フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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男と女、金子と森の場合(第2部)Ⅸ

 現地の汽車は昼間だけしか運転せず、夜までに行きついたところで停車する。一、二等は外国人専用で、三等車は現地の人や中国人が利用するのだが、二人が乗ったのも三等車だった。窓は小さく、椅子は木製だった。
 ぺカロンゲン市をすぎると汽車は海岸線を走り、窓外には章魚の木が並んで植わっているのが見え、水牛の背中に白鷺が止まっている光景も見かけた。夕方5時ころ中部ジャワのスマランに着き、ホテル・スタッションという日本人経営の古ぼけた旅館に泊まった。翌日は午後3時にソロ行きの乗り合いバスに乗り、4時間半かかってソロに着いた。ソロは8世紀からの宮廷文化の中心地で静かな街だった。高地にあるせいで気候も爽やかだった。到着した日は夜市(バッサル・マラン)が開かれているためホテルはどこも満員で、ようやく中国旅館を見つけて泊まることができた。
 翌28日の朝、トーコー(洋行)・Tの奥さんに案内されて、街をめぐり、博物館や王宮庭園を見学した。ソロ王は古いジャワ王朝の末裔で、オランダ政府から年金をもらい、ジョクジャ汗国とならんで名目だけを残していた。街の一角には士族の屋敷があって、金の小剣を背中に帯びて、髪を結い大きな簪をさした武士たちが、サロンに裸足で歩いているのを見かけた。王宮の庭ではワーヤン劇をやっていて、役者はみな貴族の子弟だった。彼らは幼い時から古楽器を習うということだった。ソロ、ジョクジャの二侯国は、古い伝統をもつ舞踏劇を残すことで安住をえていた。
 ソロには日本人の雑貨店も多く、土地の人たちの対日感情もよいとのことだった。街の周囲には煙草畑やコーヒー園が広がり、奥地の山間部には銅の鉱脈があって働いている日本人もいた。彼らの日常には娯楽は少なく、夕方になると人びとは一軒の家に集まって御詠歌をうたうということだった。
29日、ソロから二時間ほど乗り合いバスゆられてジョクジャ汗国に着き、日本の雑貨と古代ジャワ更紗を商う富士トーコーの澤辺磨沙男の家に泊めてもらった。その翌日は、澤辺の店の番頭が運転する車で、世界最大の仏教遺跡ボルブドールの石の大回廊を見物した。遺跡は一辺が123メートルの方形の基壇上に、5層の方壇と3層の円壇がピラミッド状に重ねられ、頂点には大きなストゥーパが置かれ、高さは優に30メートルを超えていた。全体が仏教世界をあらわした曼荼羅で、方壇の回廊には仏教の説話を描いた浮彫が1460面続いていた。夕暮れ近くには、タマンサリ(水城)の跡を見学した。城は堰を切るとたちまち浮城になったというが、18世紀に起きた大地震で崩壊したまま放置されていた。
 ジャクジャには数日滞在し、9月初めには数時間の汽車の旅でジャワ島の東に位置する商業都市スラバヤへ向かった。駅に着くとすぐにウエルフ街にあるの「爪哇日報」スラバヤ支社を訪ねた。だがバタビアの斎藤社長から、世話には及ばずという連絡が入っていて、二人を迎えた支配人松原晩香の態度はけんもほろろだった。仕方なく華僑が経営するホテルに旅装をといて、三千代が一人で事情を説明しに行くと、松原は事情を了解してくれて、世話をしてくれることになった。
 松原は早稲田大学で演劇を専攻した坪内逍遥の弟子だった。1920年にジャワに来て、「南洋日日新聞」の佃光治が「爪哇日報」を創刊したとき、その下で記者をしていたが、「爪哇日報」を齋藤正雄が譲り受けたときに、バタビア支社に来たという。もともと松原とはそりが合わない間柄だった。オランダ政府の方針で邦字新聞は一社しか認められず、スラバヤの「爪哇日報」(De JAVA NIPPO)は、バタビアの「爪哇日報」の販売と、内地向けの月刊誌「爪哇」を、4、5人の社員で印刷し発行していた。スラバヤ滞在は二週間の予定で、松原の紹介で日本旅館に泊まることができた。スラバヤには日本人の大きなコミュニティーがあり、領事館S・M、貴金属商店の店員Kといった人たちと昵懇になった。カリシアには松本楼などの日本料理の店があり芸者もいた。松原と領事館のS・MやKは酒飲み友だちだった。金子と三千代が着いたとき、スラバヤでも夜市が開かれており、二人は彼らに連れられて毎晩夜市に繰り出した。
 夜市では、色とりどりの電飾で照らされた広場に幾つかの商品館があって物産を販売し、その周りには郷土品を売る露店や食べ物の屋台、小屋掛け舞台、踊りの舞台、さらにはオランダ人が経営するダンスホールやバーなどが店を開き、大勢の人でにぎわっていた。
