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ムッシュKの日々の便り

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詩華集『篝火(TORCHE)』

 詩選集『篝火』の誕生には、金子光晴の妻、森三千代が光晴の留守中に、東京帝国大学の文学部美学科の学生だった土方定一のもとに走った事件が深くかかわっている。この件についてはブログ「男と女――金子と森の場合(ⅩⅤ)」(2016.01.20)に書いたとおりである。
 金子と森の間には息子乾がいたが、その息子を長崎にいる三千代の両親にあずけ、三千代一人を東京に残して、金子は詩人の国木田虎雄夫妻とともにおよそ一カ月、上海など中国を旅した。帰国してみると三千代は家に居ず、土方と同棲していたのである。金子はそんな三千代を連れもどし、息子乾と三人の生活をふたたびはじめるが、三千代は二日こちらにいれば、三日むこうに泊まるといった生活をやめず、帰ってきても、金子が身体に触るのを拒みつづけた。
 その後間もなく彼女が高熱で倒れた。猩紅熱だった。三千代は隔離病院に入院させられ、回復するまでに四十日ほどかかったが、その間金子は生活のための金策に歩きまわったすえに、妻を取り戻すために、日本を脱出してパリへ行くことを持ち出した。すると三千代はあっさりと承知したのである。ただ条件として、出発前に土方と約束している茨城県高萩へ二人で旅行することを持ち出し、金子はこれを受け入れた。それで二人が関係に終止符を打ち、仲間うちでも評判になっているコキュの立場が終わるならばと思ったのである。
 こうして瓢箪から駒のように、金子にとっては二度目、森三千代には初めての渡欧話が決まった。するとそれを知った詩人仲間から記念詩集を刊行する話が出て、井上康文と尾崎喜八が中心となって購入予約の募集をはじめた。金子光晴・森三千代渡欧記念示詩華集『篝火(TORCHE)』がつくられた経緯はこうしたものであった。
 詩集は奥附によると、昭和三年(一九二八年)六月二十八日印刷、七月一日発行で、編集兼発行者は井上康文。印刷兼発行所は詩集社、発売所、素人社で、定価は一円二十銭とある。
 詩集では表題に次いで、フランス語で、「TORCHE ANTHOLOGIE DES NOUVEAUX POETES JAPONAIS (新しいら日本詩人たちの詩撰集)」とあり、その下にローマ字で、参加した著者の名前が記されている。それはABC順に、井上康文 / 金子光晴 / 勝 承夫 / 中西悟堂 / 尾崎喜八 / 陶山篤太郎の六名である。
 これに次ぐに二頁には「序言」が載っており、彼らの意気込みが知れるので全文引用してみる。
 「詩の大河は一つの過渡期に逢著したかのやうに、今やその流れを休めてゐる。来るべき河床の傾斜を待つてゐるのか、沼澤の安易を眠つてゐるのか、それは停滞して、夏の太陽の下で生温くなつてゐる、この間に起らないとは云へない水の腐敗に警戒せよ!外からの衝動が缼けてゐるならば、内からの刺戟を加へねばならない。閑日月の安樂を抛つて、創造の苦しき悦びを取り上げなければならない。生の徴候を示さねばならない。
 何よりも先づ詩的精神の弛緩を打て!働きかける事それ自身が藝術家の任務だといふ事を、行為によつて、作品によつて示せ!一つの篝火はそれ故に上げられる。これは一つの合圖に過ぎない。これは他の多くの篝火を豫想する。夜の奥底に點々たる焔が見える。勤勉な兄弟達が夜を警めてゐる。それが何時かは互に交通するだらう。そして一般的な詩の輝く朝を呼ぶだらう。焚木から焚木へ、野営から野営へ、兄弟よ、火を移し合はう!」
 おそらく井上康文が書いたと思われるこの「序言」に続いて、「詩華集・篝火・目次」とあって、以下に井上康文の「どろ靴」を含めた八篇、金子光晴十五篇、以下、勝承夫、中西悟堂、尾崎喜八、陶山篤太郎の詩篇が掲載されている。
 このうちから金子光晴の十五篇は、最初のヨーロッパ旅行の体験から想像し、これから出発する旅先の光景を先取りしてうたったものである。最初の詩篇「航海」――

熱い。・・・白いペンキ塗の船欄干に
豹のやうな波の照返し、
麦酒(ビール)が、みんな生湯(ぬるまゆ)になつた。

・・・私の船は今、木曜島沖を横振してる。
あたまでつかちな煙突と、痛風窓。

放縦なダヤーク人の裸な良侯(ボンクリマ)だ。!
私は、骨片の音のする首飾を、
胸のところでカタカタ鳴してみた。

彼女の赤い臀の穴のにほひを私は嗅ぎ、
前檣トツプで汗にひたつてゐた。

あはれな海鳥がピーピー鳴きながら
骨牌(かるた)のやうに静にひるがへる。

 そして、「展望より」。

   1

女を抱いたとき、街中の火が彗星になつて
私の頭のなかをさかさにづり落ちた。
 :・ 女のからだ全世界の歓樂があつたからだ。(中略)

   2

さくらの花辧のやうな鯛(さがみうを)の群が
くらい日本の海をめぐつて夜夜唄ふ。

私は、あの晩、彼女を戀したが故にすべて美しい地獄(プロフォンジス)を一夜で下つた!

黒い機関車が火の粉を散して踊る。旅よ。
櫻嫩葉の繁みが頭のうへでゆれてゐる焼杭の驛棚に凭れて 愛慕切なる夜 私は天へむかつて発車したいと願つた。
初夏雨霖、燈火の街をみはらしながら、ふとわが名をよぶ遠い 遠い母の聲をきいた。

 詩集には結局、森三千代の詩は収録されなかったが、「私は、あの晩、彼女を戀したが故にすべて美しい地獄(プロフォンジス)を一夜で下つた」という一節は、彼女との曲折を考えると何か暗示的である。
 七月八日、『篝火(TORCHE)』の出版記念会が丸の内の山水樓で開かれた。出席したのは、金子と森三千代、それに井上康文、尾崎喜八、陶山篤太郎、草野心平、岡本潤、岡村二一、渡辺渡、井上秀子、八百板芳夫、ほか二名であった。さらに別の日には、四谷の白十字の二階でも他のグループによる送別会が行われ、こちらは、金子・森のほかに友谷静栄、大木惇夫、サトウハチロー、恩地孝四郎、中西悟堂、大鹿卓、吉邨二郎など合計十九人が集まるという盛会だった。こうして三千代を土方から引き戻すために思いついたヨーロッパ行は既定の事実として動き出した。そして三千代は金子に認めさせた通り、土方と過ごすべく、高萩へ出かけて行った。
by monsieurk | 2016-05-04 22:30 |
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フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


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