フランスのこと、本のこと、etc. 思い付くままに。


by monsieurk
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「ちかえもん」

 最近、幾度目かの文楽ブームの予感がすると聞く。きっかけの一つが、NHKの連続テレビドラマ『ちかえもん』で、「木曜時代劇」の枠で、1月14日から3月3日まで8回にわたって放送された。脚本は藤本有紀。松尾スズキが近松門左衛門を演じて大変面白かった。
 舞台は元禄16年(1703年)の大阪浪速。浄瑠璃作家の近松門左衛門はスランプに陥っている。これまで書いてきた時代物が以前ほど受けず、新作の執筆も一向に進まない。史実としては、竹本義太夫が大阪道頓堀に竹本座を開いたのが貞享2年(1685年)のことで、翌年近松が彼のために時代浄瑠璃『出世景清』を書いて前途を祝福した。
 それ以後二人は手を携えて仕事をし、近松作品は次第に義太夫の声価を高めて行った。しかし戦国の世が終わって百年余り、大衆の求めるものは忠義を主題とする時代物ものではなくなっており、客足は遠のくばかりであった。
 ドラマのなかでも、近松は座長の竹本義太夫や周囲から不満をぶつけられるが、時代物に代わって何をテーマにしたらよいか悩む日々がつづく。
 そんな近松が堂島新地の遊郭「天満屋」に入りびたっていると、島原から流れてきた「天満屋」の遊女お初と醤油問屋平野屋の手代徳兵衛との心中事件が起こる。これは元禄16年4月7日(1703年5月22日)に、西成群曽根崎村の露天神の森で実際にあった事件で、近松はさっそく若い二人の情死を取り上げて、わずか1カ月で新作を書き上げ、5月7日(6月20)に、竹本座で初演の幕を明けた。d0238372_11484322.jpg
 テレビドラマ『ちかえもん』は、近松が事件をもとに世話物『曽根崎心中』を書き上げ、それが舞台にのるまでの経緯を、彼をとりまく人間模様とともに、大阪らしいコメディー・タッチで描いていた。
 『曽根崎心中』初演の場面では、文楽界から桐竹勘十郎などの人形遣や、三味線の竹澤団七などが参加して、元禄時代の舞台の様子が再現された。当時は舞台と客席はごく近く、人形遣いも現在の三人ではなく一人遣いで、その様子も再現された。
 なかでも秀逸だったのは、竹本義太夫の役を演じた俳優の北村有起哉で、この役をやるために、一から義太夫を習ったという。そのために竹澤団七師匠の音源をひたすらしい聴き、自宅やカラオケボックスで練習を重ね、師匠に聞いてもらって修正するという日々を重ねたという。テレビでは、本職の吹き替えではないかなと思わせるほどの出来栄えだった。
 義太夫節はその名のとおり、初代竹本義太夫が元祖で、大阪に生まれ育った彼が、大阪弁の抑揚とアクセントにもとづいて、近松のテクストを太棹三味線の奏でる旋律に乗せ、あるいはそれと掛け合いをしつつ、地の文から登場人物のセリフまで、喜怒哀楽を語り聞かせるものである。
 近松門左衛門の世話物はどれも美文で綴られていて、読む者を魅了する。だが4篇、5篇と読み続けるうちに、一句一句が巧みな七五調で書かれているために、かえって単調に感じられるのも事実である。それが三味線の音にのって、大夫によって語り出されると、どの作品もそれぞれ多彩な情緒纏綿たる世界が出現する。浄瑠璃の世界に一度はまると、病みつきになるのは必定である。『ちかえもん』の再放送が待たれる。
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by monsieurk | 2016-05-10 22:30 | 芸術 | Trackback | Comments(0)