもむずかしい情況であった。」(同)(続)
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by monsieurk | 2015-12-16 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)