金子・森合同詩集『鱶沈む』
体裁は横12cm×縦18cmの四六版で、紅殻色の表紙に、縦に二行、「金子光晴 森三千代 共著」、真中に大きな活字で、「鱶沈む」と印刷されている。内表紙には、表紙と同じ著者名、出版社名に加えて、「鱶沈む」のタイトルの脇に、「南支旅行記念詩集」と書かれている。
この詩集はのちに全集に収録される際は金子光晴の単独詩集として扱われて、森三千代の作品は削除された。したがって彼女の詩篇を知るには、どうしてもこの原詩集を見なくてはならない。
詩集の構成は、両者名の「小序」に次いで、金子光晴の「古都南京」以下、「寒山寺」、「莫愁湖」、「虎丘」、「蘇州城」、「短章」、「桂魚」の七篇が、一頁から二六頁までに収められ、二七頁の左下に、「森三千代」とあって、二八頁以下に森三千代の作品が続く。それらは「杭州旅行」を総題とする二篇、「一 滬抗鐡路」、「二 松江(ズンコウ)」、次いで、「北極閣」、「儀鳳門」、「山稜」、「莫愁湖」、散文「西湖より」、「蘇堤」、「葛嶺」の九篇で、四五頁までを占めている。そして最後に、金子光晴の「鱶沈む ――黄蒲江に寄す」が、四六頁から五二頁まで印刷され、最後の頁に奥附があり、定価一円とある。
先ずは金子光晴の八篇のうちの三番目の「莫愁湖」――
曾公園の壁は骨もあらはれ、
陽は、勾欄の卍を、淡く透して卓にさす。
土壌しめやかな前庭には、幾株の芭蕉が、
新しい巻葉を展はす。
人間の悲しみは、時の悲しみより大なるはない。
朱い羽根帽子をかぶつたわが女よ。私達にもいつかは
青春から去り、交渉から退き、あるひはまた、
全くこの生から互みに亡び去る時がくるであらう。
熱茶をつげ。
莫愁湖の水は涸れて、
山羊の草を噛むひゞきのみ高い。
葦茂る洲のところどころに陽が徒らに悲しく、
蒼鷺がむれて、
長い羽を伸ばして翔びわたる。
いや、私の愁いは、他ではない。
名をつけがたく、理由もない
いはゞ、宇宙の漠然たる憂愁、
生けるものなべてのいぶせさである。
白い鳥糞と枯葉、甍の間の鼬と、甍の蒲公英。
すたれゆく軒材のみぞの澤山な袋蜘蛛。
目にする光景と、それを見る者の感慨が混然一体となった詩句は、金子がこのころ新たに手に入れた詩法をよく示している。詩集には森三千代の同じタイトルの詩が収められており、「赤い羽根帽子をかぶった」彼女が同じ光景を前にして、何を詠ったかは興味深い。詩の冒頭には、「梁武帝河中之水歌」の七言絶句が引用されており、それを受けて――
水樓に風寒く
逝く春を慨く。
草愁の女よ。
亡びた都に
いつまでも美しい名よ。
あゝ それだのにこのやつれた景色は・・・・。
楊柳の糸を拂つてゆく
しづかな荷の風にも
しずこゝろない小波よ。
みどりの臺のやうに
生ひそろつた葦の原を
青鷺が
わたる。
同じ光景を目にした両者の違いは瞭然である。森の特長はむしろこの「莫愁湖」の次に置かれた散文「西湖より」の方にある。
親しいお友だちがたへ
わたしは、いま、西湖のほとりへ来ております。
こゝの水は、雨を感じ易く、かは柳や、楠樹の新緑にすつかり蔽はれた水上の樓閣や、亭は、まるで、いつまでもいつまでも夢をみてゐるやうです。わたしは、こゝろよい方へとまかせて吹いてゐる風と、こまかい光の漣を立ててゐる水に、わたしの「雪舫」を任せて遣るのを、なによりたのしみにしてくらしてゐます。(中略)
夕ぐれ刻には、その漣の一つ一つが臙脂をそめて、六和塔が朱い空に、銀色になつて浮びあがります。舟あそびのテントを、夕方のすゞしい風がバタバタやります。水のしぶきと臭がわたしの顔を平つ手で叩くやうな心持がします。さうして湖邊の酒樓からは、湖のうへへ、甘い胡弓と笛の音色を渡すのです。
わたしには、あのゴーチエがあくがれてゐた明眸の支那女の顔は、きつとこの西湖の顔であらふと思はれ出しました。夜の湖畔を、長い長い柄のついた轎子にたよたよとゆられ乍らゆく深窓の嬢々、疎らに枝々さしかはす林をむふ新月の姿にも似たこの西湖の姿こそは、わたしの心へ生涯、戀のやうに、美のやうに忘れられないものとなつてしまひました。
手紙形式の散文詩は、森三千代の感性、行きわった観察眼、それを的確に表現する比喩の巧みさと文章など、彼女がやがて散文作家として成功する資質をよく示している。
詩集の最後は、表題となった金子光晴の圧倒的な詩「鱶沈む」で締めくくられる。
鱶沈む
――黄蒲江に寄す――
白晝!
