男と女、金子と森の場合(第2部)Ⅷ
「旧港の市場の赤瓦の屋根がすぐに見えはじめる。市場前の船着場の石崖に、舳をそろえてひしめきながら、漁船が波にゆられている。押し立てた船首には、原色で魚の目玉や、怪物の顔が描かれ、帆綱は、彩った幣束のようなものでかざられていた。ジャバ〔ママ〕人の漁夫達の近海漁業の、昔ながらの野趣にみちた小舟なのだ。小谷(金子)は写生帖を出して、熱心に写生した。サロンの腰を折りまげてしゃがんだ漁夫の妻が、舟の上で、こんろに火をおこし、くさい煙を立てて干魚をやいている。腹を突出した裸の子供たちが、舟から舟へうつりあるいて遊んでいる。これらの舟は、夜明前のまだ暗い星空の下を、篝火を焚き、焦茶色の帆を張って、海賊船のようにひっそりと出てゆくのだ。椰子の生えた突堤が、海の中まで突出ていた。水飛沫が突堤を越えて走るのが見えた。その突堤のはずれまで、小谷と十三代(三千代)が黙々とあるいてゆく。突堤から海の向こうまで、そのまま歩いてゆきそうな二人の姿だった。世界の果てだった。少なくとも、十三代にはそう思えた。こんなところがあるのを考えたこともなかったし、なおさら、来ようなどとは想像も及ばなかった。」(「去年の雪」)
7月の末、斎藤正雄と三人で早朝に新港タンジョン・プリオクから小舟に乗り、2、3時間かけて沖にあるサンゴ礁の無人島へ遊びに行った。金子はこのときのことを『マレー蘭印紀行』の「珊瑚島」で書いている。
「うつくしいなどという言葉では云足りない。悲しいといえばよいのだろうか。
あんまりきよらかすぎるので、非人情の世界にみえる。
赤道から南へ十五度、東経一〇五度ぐらいの海洋のたゞなかに、その周囲一マイルにたりるか、足りないかの、地図にも載っていない無人島が、かぎりなく散らかっている。(中略)
美貌の島。・・・・
人生にむかってすこしの効用もない、大自然のなかの一部分のこうした現実はいったい、詩と名付くべきものか。夢と称ぶべきであるか。あるいは、永恒とか、無窮とかいう言葉で示すべきか。(後略)」
金子は言及していないが、三千代の「猿島」(『新嘉坡の宿』所収)によると、島で釣りをして獲物を焼いて食事をしたりしているうちに、雲行きが怪しくなってきた。あわてて舟に乗ると大時化が襲ってきた。船はいつひっくり返ってもおかしくないほど波に翻弄されて、命からがら戻ってきたという。
こうして新聞社の人たちとも昵懇になり、金子はせっせと絵を描きためた。森三千代の回想――
「松本 そこ〔旧港〕では金子さん、ずいぶん写生されたようですが。
森 そのへんにバナナ畑がありまして、そこへ行く途中に、オランダ風のはね橋なんかあり、金子はそれなどを丹念に水彩で描いていましたが、なかなか風情のある景色がいっぱいあり、ずいぶん気に入っているようでした。(中略)日が暮れてきますと、船頭さんたちが、日本の船頭さんと同じように立ちはたらいてますし、女の人はサロンをつけた腰を曲げて火を焚いて、夕食の支度なんかしてますし、こっちの丘のほうには、ガス燈がともるんです、ポーッと。明治時代に、ガス燈がともったときの話のように、それは私なんか知りませんけれども、そうゆうふうにガス燈をともしにくるんです。一つひとつ。それがすみれ色のきれいな色で。すると今度はコウモリがたくさん飛んでくる。そんな夕方まで遊んで、帰ったりしたことがよくありました。」(「金子光晴の周辺 1」)
金子の方は『どくろ杯』で、「おそらくつきないほどの画材がある土地であったが、四十度近い炎天を、ときには帽子をかぶるのも忘れてほうついたあげく、視力がへこたれて、おもったよりも仕事がはかどらなかった。傍若無人にねたり起きたりのくらしぶりが禍して、とうとう新聞社にも居られず、松本という、大黒屋よりも腹のふとい、やはりむかしは女衒の親分のやっている宿屋の小室に移った(後略)」と述べている。
なぜ突然、「南洋日日新聞」社長の斎藤正雄が金子たち二人を追い出したのか、その原因は諸説あるが、金子も三千代も明らかにしていない。金子は「塚原って奴に、聞いてみたら、それはあんたが悪い。齋藤さんのところにいるんだから、絵も齋藤さんの肝入りで展覧会をすべきですよ。齋藤さんと松本のじいさんは仲が悪いんだから」(『人非人伝』)と述べていて、展覧会のことを知り合った松本に相談したことで、斎藤が臍を曲げたことになっている。その他、齋藤が旧知の西条八十に、金子がジャワに滞在していることを知らせると、西条から金子などの世話をする必要はないという返事があったことが原因だという説もある。金子がかつて西条八十の畏敬する萩原朔太郎を批判したこと、朔太郎の『月に吠える』と『青猫』を西条から借りたまま返さなかったことで、西条の心証を害していたという。いずれが真相かは不明である。
松本旅館に移ってからも二人の生活は変わらなかった。8月12日にはバタビア博物館を訪れ、15日には東洋一といわれるボイテンゾルグ植物園(現在のボゴール)を見学した。
「森 いろんな椰子の種類も見ましたし。いろんな竹や、根がぶきみに浮き出た榕樹(ガジュマル)の大樹、苔むした樹木の幹に赤い花が一厘咲いているというような、ほんとうにいろいろ珍しいものがありましたね。
松本 そういうようなもの、金子さんはずいぶん興味をもたれたでしょうね。
森 ああいうところで、いろいろな植物に興味をもちはじめたと思うんです。ずいぶんノートに書きためているようでした。昔はそういうもの、ちょっとも興味のない人でしたね。(中略)とにかく驚きでしたものね、あそこのすべてが。」(「金子光晴の周辺 1」)
二人が植物園で見たのは、鬼蓮や大歯朶、かずかずの蘭、椰子、竹などで、金子は後年、詩篇「歯朶」(『IL』所収)で次のように書いている。
「しだの涼しい衣ずれをきき、レース編みをもれる陽のせせらぎをさまよって、植物のからだを循環している血液と、僕の身うちにながれてゐる樹液とがまざりあひ、一つにつながれた解放感と、かなしみの情でしかあらはしにくい恍惚とを、はじめて味はうことができたのは、じゃがたらのボイテンゾルグ植物園のなかにある、大歯朶の林のなかに迷ひ入つたときであった。(中略)
・・・・
身にまとふものを
われ先に、ふみぬぎ、
月に浴る少女たちの
裸の白で、湧きかえる沈黙。
ことば一つにも、性別なしでは
こころのすまぬ仏蘭西でも
Fougère〔羊歯〕よ。
君はやっぱり、女性なのだ。
みわたすかぎりの繁みは
女たちへの、傾斜。
ふみいるひとあしは
女たちへの、埋没。
しなやかなしだに乗って、
しだにゆすられて
かるがるとあそぶには、
月よ。僕のからだでは、もう重すぎる。
ここでは歯朶は女性そのものに変身していて、金子のエロスのあり様をよく示している。
金子と三千代は、8月26日の朝7時35分発の北部海岸線の急行でバタビアを発った。目指したのは、チルボン―ペカロンガン―をへた、スマランだった。(続)