ムッシュKの日々の便り

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男と女――金子と森の場合(Ⅹ)

 上海を発った長崎丸は二十時間余りで長崎港に着いた。そこで不吉なことが起こった。
 「「長崎丸」で長崎に着いた朝、船からおりて、桟橋をあるきながら私は、横木につまずいて膝を突いた。瞬間、不吉な予感がして、東京の彼女のうえになにかあるという確信をつかんだようにおもった。それは、想像の力ではなく、叡智の働きでもなくて、動物的な嗅覚のようなものであった。五体がばらならになってゆくような気持で私は、子供をつれ、長崎から東京へ鈍行の汽車ではるばる揺られていた。」(『どくろ杯』)
 息子の乾の手をひいて笹塚の家に着いてみると三千代の姿はなく、玄関の三和土に配達された新聞がたまっていた。親戚の家に泊まりに行っていることも考えたが、それならば書置きがあるはずで、彼女が家を出たことはほぼ確実だった。そのときの思いを金子は次のように述べている。
 「ろくに金ものこさないで、女一人を一ケ月あまり〔実際は三カ月近く〕放っておいた落度が私にあったし、その上、彼女とのあいだに、互いに恋人ができたら、未練らしく二人の生活を追うことはよそうという二人のあいだのとりきめがあったので、彼女に新しい恋人ができたとすれば、私が引きさがるより他はないわけだった。しかし、仮定と実際とでは、情況がまったくちがっていた。母親に会えるというので、いさんでついてきた子供がそばにいる。この幼いものに母親を会わせなければ、顔向けができない。それから、雲をつかむような、あいての男への羨望と憤りが吐逆のようにこみあげてきた。」(同)
 金子は翌日の朝、乾を新宿大久保に実母と住む妹にあずけて心当たりを探すことにした。三千代の行き先はそれほど努力しなくてもすぐわかった。草野心平(写真)と親しいアナーキストの青年、d0238372_17153832.jpg土方定一と一緒だということだった。岐阜出身の土方は東京帝国大学で美学を専攻する学生で、金子より九歳、森より三歳八カ月年下だった。水戸高等学校時代から詩を書き、前年大正15年(1926年)、草野心平に連れられて中野にあった金子の家に一度来たことがあった。そうした関係から、金子は草野に先導を頼んで、二人が暮らしているという池袋近くの長崎村を訪ねて行った。
 これについてはブログ「詩集『鮫』その他」(2015.11.14)で書いたことがあり、そのときは「金子光晴の周辺 11」での森の証言を引用したが、森は昭和26年(1951年)1月、雑誌「新潮」十月号に発表した小説「青春の放浪」(のちに著作集『森三千代 鈔』(濤書房、1977年)に収録)で、このときの様子を赤裸々に書いている。作品はほとんどが事実に基づくもので、出来事と当事者三人の心情が実名で克明に描かれている。小説の冒頭――

 「こんなにたあいなくさがしあてられようとは思ってもみなかった。
 「定ちゃーん」
 二階の窓下の往来から定一を呼ぶ声がして、その声が原っぱの空地の方へまわって、もう一度
 「おーい」と、呼んだ。特徴のあるあの太い低音(バス)をきくと、私はふたりの恋愛はこれで息の音がとまったと思った。私は顔をしかめて、蒲団のなかで、からだをもがいた。
 「あんた。ここをおしえたのね。心平さんに」
 「しかたがなかったのさ。そんなこといったって」
ふんとした顔つきで、定一は天井を見た。
 彼がぱっと勢いをつけてはね起きたあと、私はひとりでくらくらとなった。腹這いになり、はだかの腕を出して、夏みかんの袋や紙袋がちらばって枕許の、定一のバットの箱から一本ぬいて吸った。窓の障子にまわった陽が、枕のそばまで、かんかんにあたっていた。私は、右腕をあげて、二の腕の内側をのぞいてみた。鮑のはらわたのような色の痣が新しくついていた。私は口をもっていってそれをしゃぶった。今朝がたのけんかの名残だ。」
 喧嘩の原因は、前夜の夕食に食べた鰊の蒲焼だった。みかけは美味しそうだったが、食べる口のなかでかさばって喉を通らなかった。三千代がほとんどを食べずに残すと、土方はいやな顔をした。その後彼は、三千代の書いている詩をきたないといってけなしはじめた。彼は三千代の周りの周囲の人たちが書く詩を認めようとせず、彼女の詩もきたないというのである。
 「彼の仲間は、アナーキストだった。彼の言ったことが胸につかえて私は、一つの寝床にねてからも、いつものように彼のからだになじんでゆけなかった。
 始発電車のとどろきが、地を這って遠くからきこえてくると、それまで息もしないように寝ていた定一が、すっくと起きあがり、すばやくシャツをつけ、ズボンをはいた。先手を打たれて、しまったとおもいながら私は、彼が詰襟の学生服の上着に腕を通し、金釦をゆっくりはめるのを、薄目をあけてながめていた。彼が襖に手をかけると、それ以上おちついているわけにもゆかなかった。私はとび起きるなり、彼のからだに取りすがって、彼がはめた釦を一つ一つはずし、はいたズボンをたぐりおろして脱がせた。心平の呼声に降りて行った定一はが、五分もたたないうちにもどって来た。
 「金子氏が上海から帰って来たんだってさ。いま、心平が連れてきているんだ、君、会うつもり?」
 「金子がここへ来たの?」
 私は、寝床の上にぱっととび起きた。心平の声を聞いた時、不安な予感が身内を走ったが、心平が連れて金子自身ここへのりこんで来ることには、さすがに考え及ばなかった。いまにも階段をぎしぎし鳴らせて金子があがって来そうで、おちつこうと思ってもそれは無駄だった。
 「会うわ」」(「青春の放浪」)
 この文章には時間的に錯綜した点があって、喧嘩から尾引く気まずい思いは夜明けまでつづき、始発電車が走りはじめたころ、土方は起きて身支度をはじめた。それを森が床に呼び戻し、身体で和解をとげたあと、陽が枕辺まで差し込む時刻までうとうとしていると、草野心平の声が外から聞こえたのである。ではこれを金子の方から見るとどうなるのか。
 「池袋から低地をくだってゆくそのあたりは、長崎村といって、その土地は十年くらい前までは、みわたすかぎり稲穂の波であった。震災後から建ちはじめたらしい、スレート屋根の工場現場のような殺風景な家並がつづいて、しろっぽけたバラックの前を、水の涸れたどぶ河がひびわれをつくっていた。草野は私と彼の親友とのあいだに立ってよほど困ったらしい。親疎は問題にならないくらい、青年の方に厚い筈なのに、私のほうも拒りきれないというところに彼の好人物さがあった。彼らの起居している二階家のみえるところまで来ると、「ちょっと、待っていて」と言いすてて走っていったが、彼が相手から背信を攻められているのか、彼がなだめ説得しているのかわからないが、しばらくの間暇取っていた。私は溝河のふちを行ったり来たりしていたが、私の人生にとってのそれは、ふしぎな空間であった。私は、じぶんがなんのために、そんなところにいるのかわからなかった。カーンと耳が鳴っているような遠距離で、あたりは人の気配もせず、死絶えたような森閑さであった。」(『どくろ杯』)(続)
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by monsieurk | 2016-01-05 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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