ムッシュKの日々の便り

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アルベール・カミュ「アルジェの夏」Ⅳ

 アルジェの街の映画館では、ミントのドロップをよく売っていて、そこには恋が生まれるのに必要なすべてが、赤い文字で刻まれている。(1) 問い。「あなたはいつ私と結婚してくれるの?」、「わたしを愛していますか?」(2)答え。「気が変になるほど」、「春には」、といった具合である。お膳立てをした上で、それを隣の娘に渡すと、娘は同じように答えてくるか、さもなければ冗談にまぎらせてしまう。ベルクールでは、この結果、結婚した例も見た。人生全体がミントのドロップの一度の交換にかかっているのだ。そしてこれは、この国の人たちの子どもっぽさを物語っている
 青春のしるし、それは多分、安直な幸福への素晴らしい適応力だ。とりわけ、浪費とさえ言える生きることへの性急さだ。ベルクールでは、バブ=エル=ウエドと同じように、人びとはごく若いときから働き、人生の経験を十年間で汲み尽くしてしまう。三十歳の労働者は、すべてのカードを使い果たす。彼は妻と子どもたちの間で終焉を待つ。彼の幸福はどれも唐突であり、情け容赦のないものだった。彼の人生もまた同様だった。そのとき人びとは、すべては取り上げられるためにあたえられる、そういう国に生まれたことを理解する。こうした豊かさの過剰のなかで、人生は、唐突で、要求が多く、気前のいい偉大な情熱の曲線をたどる。そうした人生は何かを作り上げることにはなく、焼きつくすことにある。だから、反省や、より良くなろうとするのは問題にならない。例えば、地獄という観念は、ここでは愉快な冗談でしかない。そんな想像力は、徳の高い人にしか許されていない。美徳など、アルジェリア全土でまったく意味のない言葉だと、私はつくづく思う。ここの人たちに原則が欠けているというのではない。彼らには彼らなりの道徳がある。だがそれはきわめて独得なものだ。彼らが母親を「ないがしろにする」ことはない。街頭では、自分の妻を敬わせ、妊婦には敬意を払う。一人の相手に二人でかかっていくこともしない。なぜなら、「それは汚いこと」だからだ。この基本的な掟を守らない者に対しては、「あいつは男じゃない」と言って、事を片づいてしまう。私には、これは正しく、力強いことに思える。私たちはいまもこの街頭の掟を無意識にきちっと守っており、私が知る限り、それは唯一公平無私のものだ。だが一方で、ここでは商人の道徳は知られていない。警官に囲まれた男が通ると、周囲の人たちの顔に、同情の色が浮ぶのをよく見た。その男が盗みを働いたのかどうか、親殺しだったかどうか、非協力者であったかどうかを知る前に、「可哀そうな奴」だと言い、あるいは、讃嘆のニュアンスを込めて、「あいつは、海賊だってさ」と言ったりする。
 傲慢さと生とに生まれついた民族がいる。彼らは怠惰について、きわめて特殊な資質を育てている。彼らにあっては、死の感情はもっとも胸をむかつかせるものだ。官能の喜びを別にすれば、この人たちの楽しみは馬鹿げたものだ。ペタンク愛好協会と「親善クラブ」の宴会、三フランの映画と町のお祭り。三十歳以上の人たちの娯楽としては、これで十分なのだ。アルジェの日曜日は、なかでももっとも陰鬱なものだ。精神というものを持たない彼らに、神話でもって、生の奥深くにある恐怖を包み隠すことができるだろうか? 死に触れるもはみな、ここでは滑稽か、さもなければおぞましい。宗教も偶像も持たないこの人たちは、群衆のなかで生き、そのあとはたった一人で死んでいく。私は、世界中でもっとも美しい景色に面した、ブリュ大通りの墓場ほど醜悪なものを他に知らない。黒の喪服に取り囲まれた悪趣味な土饅頭は、死がその素顔をのぞかせるこの場所の、途方もない悲しみを露骨に見せている。「すべては過ぎ行く、想い出を除いて」と書かれたハート型の奉納絵馬。そしてこれら一切が、愛する人たちの心が、わずかな手間で、私たちにもたらすあの嘲笑的な永遠というものを強調している。どの絶望にも同じ言葉が用いられる。それは死者に呼びかけ、二人称で語られる。「私たちの思い出は、お前から離れることはない」。これは不吉なまやかしであって、人びとはそれで、よくて黒い液体にすぎないものに肉体と欲望を貸しあたえるのだ。その他、沢山の大理石の花と鳥のなかに、こんな無鉄砲な誓いもある。「お前の墓に花が途絶えることはないだろう」。だが人はたちまち安心する。黄金の漆喰の花束が碑銘を囲んでいて、それは生きている者にとっては時間の節約になる。(だから麦藁菊〔不死、永遠と同じ綴り字〕という仰々しい名前は、走っている電車にいまだ乗っている人たちの感謝の念を負っているのだ)。物事は時代とともに進んで行かなくてはならないから、ときとして〔墓の飾りとして〕古典的な頬白が、真珠の飛行機に代えられて人を面食らわせることもある。飛べない天使がそれを操縦しているが、理屈は無用で、天使には素敵な一対の翼がついている。(続)
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by monsieurk | 2016-02-07 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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