黄い揚子江の濁流の天を押すのをきけ。
水平線上に乗りあがる壊れた船欄干に浮浪人、亡命者たちの群・・・・・。
流れ木、穴のあいた茣蓙の帆、赤く錆びた空鑵、
のはうづな巨船體が、川づらに出没するのみ。
おゝ、恥辱なほどはれがましい「大洪水後」の太陽。
盲目の中心には大鱶が深く深く沈む。
川柳の塘添ひに水屍、白い鰻がぶら垂つている。
錨を落せ!
船曳苦力のわいわいいふ瑪頭(マトー)の悲しい聲をきかないか。
いな、底にあるは闇々なる昏睡であるか。
・・・・排水孔のごみ、鷗らが淋しく鳴いて群る。
大歓喜か。又は大悲歎であるか。
おゝ 森閑たる白日、水の雑音の寂寞!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
黄い揚子江の濁流の天に氾濫するのをきけ。
二
頭のうへの夕の浪に、やぶれた帆船の黒い幻影がつゞく。
おゝ、有害な塵をあげる上海は波底はるかに沈む!
浮浪人達は、この大避病院の澤山な寝臺の脚、花園橋(ガーデンブリツジ)から、
苦力たちの足鎖で轟々といふその橋桟から
・・・・甜爪の皮や、痰の大汚水の寄るのをみ下している。
黄い鳥膚をした娼女達はパン片に嚙付く。
門石のうへを、黄包車苦力(ワンポツオ)の銅貨が、賭でころがる。
・・・・上潮だ! 悲しい熱情で踊るジャンクの群。
阿片パイプの金皿のヂヂこげる匂が四馬路(スマロー)から臭ふ。
耳ほどの小さな陰部、悉く蝕(むしくひ)だ!
ガンガンボンボン銅鑼や、金切聲が法租界からきこえてくる。
『棗泥湯米團』の湯氣で全支那が煙る。
あゝ、だが重い一輪車苦力の、エイ、エイ、ホツ、ホツといふ、
巷巷のその叫はいつ休むのだらう。
誕生から柩までのあらゆる叫びがそこにある。
そして、すべてそれは大揚子江に帰つてゆく。
・・・・・・・・・・・・・・・・。
大揚子江はそれら一さいの生のうへに冥々と氾濫して、
實に冥々として終始がない。
・・・・塵芥の渦を巻くうづ穴をガバガバ作りつつ
・・・・胎水のやうに噴水しつつ、
黄い水、つらい水、争ひの水、忘却の水!
上海、上海、上海、上海!
この地獄門を救へ! と正義は云ふ。
しかし、大揚子江はたゞ冥々として聾のやうだ。
頭のうへの夕浪に、黒い帆は帆を産んで、幻のやうにならぶ。
金子はこの詩を創作することによって、新たな詩境を手にいれたのだった。