ムッシュKの日々の便り

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男と女、金子と森の場合(第2部)Ⅳ

 船が岸壁を離れて黄泥でにごった揚子江を下りはじめると、三千代と佐藤英磨はデッキに上がって、遠のく夜景に見入っていた。若い詩人の佐藤は金子を頼りにパリまで行きたいということだった。金子は夜景には興味がなく三等船室の藁布団で寝ていた。船倉の客室は客が少なかった。ただペンキを塗り替えたばかりで、その臭いが鼻をついた。
 船が東シナ海にさしかかると海は緑色にかわり、うねりが高くなった。気温も上がって、金子は浴衣一枚に着替えた。三等船客に立ち入りを許されているのは荷揚げのハッチの周りの狭い範囲で、そこでしばらく涼んで船室にもどり、三千代と佐藤との間にもぐり込むと、彼女が足をからめてきた。
 「女の浮気と魅力は背なか合せに微妙に貼付いていて、どちらをなくしても女は欠損する。欠損した女はいくら貞淑でも、茶碗のかけらほどの価値もない。それにわが日本は、退屈な貞淑からやっと足抜きができたばかりのところなのに」と考えていると、三千代が、「エンジンの音が、坊やの泣声のようにきこえてならないのよ」と、佐藤に聞こえないように低い声でいった。「それなら、ここから引返すのだな。香港あたりがそれには頃合だぜ」と、金子はさらに低い声で答えた。
 船上では何もすることがなく、夜も昼もうたた寝するだけだった。隣の佐藤を気づかいつつ、片方の手で彼女を探り、彼女の手をつかんで自分のものを探らせた。そんなことをしながら金子は思った。
「彼女は、何故ついて来るのだろう。パリがそんなに魅力ともおもわれない。(中略)彼女のつくりあげているパリは、人の土産話か、翻訳の書物か、映画からつくりあげた絵そらごとを、リボンで結んだものにすぎない。(中略)
 なにかを突きぬけ、なにかをやり直そうとしているのかもしれない。彼女には、女の野心がある。今日の人類の歴史をつくったのは女の野心のたまものといってもいい、単純でひたむきな野心だ。狂気ととなりあった、おもいきった、ときにはむごたらしくもあるその野心だ。――彼女ほどつきあいのいい女はない、とおもって感心していたが、それは、じつは表面的な感想で、女にうみつけられたことで彼女も、ほかの女と格別変わったことはないはずだ。私の希望的解釈を別にすれば、彼女は、矛盾によっていきいきと変幻する、もっとも女らしい条件にかなった執心のつよい型の女のひとりだ。(中略)それに、女のからだのいちばん爛熟した年齢でもあって、その時代をやりすごしては、もはや女はくだり坂で、うつ手が後手々々になる心配があって、なすことごとを臆病にすることになる。私といっしょにすごした半生の貧乏としみったれた下積みぐらしをかなぐり捨てるならいまが好機だ。私もそのことには同感である。それには、私などといっしょにいたのでは埒があかないこともわかっているから、私が彼女を離そうとしないで、更にしんにゅうをかけた、あて先知らずな苦難の旅に彼女をともに曳きずっていく気持は一つ、私じしんが新しい生活の纜の切り手になろうとするはかない望みと、それができるとおもう男の自惚からであった。」(『どくろ杯』)d0238372_21162969.jpg
 数日の船旅のあと、明け方に香港に着いた。香港はまだ深い霧のなかにあった。麓から山の頂までつづく街の灯りはまだ消えずに輝いていた。沖に停泊した船のまわりを物売りのサンパンがとりまき、男や女たちが船上の客にしきりに声をかけてきた。やがてランチに乗って上陸した。煤で汚れた上海と違って、香港は薄黄色の建物が並ぶイギリス風の都会だった。
 街を散策しつつ宿を探して、海岸通りを出はずれたワンチャイにある薄汚い三階建ての日本旅館「旭館」を見つけて泊まることにした。旅館は部屋数が少なく、二階はこの家の人たちの部屋で、三階が客室になっていた。ほかに客はおらず、三つの部屋を続きで使うことができた。
 香港は石段と檳榔樹の街で、水をはじめ諸事物価が高く、金がない三人にとっては住みにくいところだった。淡い緑色をした海には、イギリスの軍艦が停泊していて、ときどき威嚇するように空砲を響かせた。
 香港での知り合いといえばただ一人、かつて井上康文の紹介で会ったことのある、詩の愛好家の北沢金蔵という青年だけだった。彼が領事館の書記官として香港に来ており、さっそく領事館を訪ねると快く会ってくれた上、その夜自宅に招待された。三千代とともにアパートへ訪ねて行くと、新婚の夫人とよく走りまわるテリアとともに歓迎してくれたが、三千代の一足しかない絹の靴下が犬の首輪にひっかかって伝線がいってしまった。
 金子は香港で絵の展覧会を開きたいこと、さらに佐藤英磨のパスポートを取るのに力を貸してほしいと頼んだ。佐藤はパスポートもなしに日本を出てきていたのである。展覧会の方は何とかなると思うが、パスポートは難しいという返事だった。
 10日ほどして、滞在費を節約するために貸し部屋探しをはじめ、中国人街に貸し部屋を見つけた。しかし旭旅館に遊びに来た者から、「画家の先生は、電話のある旅館にでんとしていなければ、あいてにされませんよ」(『どくろ杯』)と説教されて、旅館で頑張ることにした。
 北沢書記官の奔走で、日本人倶楽部で展覧会が開けることになり、急いで水彩画を60点ほど描きあげた。画仙紙にかいた絵は皺がより、それを窓に貼りつけて伸ばした上で、額縁代わりに金紙を切って縁どりした。展覧会の会期は3日間で、三千代は靴下が伝線しているのを気にしつつ、売り子兼会場係をつとめ、佐藤英麿も何かと手伝った。大勢の日本人が観にやって来たが、結果は一枚も売れなかった。
 やがて絵が売れない理由が分かった。金子より少し前に、辻元廣という油絵画家が安いロッタリー券を発行して、空籤なしの方式で絵を売りさばいていたと、「南洋日日新聞」の記者が教えてくれた。彼は新聞に金子の展覧会の紹介記事を書いてくれていた。その上で、金子にもこのロッタリー方式を勧めた。絵を売らなければ香港を出て先へ行くことはできず、それから夜も寝ずに150枚の絵をかきなぐり、売れなかった50点とともに、1枚2ドルで土地の親分に売りさばいてもらった。こうして手にした金は賄いつきの旭旅館の払いでほとんど消えてしまった。佐藤英磨のパスポートは手に入らず、彼は上海に帰ることにした。佐藤送り出した4日後、金子と三千代は日本郵船で香港を出発した。次の行く先はシンガポールで、手許にある金はわずかに10ドルだった。
 森三千は『東方の詩』に収録された詩で、香港をこう詠った。

