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ムッシュKの日々の便り

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押収された本の行方(1)

 日本での文学の猥褻をめぐる裁判としては、D・H・ローレンス著、伊藤整訳の『チャタレー夫人の恋人』と、雑誌「面白半分」に掲載された、永井荷風作と伝えられる『四畳半襖の下張』裁判が有名だが、「面白半分」の発行人だった佐藤嘉尚が、『「面白半分」怪人列伝』(平凡社新書、2005年)で裁判の顛末を書いている。押収された本の行方(1)_d0238372_11141983.jpg
 事件は「面白半分」の1972年7月号に作品を復刻して掲載したところ、これが刑法175条の猥褻文書に当たるとして、編集長の作家野坂昭如と発行人の佐藤嘉尚が起訴された。(『四畳半襖の下張』についてはブログ「Kafu」、2012.11.17を参照)
 「面白半分」は発売から17日後に警視庁保安一課によって摘発されて、当日の午前、当時品川区にあった編集室が家宅捜査を受けて、およそ3万部配本された雑誌のうち、全国の書店に残っていた3500部ほどが証拠品として押収された。その後、最高裁まで争われた裁判は、野坂に罰金10万円、佐藤には15万円の罰金という有罪判決が下って結審した。
 被告側は裁判で、伊達秋雄弁護団長など5人の弁護士と丸谷才一特別弁護人という弁護体制を敷き、吉行淳之介、開高健、石川淳、中村光夫など文学者、評論家や国語学者、編集者などが法廷に立って名論卓説を展開した。
 開高健は、「こんなことはあんまりないことだなと思いながらも、描写のうまさ、文章のうまさ、人間観察の細かさ、それから男の眼からみた女というものの特質、特徴、そういうことを研究しつつ読み進むわけです。つまりそうなると、これは某出版社が以前自社の出版物の特長を表す言葉として「面白くてタメになる」という言葉を使っていましたが、この『四畳半襖の下張』は、経験者にとっても、面白くてタメになる(おとなの)童話であるといえるんじゃないかと、私はまたまた愚考するわけです。」と話し、法廷内の爆笑を誘った。傍聴人に静粛を求めた裁判長も、最期には自分も笑ってしまうという有様だった。
 また詩人の田村隆一は、「(裁判は)こと野坂さんや佐藤さんの問題じゃなくて、やはり日本の現代及び将来の社会の運命に関わるトライアルだと思っております。ですから、日本でほんとうに活力のある言論表現、そういうものの自由が保障されていないと、いわゆる、生き生きとした、いい社会が生まれないような気がします。どちらかといえば私は、無制限に無原則に、いわゆる性の解放とか、そういったものを、むしろ支持しないほうなんです。しかし今回の問題点だけは絶対擁護したいと思いますね。」と、真面目な正論を展開した。これに対して検察側は終始一人の証人を呼ぶこともなく、ほとんど沈黙をつらぬき、結果として被告二人は有罪となった。
 佐藤嘉尚は判決について、裁判では「「言葉のズレ」がある上に、議論するテーマが「猥褻か猥褻でないか」といった、人間の頭の中の想像力という最も裁判になじまない分野のことだから、全く噛み合わない。この裁判が終始コッケイだったのは当然なのだ。」と書いている。そしてこのことの象徴が裁判の終結の仕方だった。
 発売17日後の6月22日に、全国の書店で売れ残っていた「面白半分」は3507冊で、これらは証拠品として押収された。猥褻裁判で有罪となった場合、判決文には、「証拠品はこれを没収する」という一文が入るのが普通だが、なぜかこの裁判ではその文言がなく、そのため刑事訴訟法に則って、押収された雑誌は本来の所有者である佐藤に返還されることになった。
 最高裁の判決の1年数カ月後、警視庁保安一課から佐藤に、証拠品を返すので取りに来てくれという連絡があった。「面白半分」社が倒産して、千葉の館山でペンションを経営していた佐藤は、さっそくワンボックスカーで警視庁まで受け取りに行った。すると全部で3507冊押収されたはずなのに、返されたのは2710冊だった。797冊不足している。
 佐藤は当然係官に質問した。すると保安課長は、「判決が出てから全国の県警の倉庫に保管していた『面白半分』を集めたらこれだけでした。何しろ十年近いですからね。いろんなことがありましてね。火事で焼けたり水害で水浸しになったりということもあったらしくて、今回はまあこんなところで了解していただいて」などと弁解した。さらに数カ月後、警視庁の係官が、その後に見つかったといって、よれよれに汚れた「面白半分」5冊を館山署まで持ってきて、「これ以上集まりません。勘弁してください」と言った。佐藤は、「警察の倉庫って日本一安全だと思っていましたけど、泥棒が入るんですか!」と精一杯の嫌味を言いながら受けとった。結局、792冊がどこかへ消えてなくなってしまったのである。
 佐藤は共同被告の野坂昭如に、半分返しましょうかというと、野坂は、「面白半分」のあの号はいま神保町で一冊2万円はするから、倒産して苦しい佐藤がときどき5冊か10冊ずつ売ればいい。まとめて売っては値が下がるから、絶対だめだよと念を押したという。
 このせっかくの忠告にもかかわらず、佐藤は初対面の人に名刺代わりにタダであげてしまい、手元にはほとんど残っていないという。
by monsieurk | 2016-03-02 22:30 |
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