フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

男と女――金子と森の場合(Ⅻ)

 金子は、「その人に一度会ってみようかな」と言い出し、二人は引き返した。
 三千代が家に入って二階に上がり、金子について帰ることを土方に伝えた。すると土方は階下に住む家主の畳屋に部屋を引き払うことを告げ、すぐに本をまとめた。三千代は二人きりで話をしたかったが、成り行きを心配した草野心平が顔をだしたためにそれも適わなかった。彼女は身の回りのものを集めて小さな風呂包みをつくった。この間、金子は下の三畳の敷居に座って待っていた。
 やがて草野心平を先頭に、三千代、土方が階段を降りてきた。金子はあらためて自己紹介したが、土方は答える必要はないといった不愛想な態度でそっぽを向いた。髪を前に垂らし、顔色は悪いが二重瞼で、ややしもぶくれの顔立ちだった。照れ隠しに、大学の様子などを尋ねる金子にもむっつりと黙り込んでいた。
 気まずい空気に、「そろそろ出かけようか」とまず金子が立ち上がり、それを潮に草野と土方が先に立って池袋の方へ砂利道を歩き出した。腕にオーバーをかけた土方は、一度も金子と三千代の方を振り返らなかった。金子と一緒に帰ると告げても、土方はひき止めようとはしなかった。それは人を強制しないという彼の主義なのは分かっていていたが、三千代には不満であり、もどかしくもあった。彼女は駅に着く前に、土方に近づくと、「定ちゃん、明後日の一時、東京駅の二等待合室よ」とささやいた。この言葉が聞こえたらしく、草野が抗議するように三千代の顔を見たが、何も言わなかった。土方は「うん」と少し傲慢そうにうなずいた。四人は同じ電車に乗り新宿で別れた。
 金子と三千代は、富久町の金子の実家に向かった。金子だけが預けていた息子を受けとって連れて来た。乾は三月ぶりの母親の顔をみると、昨日別れたようにすり寄って来て、三千代の手につかまった。やっと母親にありついたといった感じだった。つないだ手からは、以前と変わらぬ温かいものが流れてきた。息子の両手を父と母がつないで歩く姿は、よそ眼には幸福な一家と見えるかもしれなかった。三人は新宿で暗くなるまで遊び、京王線に笹塚まで乗って、暗い夜道を元の借家に帰った。
玄関の三和土には留守中に上げ込まれた新聞がそのまま山積みになっていた。子どもを寝かせると二人は向かい合った。
 「二人きりに向きあうと、私は、定一のことについて金子が開き直ってなにか問いただすのではないかと身構えた。ことを表立てれば、金子にだけ有利で、法律までが加担している。私の方にも理屈は、いくらでもあった。金子と一緒の四年間の生活は、世間並の生活とはいえなかった。詩人としては少しは知られていた金子も、生活の上では無能力だった。そんな苦情も事態がこうなっては、誰も味方してとりあげてくれるものはなさそうだった。金子は、それを承知していてあわれんでいるのか、憎んでいるのか、故意のように、そのことに触れて来ない。異常な時間が、平凡にすぎていった。金子は、やがて立上って、茶の間の次の八畳の床の間においてあった旅行鞄をさげて戻って来た。
「おみやげがあるんだよ」
 三ヶ月ぶりで飄々と上海からかえってきた時、金子が、がらあきの我が家の茶の間にその旅行鞄をおいて、おちつかないままに、家じゅう、うろうろしたり、立ちどまったりしている姿が目に見えて心がしんとした。(金子など、この世にいることすら忘れていたのに)
 彼は鞄の金具を二つばさりばさり、とひらいて、雑誌やよごれたワイシャツや、石鹸箱をひっくり返し、底から、黄色っぽいシナ服を一着とり出した。杭州緞子で、光のかげんで虹のように、桃色にも、みどり色にも映えた。落葉が重なりあったような全体の地紋が美しかった。私はすぐに着てみると言って、帯をほどきにかかった。はるばるもってかえって来た土産を、こんな状態で渡さなければならない彼の張合いなさをおもいやると、せめて、いそいそと身につけてみせたかった。断髪にシナ服姿で立っている私を見上げて金子は、例のまぶしいような微笑を浮かべて言った。
「似合うよ。それを着てランデェ・ブに行くといいよ。・・・五馬路の古着市で買ったんだよ。安いもんだよ。ただの六弗だ」(中略)
「定ちゃんのこと? 駄目よ。あの人は、派手なことや目立つことが嫌いだから、こんなもの着ていったら、いっしょに歩かないにきまってるわ」
 金子はじぶんの方で言い出しておきながら、私が定一の名を口にすると、面白くなさそうに顔をそむけたが、やがて気づかわしげに、
「このうちへは連れて来たのかね」
と、たずねかけた。不用意に、私は、危うく連れてきたと言おうとして、「まさか」と否定した。」(「青春の放浪」)
 三千代は翌々日、中国服に身を包んで、約束したとおり東京駅の待合室で土方と会った。そして終電車で笹塚に帰ってくる、真夜中の駅に金子が立って待っていた。家に子どもを一人寝かせてきているので、いらいらした様子で、電車の線路に幾度か耳をつけて近づく電車の音を聞いたと、はにかんだような調子で話した。三千代はそんな話を聞くと、さすがにすまないという気持になったが、土方に一日会わないと心が渇いた。それで二日に一度は出かけて行って、なるべく金子とは出会わないように、これまでとは違う街をさまよい歩いた。暗い堀端の立ち木を陰で抱き合っていると、警官が近寄って来て、二人が逃げ出すと、警官はどこまでも追いかけてきた。
 そんなこともあって、三千代も土方たちの仲間と同じように、自由思想では、夫婦関係は屈辱的な桎梏で、女のスキャンダルを罰する法律は平等の敵だと思うようになった。土方に言わせれば、二人の恋愛を守ることがすでに権力への戦いだった。彼は三千代との逢引のために、大切にしている原書を一冊ずつ手放した。
 金子は相変わらず金策に歩きまわらねばならなかったが、交通費を考えて朴歯の下駄を履いて友人、知人の家を訪ね歩いた。歩き癖で下駄の歯が斜めに擦り減ってしまい、尾崎喜八の家で鋸を借りて、それを平らにしようとした。だが尾崎夫人が出してくれた鋸が切れない代物で、二時間かけても片方の下駄の歯を二枚切るのがやっとだった。そうした毎日のために帰宅はいつも深夜近くになった。
 借金がまたまた嵩み、挙句のはては笹塚の家をそっと出て行くしかなかった。わずかな道具類を処分すると、三人はピクニックに行くような格好で家を出た。だが次に住む場所の目当てはまったくなかった。歩いていると、幸い早稲田鶴巻町の横町の道で貸間札を見つけ、交渉すると借りられることになった。
 そこは鰻屋の二階の八畳一間で、部屋は鰻屋の看板の裏側が見える往来の方に傾斜しており、歩き疲れた乾が横になると、ひとりでに窓の方へころがっていった。間代は九円ということだった。親子三人はそのままこの八畳に住みついた。大家の鰻屋は中国服を着ていた三千代を見て、中国の留学生の家族と勘違いしたようだった。(続)
[PR]
トラックバックURL : http://monsieurk.exblog.jp/tb/22746470
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by monsieurk | 2016-01-11 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)