  香港の海

A

眼がしらにつきあげてくる悲しみをどうしよう。
にこりともせぬ、
彫りつけられた面のやうに固い海づらが、うそ白く光る。
眼のまへに、鳶色の帆が、疲れた枯葉の蝶のやうに、じつと翅をや
すめたまゝだ。

波の上に据えられた航空母艦。
今日でもう廿日。みじろぎもしない灰青の胴。

動け、一糎。
行け、わたしの旅。
ぷつりと何か一つ切り離たれたらなにもかも一どに動き出さうのに。
それだのに、動かない。永久に動きたくないやうに。

雲のなかで、空蝉がつゞけ撃ちに鳴り出した。
右の方にならんだ艦隊が、小さな息のやうな砲煙を吐く。
海はやはり動かない。
空蝉だけが消えてゆく海づら。
動かない、なにも動かない。
わたしはどうすればいゝのだ。

   B

昨日出発し、明日また出発しやうとする。
永久の出発のなかにある今日。
わたしは、いまさら、なにを求めるはりあひがある。

にぶい曇雲が低く迷つてゐる。
海は、袋のなかで氷の砕片をゆすぶるやうな音をさせる。
九龍の燈火は、一つ一つ濡れて、
泣いた児の眼のやうに
大きく見開いて、近づいてくる。
胸苦しくなる・・・・・
この深夜、海はなぜこんなに、壮麗な心の酔態を、わたしのまへに
見せるのか。
――降参しました。
といつて、わたしはあたまを下げる。(『東方の詩』)(続)
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by monsieurk | 2016-03-23 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)
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