フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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玄関風呂の行方

 昔から愛読している小説の一つが尾崎一雄の短編「玄関風呂」である。尾崎の初期短編集『続暢気眼鏡』(砂子屋書房、昭和13年)に収録されたもので、初出は「早稲田文学」の昭和12年6月号。400字詰め原稿用紙にして13枚の短編である。
 ある日、作者である尾崎が用足しから帰宅すると、それを待ち構えていた細君が、物を買うから3円を用意しろという。何を買うのかと尋ねると、何なのかをなかなか言わない。「とにかく大きいものなの」、「中がガランドウなの」、その上、蓋があるとか、一人じゃ持てないなどといっていたが、問いつめると欲しいのは風呂桶だった。一軒置いた隣に住む巡査の一家が引越しをすることになり、5円で買った中古の風呂桶を3円で買ってくれと言われて、細君は買う気になったのだった。
主人公はその夜、早稲田通りにある大観堂という古本屋で必要な3円をつくり、居合わせた囲碁好きの知人と碁をうって夜中の12時ごろに家に帰ると、玄関に風呂桶と附属品一式が置いてあった。
 「家のものは皆よく眠つてゐる。私は家内の枕元にきつちり三圓の銀貨を置き、二階へ上らうとしたが、思ひ直して家内の頭をゆすぶつた。漸く起き上つて眼をこすつてゐる家内に、
 「風呂桶を買つたのはいいが、一體どこへ置くつもりだ」と云つた。
 「どこへ置くつて? お風呂を――あ、さうか」と、急に目が覚めたやうに、家内は考へ込んで了つた。」
 一家でいろいろと考えた末に、玄関で風呂をたてることにした。尾崎が男の子と入るときは、細君が女の子と玄関の外で見張りをし、細君が女の子と入るときは尾崎が男の子と遊びながら、それとなく警戒した。大抵は夜に風呂をたて、近所の細君ももらい湯にくることもあった。
 それで玄関風呂の顛末はどうか。最後はこうしめくくられている。
 「「うちでは玄関で風呂を立ててゐるよ」
 ある時井伏鱒二にさう云つたことがある。すると彼は目を丸くして、
 「君とこの玄関は、随分たてつけがいいんだね」と云つた。これには、こつちがまた目を丸くした。彼は玄関をしめ切つてたたきに水をくみ込み湯を沸かすとでも思つたのだらう。呆れた男である。その後、何かといふとこれを持ち出し、彼を閉口さしてゐる。」d0238372_1662881.jpg
 写真は早稲田文学の面々で、左から丹羽文雄、尾崎一雄、浅見渕、そして井伏鱒二である。
 この玄関風呂には後日談がある。それは1953年(昭和28年)に、池田書店から出版された『尾崎一雄作品集』第一巻の月報「梅花帖 1」に、当時早稲田大学高等学院の教諭だった引法春見が書いている、風呂桶のその後の行方である。貴重な資料なので長くなるが引用してみる。
 「「玄関風呂」の風呂桶を私が譲りうけたのは、此三月〔1953年・昭和28年〕高等学院を出て早稲田大学生になった鮎雄ちゃんが二歳の時であるから一昔半も前のこまかいいきさつはすっかり忘れてしまったが、たゞ、今でもはっきり一つだけ覚えていることは、当時風呂桶の希望者が何人かあったうちで一番低い価格の二円五十銭で私の家のものになったことである。入札の定式からいえば全く反対の現象である。鶴巻町の通りにあった喫茶店「山査子」のマダムや、壇一雄氏のは確か十円であった。近所の家々でも希望者があったようだ。今なら二円五十銭と十円では大した相違はないが、当時は新宿の「秋田」の酒などはお銚子一本が二十銭か二十五銭で、おまけに何品かのつきだしのお代わりまでも出来た時代であったから、その差額は実に大きいのである。そもそも私がこの一件にのりだしたのは、私の長女がその頃小学校の三年生であったが、この子が産婆さんが余程生湯の使い方の名人であったのか、生来の風呂好きで、むづかっている時、お風呂へ行こうというと、ぴたりと泣くのをやめて機嫌が直るといったくらいであったこの子の申出によったのである。(中略)私と妻とが尾崎家の風呂桶の話をしていると、これを耳にした風呂好きの長女が、海に行かないでいゝからその金で是非風呂桶を買ってくれと強硬に申入れをしてきたのである。〔海水浴へ行くつもりで〕五円の予算をたてゝいた矢先であったし、娘の熱意もわかったので、早速妻を尾崎家へやった。引取りに行った妻の帰ってきてからの話によると、尾崎夫人はどうしても二円五十銭しかとらないというのである。私は先口に十円というのがあるのを知っていたし、子供の喜ぶのもわかっていたし、元値の三円をもたしてやったのであった。五十銭は子供に何か買ってやってくれといって頑としてうけとらないで、その上、そばを御馳走になり、冷たい麦湯をつめた麦酒瓶一本をもちだして、ジャンジャン飲め、といって歓待されてきたというのである。私はそれをきいた時尾崎一家の友情と、貧しても貧しない気品、好い意味での意地っ張りを強く感じた。それというのも、山査子には既に風呂桶はあったので、七円五十銭は欲しかったのだが、マダムの十円のいい値に対するレジスタンスが彼も今日を成している所以だと私は思う。私の家ではお蔭でそれこそ長女は文字通り欣喜雀躍、毎日朝からとでもいいたい位風呂に入り浸り、海にでも入ったつもりで、鼻歌まじりの御機嫌であった。」
 尾崎一雄と愛妻の「芳兵衛」こと芳江夫人の面影が偲ばれるエピソードである。
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by monsieurk | 2016-03-08 22:30 | | Trackback | Comments(0)