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ムッシュKの日々の便り

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アルベール・カミュ「アルジェの夏」Ⅰ

 アルベール・カミュのエッセー『結婚』(Noces)については、これまでにブログで、「ティパサでの結婚」(2014.01.08~2014.01.14)と「ジェミラの風」(2015.09.03~2015.09.15)を翻訳して紹介した。今回からはしばらく、三篇目の「アルジェの夏」を訳して紹介したい。カミュはアルジェリアの街オランで生まれ、首都のアルジェでジャーナリストとして文筆活動をはじめた。アルジェは彼にとって思い出多い街である。

 アルジェの夏

 人びとがひとつの街と分かちあう愛、それは多くの場合、秘められた愛だ。パリ、プラハ、あるいはフィレンツェでさえ、都市はそれ自身の上に閉じられていて、そこに固有の世界を限っている。だがアルジェは、海に面した他の街と同様に、口あるいは傷口のように空に向かって開かれている。アルジェで人が愛することが出来るのは、それによって皆が生きているものだ。すなわち、どの曲がり角からも見える海、太陽の一種の重み、人種の美しさだ。そして、いつものように、あの破廉恥さとあの饗応のなかで、一層ひそかな香りにまた出会う。パリでは、人は空間と羽ばたきに郷愁を抱くことがある。ここでは、少なくとも男は十分に満足し、その欲望を保証されているから、自分の豊かさを控えることができる。
 自然の富の過剰が、どんな無味乾燥をもたらすかを理解するには、アルジェで長く生活する必要がある。ここには学んだり、修養を積んだり、向上しようと思うようなものはなに一つない。この国には教訓がない。なにも約束せず、なにかを垣間見せるということがない。それは与えること、しかもふんだんに与えることで満足する。この国ではすべてが目にゆだねられており、人びとはそれを楽しんだ瞬間から、このことを知るのだ。この快楽につける薬はなく、この国の歓喜は希望のないままだ。この国が要求するのは、ものを明晰に見る魂であり、だから慰めはない。この国は人びとが信仰に関わる行為をするときのように、明確な行為をすることを要求する。ここは、この土地が養っている人びとに、素晴らしさと同時に悲惨さを与える奇妙な国だ! この国の敏感な人たちには官能の豊かさが備わっていて、それが極端な貧困と一致しているが、それは驚くには当たらない。苦さの伴わない真実などありはしない。そうだとすれば、私がこの国の顔を、もっとも貧しい人びとの境遇のなかでした愛せないからといって、なぜ驚くことがあろう?
 人びとはここでは、青春のあいだ、彼らの美しさに応じた生を見いたす。そしてその後は、下降と忘却だ。彼らは肉体に賭けたのだが、それはやがては失われることも分かって。アルジェでは、若くて溌剌とした者にとっては、すべてが避難場所であり、勝利への口実だ。港、太陽、真っ赤な頬、海に向ったテラスの白さ、花、スタジアム、新鮮な脚をした娘たち。しかし青春を失った者には、すがりつくものは何もなく、憂鬱がそれ自身から己を救い出せる場所はどこにもない。だが他所では、イタリアのテラス、ヨーロッパの僧院、プロバンスの丘の姿といった、人間が自己の人間性から逃れ、甘美な想いで、自己を解放することが出来る場所が沢山ある。だがここでは、すべてが孤独と若者たちの血を要求している。死にゆくゲーテはもっと光をと言い、これは歴史的な言葉となった。ベルクールやバブ=エル=ウエドでは、カフェの奥に座った老人たちは、髪をテカテカにした若者たちの自慢話に耳をかたむける。
 こうした始まりと終わり、それをアルジェで私たちにゆだねるのは夏だ。夏の数カ月間、街は人気がなくなる。だが貧しい人たちと空は、ここにと留まっている。私たちは貧しい人たちと一緒に、港や男にとっての宝物の方へと降りていく。それは温んだ水と、女たちの褐色の身体だ。夕暮れどき、こうした富に満たされて、その生活を飾るすべてである蝋引きの布と、石油ランプのもとへ戻ってくる。(続)
by monsieurk | 2016-01-29 22:30 | 芸術
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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