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アルベール・カミュ「アルジェの夏」Ⅴ

 ところで、こうした死のイメージが、決して生から切り離されてはいないことを、どうしたら理解してもらえるだろうか? ここでは諸々の価値が密接に結びついている。アルジェの葬儀人夫たちが好きな冗談は、空の車を引いているときに、道で出会う美しい娘たちに、「お姉さん、乗るかい?」と呼びかけることだ。例えそれが難儀なことであれ、そこに象徴を見るのを何も妨げることはない。死亡通知に左目でウインクして、「可哀想に、奴はもう歌えないな」とか、夫を決して愛したことがなかったオランの女のように、「神様が私にあの人をお与えくださり、神様が私からあの人をお取り上げになった」などと答えることは、同じように冒涜的に見えるかもしれない。でも、いずれにせよ、死が持っている神聖さなど私には分からないし、逆に、恐怖と敬意の間にある距離を強く感じる。ここではすべてが、生へと招かれている国で死ぬことの恐怖を呼吸している。だがそうではあっても、ベルクールの若者たちが逢引をし、娘たちがキスと愛撫に身をまかせるのは、この墓地の同じ壁のもとなのだ。
 こうした民衆が万人に受け入れられないことは、私もよく分かっている。ここでは、知性はイタリアでのような場所を占めてはいない。この人種は精神とは無縁なのだ。彼は肉体を信仰し、讃美している。彼らは肉体から、力と、素朴なシニスム(2)と、子どもっぽい虚栄心を引き出すが、その虚栄心は彼らにとっては、厳しく裁かれるのに値するものなのだ。人びとは、彼らの「メンタリティ」、つまり、ものの見かたや生きかたを、当たり前のように非難する。そして生のある種の強烈さは、不当なことを伴わずにはいないというのは本当だ。ただここには、過去や伝統を持たない民衆がいる。だが詩はないわけではない。――とはいえ、それは私がその特質をよく知っている詩、残酷で、肉欲的で、優しさからはほど遠く、彼らの空と同じで、私を感動させ、惹きつけるただ一つの真実の詩。文明化された民衆の対極は、創造者である民衆だ。浜辺をくつろいでいるこの野蛮人たち、私は、彼らはそれとは知らずに、いま、文化のある一つの顔をつくりつつある最中なのだという突飛な希望を抱く。そして人間の偉大さは、その顔に、真の素顔を発見するだろう。現在にすべてを投じたこの民衆は、神話も慰めもなしに生きている。彼らは富のすべてをこの土地に託し、以後、死に対してはまったく無防備のままである。天からの授かりものである肉体の美しさは、消費されてしまった。そして彼らには、未来のないこの豊かさには、いつも独特の渇望がついてまわる。ここで人びとが行うすべてが、不毛への嫌悪と、未来に対する無頓着ぶりを示している。人びとは生ることに性急で、もしも一つの芸術が生まれるはずだとすれば、それは持続への憎しみに従順なものだろう。この憎悪こそが、かつてドーリア人たちをかりたてて、森のなかで、彼らの最初の柱を刻ませたものなのだ。そうなのだ、この国の民衆の、激しい、熱狂的な顔、そして優しさのまるでない夏の空には、節度と同時に過度なものが見出される。この空を前にすれば、あらゆる真理は口にするのが快い。この空には、人を惑わすいかなる神性も、希望も贖罪もしるされはしなかった。この空と、それを仰ぎ見た顔のあいだには、神話や、文学や、倫理あるいは宗教を引き止めるものはなにもない。あるのは、小石や、肉体や、星だけで、それらだけが手で触れることができる真実なのだ。(続)

(2)最後の「覚書」を参照のこと。
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by monsieurk | 2016-02-10 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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