ムッシュKの日々の便り

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男と女――金子と森の場合(ⅩⅥ)

 吉田一子には下の鰻屋からうな重をとってご馳走し、そのあと金子が二人を神楽坂の映画館に連れて行ったが、金がないので弁士の徳川無声を呼び出し、二人だけを只で入れてもらった。上映していたのは無声映画の『モロッコ』だった。映画の内容に刺激されて、帰り道に土方とのことやヨーロッパ行きの計画を事細かに話した。新聞記者をしていてもまだ人生経験の浅い一子は驚いた様子だった。図にのった三千代は思わず、「そんなわけだから、私はほんとうは行きたくないの。あなた、私の代わりに金子とヨーロッパへ行ってみる気はない?」と言った。一子はしばらく黙っていたが、「いいの本当に」と弾んだ声を出した。その晩一子は泊まっていくことになり、二枚の蒲団をくっつけて三人で寝た。
 翌日、三千代は鞄に着替えや身のまわりの品をつめた鞄をもって家を出た。土方と会って上野駅から常磐線に乗り、高萩についたときは夜がとっぷりと暮れていた。森三千代はおよそ一カ月におよんだこの高萩での出来事を、「青春の放浪」のなかで、「高萩日記」として書いている。d0238372_14373725.jpg
 高萩は茨城県東北部にあって太平洋に面し、明治以降は炭鉱の町として知られていた。鉱山労働者が多く社会主義の影響もあり、なかにはアナーキズムを信奉する若者もいた。土方が頼ったNもそのメンバーの一人で、小学校の教員をしながら詩を書いていた。Nは二人のために宿をとってくれており、夏休み中なのでなにくれとなく世話をしてくれた。昼間は宿の子どもをつれて近くの海へ海水浴に行ったが、太平洋の波は高くて海水浴どころではなかった。夜、土方は吊った蚊帳のなかに机を持ち込んで、遅くまでドイツ語の翻訳をしていた。
 問題はやはり金であった。日々の生活は小学校教員のNの安月給に寄りかかるばかりで、最初のうちは東京のアナーキストの動向を帝大生の土方から聞きたがっていたNも、次第に冷淡な態度をみせるようになった。来た当座は親しかった人たちが離れてゆくにつれ、三千代は淋しい思いに駆られた。二人だけになりたいと願ったのに、恋愛がはやくも行きづまりつつあると思うと恐ろしかった。夏の陽の下で静まり返った町も憎悪の対象になりかけていた。
 高萩へ来て二週間余りがたった八月中旬、三千代がしきりに思うのは長崎に置いている乾のことで、「恐怖の海」という詩を書いた。

「一本のシガーのように煙をひいてゆく船もない。
 まっ黒い傾いた捨舟のかげから、不意に湧上がる海、狂った雨雲の下の展望は、
 きょう、私にとってなんというわびしさだろう。
 ・・・・・・
 坊や、お前にだけはすまない。
 おまえが、私から引き裂かれていった時、関門の海峡の夜、連絡船の舷から、
 ――水のあるお舟はこわい、と泣いたことを、
 私は、ほんとにすまないと思う。
 そして、きょう、私は、おまえとおなじように海が怖いのだよ。(後略)」

 そもそも高萩に来た目的の一つは、炭鉱夫の生活の実態を知ることにあった。しかしその機会が来ると、土方は炭住の生活を三千代に見せないようにした。
 「労働者の生活をみせたいといって、私をここまで連れてきたのだ。だが、みせものではないからと、そのことにこだわっている。採炭場まで行かないのは、女をつれてあそび歩いているようにとられるのが気差しいからだ。なにしにきたんだろう。帰り道、彼は不機嫌にだまりこんだ。日傘が赤いのに帯が青いのは色彩感覚がにぶいと悪口を言う。労働者たちの理解ある仲間、美学の大学生。それじゃ、なぜ、私のような女をこんなところへ連れてくる気になったのか!「あなただって、あの生活には縁遠い人だということをじぶんでしらないからだ」と、私は、彼のせなかをどやしたくなった。」(「青春の放浪」)
 金をつくるために、土方は三千代が着替えにもってきた着物を土地の芸者に売りにいったが、売れずに帰って来た。いよいよ金を送ってもらうしかなかった。結局、頼れるのは金子だけだった。
 ある朝、三千代は起きぬけに顔も洗わずに、鞄をもって階段を降りかけた。すると土方はその鞄をひったくり、着ていた着物を脱がせて鞄のなかの着替えと一つにまるめにすると、それを焼こうとした。そうすれば彼女が東京へ帰ることを止められると思ったのである。三千代が着物をひったくると、土方は追いかけて来て二枚の着物の袖を引きちぎった。
 それから二日後に金子から為替が届いた。金子が上海から帰ってきて、三千代を土方の許へ探しに行ったときに着ていたモーニングを売り払ってつくった金であった。土方はなんとか三千代を引きとめようとして、その金をぱっぱと使いはじめた。しかしもう二人には東京へ帰る以外に道はなかった。高萩を引き払い、途中日立の河原子に一泊して、上野駅に着いたのは八月三十日であった。土方は市電で鶴巻町の一つ手前の停留所まで送ってきた。
 「電車がとまった。立上がった彼に、気強く、「左様なら」と言った。これでもう会えないのだと思いながら、引止めもせず、手を束ねている自分を私はみすみす眺めてすごしていた。一月あまりの二人の生活に疲れてもいたし、引止めることの無意味さをも知りすぎてもいたからだった。電車がうごき出してから、たいへんなことをしてしまったと気が付いた。鶴巻町で降りるなり、無我夢中で駆け出して、あともどりした。彼がまだそのへんにいるにちがいないと思ったのだ。彼が歩いていそうな横町横町をさがしてみた。こんな別れかたはしたくなかった。帯のあいだに四つの五十銭玉をはさんだまま別れることは、生涯の悔いになる。一時間ばかりむなしくかけずりまわったが、彼はもうこの世のどこにもいない。」(「青春の放浪」)
 帯びの間に挟んでおいた五十銭玉は、河原子で土方が料理を数多く注文するのを見て、用心のために取っておいたものだった。電車のなかで喫茶店の入ろうと言われたときも、空の財布を見せてことわったのである。虚しく鰻屋の二階へ帰ってみると、金子はいなかった。勢い込んで帰って来たのに肩透かしを食ったような気分で、すぐに肴町の郵便局へ行き、「明日夕方七時、阿佐ヶ谷駅で落ち合おう」と、土方の自宅宛てに電報をうった。だが翌日、土方はとうとう姿を見せなかった。彼はすぐには自宅に帰らなかったのである。(続)
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by monsieurk | 2016-01-23 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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