 松原は新聞記者という職業柄顔が広く、誰彼となく声をかけられた。松原は三度の飯よりも芝居が好きで、若いとき浅草の劇団に入って舞台を踏んだこともあり、ジャワのワーヤン劇の研究家としても造詣が深かった。夜市では、皆で電気自動車に乗ってぶつかり合い、観覧車で空中へ吊り上げられてスラバヤの夜景を見下ろしたりした。そして16、7歳の踊子が踊るバリのダンスやサリモト一座の芝居を楽しんだ。松原が早撮りの写真をみつけて、衝立に描かれた漫画の顔の穴から、三千代と二人で顔を出して写真を撮ってもらった。写真の店を出していたのは、バタビアの日本人倶楽部の書記をしているWで、わざわざ出向いてきたという。思いがけない再会だった。d0238372_17504962.jpg
松原は三千代に木偶芝居の武士の人形を一つ買ってくれた。大きさは30センチほどで、眼がつり上がり鼻が尖った顔を白く塗り、金の冠を被っていた。手足は棒で動かす仕組みで、胸から下にはきれいン更紗の衣装をつけていた。三千代はのちにこの木偶人形を、ベルギーで世話になったルパージュへの贈り物にした。
 9月14日付けの「爪哇日報」のスラバヤ版に、「金子光晴の画展日本人会館で」という見出しの記事が載った。
 「詩人画家金子光晴氏は。此土曜日日曜日に掛けて午前午後当地日本人会館にて東印度風景及び風俗画の展覧会を開く事になった。同氏は浮世絵の日本画を書き、其方面に於いては内地でも有名な画家である。来島以来数十点を書いたが何れも出来栄え能く多分展覧会は成功するだらう。」すべては松原の助力のお蔭だった。たまたま寄港した日本船の船乗りたちが大勢、松原のはからいでやってきて、南洋の記念品でも買うように買ったくれたせいもあり、まとまった金を手にすることができた。
 10月16日には、スラバヤ婦人会の主催で、「アイダ河上鈴子嬢舞踏会」が開かれることになった。上海から来た河上鈴子が西洋式の舞踏を見せる機会に、芝居好きの松原がストリンドベリーの劇『犠牲』を上演したいと言いだした。ついては金子と三千代にも出演してほしいという。絵心のある「爪哇日報」の社員が大道具の背景を描き、三千代が妹役、姉は新聞社の印刷工の頭の禿げたおじさん。松原が姉妹の父親役、金子は顔中に赤髭をつけた中尉をやることになった。しかしいざ稽古となると、たまたま来合わせたハンガリー人の画家の接待で忙しく、ぶっつけで本番を迎えた。三千代だけがやきもきした。
 「当日は早くから見物がつめかけていた。
 西洋舞踏がすんで、余興の第一番に、姉娘になるおじさんの日本舞踊の幕が開いた。女の着物を着て、薄化粧をしたおじさんが、あねさんかぶりをして、『梅にも春』を踊った。横目をつかい、しなをして、小面憎いほどすましこんで、真面目くさって踊り終えた。
 次は、『犠牲』の一幕である。
 厚紙の背景がかつぎこまれた。切角〔せっかく〕の泥絵具の彩色が、おおかた剥げおちていた。泥絵具の粉末をとかす時、膠を入れるのを忘れたからであった。
 幕があくとまず、洋服を着た私が一人で窓に立って歌を歌わなければならなかった。もともと歌を歌うことは聞いていなかったので、舞台に上る前に、世話役になって来ていた貴金属商のKさんに、なにを歌ったものでしょうと相談すると、Kさんも当惑して、なんでもいいじゃありませんかと言うことだった。庭の千草を歌いはじめた。あまり高い声で歌いはじめたので、途中でかすれてしまった。そこへ、印刷工のおじさんが、どこで手に入れて来たか、もしゃもしゃの赤毛の鬘をかぶり、アッパッパを着てぬっと出て来た。せりふのやりとりがはじまったが、この人は、旧派の芝居のせりふまわしを心得ているとみえて、ねちねちした抑揚をつけて、それも、全部ひどい東北訛りであった。見物席は立錐の余地もなく、うしろの方に人が立ってあふれていた。つかつかと上がって来た中尉は、顔中、むちゃくちゃに赤髭を付け、眉毛と眼のくまどりだけは、白虎隊のように、勇ましげに吊上っていた。Mさんの仕業だった。中尉は、おじさんのせりふを聞くなりぷっと噴出して、そのまま笑いがとまらず、観客席の方を向くことが出来なかった。出て来たままで、言うべきせりふは度忘れしてしまっていた。テーブルの白布の下にもぐりこんでいたプロンプターがしきりにせりふをつけるのだが、聞きとれないで耳に手を当てては幾度も聞き返した。プロンムプターの声が見物席にとどくと、どっと、くつがえるような笑い声が起った。
 余興芝居は大成功だった。深刻なストリンドベリーの劇が、喜劇に終わっても、見物の人達の心には、歓を尽したものが残った。勿論、そこに来ていたオランダ人の観客達は、それが北欧の大家のストリンドベリーの戯曲をやっていたのだとは、しまいまで夢にも気が付かなかったろう。」(「スラバヤの夜市」)
 苦しいことの多い旅のあいだで、スラバヤの人たちの親切とこの日の出来事は、金子と三千代にとって忘れられない思い出となった。(続)
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by monsieurk | 2016-04-07 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)